概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1937年12月30日 | ||
出身地 | シェフィールド | ||
没年月日 | 2019年2月12日(81歳没) | ||
身長 | 184cm | ||
体重 | 83kg |
ポジションはゴールキーパー。
利き足は右。
愛称は「バンク・オブ・グレートブリテン(イングランド銀行)」。
イングランド史上最高のゴールキーパー。
1966年ワールドカップ・イングランド大会優勝時の守護神。
2004年3月にFIFAが100周年を迎えるにあたって、元ブラジル代表・ペレが選出したFIFA 100(偉大なサッカー選手125人)に選出された。
獲得タイトル
クラブレスター・シティ
ストーク・シティ
代表イングランド代表
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個人
- FIFA Goalkeeper of the Year: 1966, 1967, 1968, 1969, 1970, 1971
- FIFA World Cup All-Star Team: 1966
- Officer of the Order of the British Empire: 1970
- Daily Express Sportsmen of the Year: 1971, 1972
- FWA Footballer of the Year: 1972
- Football League 100 Legends: 1998
- English Football Hall of Fame: 2002
- NASL Goalkeeper of the Year: 1977
- FIFA 100: 2004
- PFA Team of the Century (1907–1976): 2007
- Freedom of the City of Stoke-on-Trent 16 October 2014.
- Freedom of the Borough of Newcastle-under-Lyme 23 February 2018.
経歴
- →
クリーブランド・ストッカーズ 1966
セント・パトリックス 1977
フォートローダーデール 1977-1978
代表歴 | |||
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1963-1972 | ![]() |
73 | (0) |
クラブ
ミルスポーやロマーシュといったアマチュアクラブを経た後、当時ディビジョン3にあったチェスタ-フィールドとプロ契約を結ぶ。
1956年、チェスターフィールドに加入した翌年のFAユースカップ決勝に進出するが、ボビー・チャールトン率いるマンチェスター・ユナイテッドの前に敗れた。
1959年、レスター・シティに移籍、1964年にイングランド・リーグカップ優勝を果たした。
FAカップでは2度に渡って決勝の舞台に立った。
1971-1972シーズンのフットボールリーグカップで、PK止めなど好セーブを連発して、イングランドリーグ所属チーム中2番目の歴史を持つ、ストークシティFCに初の栄冠を齎した。
そしてこの年のFAは(イングランド)年間最優秀選手に彼を選んだ。
1972年10月22日、自動車事故によりフロントガラスの破片が右目に突き刺さり失明、引退を余儀無くされた。
この時彼の熱烈なファンが目の提供を申し出るが拒否している。
その後1975年アメリカにて再起をはかるが、怪我前の素晴らしさは影を潜めてしまった。
それでも1977年にはNASL最優秀GKに選出され有終の美を飾り、そのキャリアに終止符をうった。
代表
1963年の4月6日にスコットランド戦にて代表デビューを飾った。
1966年のワールドカップ・イングランド大会では、グループリーグから準々決勝のアルゼンチン戦まで無失点に抑える活躍で代表の勝利に貢献。
続く準決勝のポルトガル戦後半37分にエウゼビオに得点を許すまで無失点記録(443分)は続いた。
同大会を通じて失点を3点に抑え母国開催での優勝に貢献した。
1970年のワールドカップ・メキシコ大会では、同国はベスト8に留まるが、バンクスはサッカー史上に残るプレーを披露している。
1次リーグのブラジル戦、序盤から攻勢に出たブラジルだったが、絶好調のバンクスはゴールを阻止した。
前半18分、ジャイルジーニョからセンタリングが上がった際、ペレはニアサイドを警戒していたバンクスの裏をかき、逆サイドに走り込んできた。
ペレがフリーの状態で無人のゴールにヘディングシュートを叩き込んだかに見えたが、バンクスはこれに反応しゴール寸前でボールを弾き出した。
のちにペレはこのプレーを「私が今まで見た中で最高のセーブ」と評している。
エピソード
現役引退後の1979年にはAFCテルフォード・ユナイテッドの監督に就任。
2000年2月には古巣ストーク・シティの会長に就任。
2015年に腎臓がんを患い、闘病中であることが報じられていたが、2019年2月12日、現役時代に所属したレスター・シティやストーク・シティおよび各メディアは、同日にバンクスが死去したことを発表した。
プレースタイル
生まれながらの恵まれた体格、驚異的な身体能力と判断力を兼ね備え、安定したプレーからイングランド史上最高のゴールキーパーと称される。
その鉄壁のセービングと名前から、強固な金庫を蔵するイングランド銀行になぞらえ「Banks of England」の異名を持つ。
的確なポジショニングとその驚異的なセービングと判断力で常に安定した力を発揮し一時代を築いた。