概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1950年1月15日(70歳) | ||
出身地 | グアドループ・サンタンヌ | ||
身長 | 182cm | ||
体重 | 80kg |
ポジションはディフェンダー(リベロ、センターバック)。
利き足は
70年代から80年代前半、フランスを代表するリベロ。
獲得タイトル
クラブ
マルセイユ
- Coupe de France: 1975–76
ボルドー
- Division 1: 1983–84
個人
- French Player of the Year: 1972
- 6th French Player of the Century
- FIFA 100
- Chevalier of the Légion d’honneur: 1984
経歴
クラブ | |||
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1969-1972 | ![]() |
92 | (1) |
1972-1980 | ![]() |
253 | (8) |
1980-1984 | ![]() |
93 | (3) |
代表歴 | |||
1971-1983 | ![]() |
65 | (4) |
クラブ
カリブ海に浮かぶフランス領グアドループ島に生まれます。
地元ユヴェントスで10代を過ごし、19歳の時に渡仏してアジャクシオに入り、1969年11月23日バレンシアンヌ戦でリーグデビュー。
2年目には定位置を確保して4年目の途中にマルセイユに引き抜かれます。
GKカルニュス、DFボスキエ、ブラッシらと共に守備を固め、セレソンのジャイルヂーニョやP・セザール、スウェーデン代表マグヌソンといったアタッカーともプレーしました。
彼らが去った4年目には国内カップを制覇するなどキャリアの全盛期を過ごし、79/80シーズンを最後にチームを離れるまでに出場した試合数253は、歴代4位の記録となっています。
ボルドーでは2年目に37試合出場とタフネスぶりを見せますが、翌シーズンに出場機会が半減、現役最後の83/84シーズンにリーグ優勝を果たし、有終の美を飾りました。
代表
1971年12月4日ブルガリア戦にて代表デビューを果たします。
7年後のW杯ではキャプテンとしてチームをまとめますが、グループリーグ敗退となりました。
1982年大会では6試合に出場し、チームを30年ぶりのベスト4に導きます。
準決勝に進んだフランスにあって、主役はプラティニらを中心とした攻撃陣だったが、敵の攻撃からゴールを死守しフランスの攻撃を支えていた。
準決勝ドイツ戦ではPK戦で敗れはしたものの、92分に一時は勝ち越しとなるボレーを決めました。
エピソード
今でこそ、フランス代表は黒人選手が多いチームだが、そんなフランス代表初の黒人選手である。
しかもキャプテンもした選手である。
ソックスを下げて履くのが特徴です。
プレースタイル
強さとしなやかさが同居した理想的なフィジカルを駆使した激しい守備に加え、クレバーな頭脳とリーダーシップも持つディフェンダー。
黒人特有の柔らかくバネのある体を生かし、空中戦には無類の強さを誇り、鋭く激しいタックルなど身体能力に任せたディフェンスも出来るが実は、相手FWとの駆け引きに長けた、非常にクレバーなディフェンスをした選手。
ディフェンダーながら足元の技術もあり、攻撃にも貢献できた。