概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1968年10月15日(51歳) | ||
出身地 | バイヨンヌ | ||
身長 | 174cm | ||
体重 | 71kg |
ポジションはミッドフィールダー(ディフェンシブハーフ)。
利き足は右。
愛称は「マラソンマン」。
90年代フランスを代表する名選手。
1998年ワールドカップ・フランス大会優勝時のキャプテン。
続くEURO2000優勝時もキャプテンとしてチームを牽引した。
マルセイユやユヴェントスなどで活躍した。
獲得タイトル
クラブ
マルセイユ
- Division 1: 1989–90, 1991–92
- UEFA Champions League: 1992–93
ユヴェントス
- Serie A: 1994–95, 1996–97, 1997–98
- Coppa Italia: 1994–95
- Supercoppa Italiana: 1995, 1997
- UEFA Champions League: 1995–96; runner-up: 1996–97, 1997–98
- Intercontinental Cup: 1996
- UEFA Super Cup: 1996
- UEFA Intertoto Cup: 1999
チェルシー
- FA Cup: 1999–2000
バレンシア
- UEFA Champions League runner-up: 2000–01
代表
フランス代表
- FIFA World Cup: 1998
- UEFA European Championship: 2000
個人
- Division 1 Rookie of the Year: 1989
- French Player of the Year: 1996
- UEFA European Championship Team of the Tournament: 1996
- FIFA 100: 2004
- The Dream Team 110 years of OM: 2010
- Golden Foot Award Legends: 2018
- 9th French Player of the Century
- Chevalier of the Légion d’honneur: 1998
- Officier of the Légion d’honneur: 2018
経歴
クラブ | |||
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1985-1989 | ![]() |
111 | (4) |
1989-1994 | ![]() |
123 | (6) |
1990-1991 | → ![]() |
29 | (3) |
1994-1999 | ![]() |
124 | (4) |
1999-2000 | ![]() |
27 | (0) |
2000-2001 | ![]() |
13 | (0) |
代表歴 | |||
1989-2000 | ![]() |
103 | (4) |
クラブ
マルセイユ在籍時に2度の国内リーグ優勝、1992-93シーズンには欧州チャンピオンズ・カップを制覇した。
1994年に強豪ユベントスに移籍した後はさらにタイトルに恵まれ、3度のスクデット(1994-95、1996-97、1997-98シーズン)をはじめ、1994-95シーズンのコッパ・イタリア、1995-96シーズンには自身2度目のチャンピオンズリーグ制覇。
1995年のトヨタカップでは、アルゼンチンのリーベル・プレートを破り世界一となった。
その後デシャンはイングランド・スペインのトップリーグを渡り歩き、2001年シーズン終了をもって選手生活に終止符を打った。
代表
1989年、対ユーゴスラビア戦でフランス代表デビュー。
「将軍」ミシェル・プラティニ引退後、低迷を続けたレ・ブルー(Les Bleus、フランス代表の愛称)の不動のレギュラーとして奮闘した。
1996年の欧州選手権でベスト4に終わった事を受け、当時の代表監督エメ・ジャケは全幅の信頼を置いていたデシャンに主将を任命。
1998年、地元開催のワールドカップにおいて、デシャンはピッチの内外でチームを牽引、決勝でブラジルを3-0で撃破したフランス代表はついに栄冠を勝ち取った。
その後フランスは、W杯優勝から2年後のEURO2000も制覇。
ワールドカップと欧州選手権優勝という「スーパー・ダブル」を欧州で最初に達成したチームとなった。デシャンはこの快挙から程無くして代表を引退。
フランス代表歴代4位の103試合に出場(1位はリリアン・テュラムの142試合)、キャプテンマークを巻いて出場した試合数は56試合でプラティニの50試合を上回る。
エピソード
フランスの98年ワールドカップ優勝、そして続く2000年のユーロ大会優勝で、トロフィーを一番に高々と掲げた人がキャプテンであるデシャンです。
ピッチでもロッカールームでも彼は雄弁です。
彼とローラン・ブランとがフランスチームの精神的支柱でありました。
ハーフタイムにロッカールームに引っ込んだ彼らの映像を見たことがありますが、ジダンと戦術について相談し、選手に声をかけ、まさしく彼はキャプテンシーの塊としてチームを引っ張っていることが見て取れました。
準決勝進出を決するイタリアとのPK戦の時、PKを外した選手の元に行き肩を抱いて慰める姿、ゴールキーパーのバルテズにこっちに跳べと指示を与える姿・・・
まさしく彼はピッチ上の監督でした。
引退後、休む間もなくフランスリーグのASモナコ監督に就任。
1年目こそ下位に甘んじたが、2年目の2002-03シーズンには2位に大躍進。それを受けて出場した2003-04シーズンのチャンピオンズリーグでは、並み居る強豪を打ち破り準優勝という快進撃を繰り広げた。
しかし、2005-06シーズンの出だしにつまずき、9月に解任。
2006-07シーズンからは、自身の古巣でもあるイタリアのユヴェントスFCの指揮を執ることになった。
しかし、同クラブは2005-06シーズンの審判などに対する不正疑惑によってセリエB降格、さらには勝ち点のマイナス状態からのスタートと言う厳しい処分が下され、それに伴う主力の選手の大量流出も予想されるなど厳しい局面での舵取りを余儀なくされたが、結果的には首位で昇格させることに成功。
しかし優勝が決まった試合の直後、突然辞任を発表した。
原因はフロントとの軋轢など、さまざまな憶測が飛び交った。
その後、デシャンはインタビューに応え、「当時、私とクラブの間では意見の相違があった。信頼と平穏に欠けた状況でユーベとともに前進することは困難だった。」と語った。
しかし、退団を後悔しているという発言も交えた。
2009-10シーズンからは、フランスのマルセイユの監督に就任し、リーグカップ優勝で18シーズンぶりのタイトルを獲得すると、勢いに乗りリーグ優勝も果たした。
2011-12シーズンはチャンピオンズリーグでベスト8入りし、またリーグ・カップ3連覇を果たしたものの、リーグ戦では低迷。
シーズン終了後の2012年7月にマルセイユ監督を辞任し、同年7月8日、ローラン・ブランの後任としてサッカーフランス代表監督に就任した。
2018年FIFAワールドカップにおいて、フランスを1998年以来2回目の優勝へ導いた。
選手と監督の両方でワールドカップを制したのはマリオ・ザガロ、フランツ・ベッケンバウアーに続く史上3人目。
プレースタイル
抜群の統率力でチームを牽引した守備的MF。
チームの精神的支柱となれる存在で、運動量豊富でボール奪取力に長けたボランチ。
展開力はそれほどないけど、奪ったボールをシンプルに確実につなぎます。
その運動量の豊富さから「マラソンマン」という愛称がついたほどです。
サッカーIQが高く、守備能力も高い選手です。
純粋にボランチとしての能力だけでは劣るかもしれませんが、非常に頭のいい選手で、中盤のバランサーとしても欠かせない存在で、監督が全幅の信頼を置いていました。
その統率力と賢さから、デシャンがいるとチームが締まりました。
監督から重宝される選手でした。