概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1922年4月5日 | ||
出身地 | プレストン | ||
没年月日 | 2014年2月14日(91歳没) |
173cm
ポジションはフォワード(右ウイング、左ウイング)。
右利き。
愛称は「プレストンの配管工」。
40年代から50年代に活躍した伝説のウインガー。
1960年に引退するまでプレストン・ノースエンド一筋でプレー。
イングランド代表にも選ばれ、76試合に出場し30得点を記録した。
1999年、 ワールドサッカー誌の20世紀の偉大なサッカー選手100人で50位に選出された。
獲得タイトル
クラブ
プレストン・ノースエンド
- Football League Second Division: 1950–51
- FA Cup: Runner-up 1954
個人
- FWA Footballer of the Year: 1954, 1957
経歴
クラブ | |||
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1946-1960 | ![]() |
433 | (187) |
代表歴 | |||
1946-1958 | ![]() |
76 | (30) |
クラブ
プレストンのホームスタジアム、ディープデイルのすぐそばで生まれました。
幼少時は病弱で、14歳で145cmしか身長がありませんでした。
15歳でブレストンと契約を交わしますが、戦争が始まったためリーグが中断します。
自身はエジプトで従軍することになりました。
その影響でデビューが先送りになり、1946年8月のリーズ戦にて24歳でプロデビューを果たし、すぐにレギュラーに定着しました。
その後一貫してプレストンでプレー。
52/53シーズンにアーセナルと勝ち点差で並ぶものの得失点差で涙を呑み、翌53/54シーズンはFA杯決勝でWBAに敗れました。
個人としては1954年、57年とイングランド最優秀選手を獲得しました。
1960年に38歳で現役を引退し、1979年には最優秀功労賞を受賞。
代表
1946年9月28日の北アイルランド戦で代表デビューします。
自身のポジションにはマシューズがおり、両足を使えることから左WGのレギュラーとなりました。
1950年W杯は3試合に出場。
1954年大会で3試合戦い、準々決勝のウルグアイ戦でゴールを挙げました。
1958年大会は唯一出場したソ連戦でゴールを決めました。
エピソード
フィニーは配管工としても収入を得ていたことから、「The Preston Plumber(プレストンの配管工)」のニックネームで知られた。
フィニーと同時代に活躍し、トッテナムの選手としてプレストン・ノースエンドのFWトム・フィニーと何度かプレーしているスパーズ・レジェンドの元ディフェンダー メル・ホプキンスは
「私の個人的見解だが、トム・フィニーはスタンリー・マシューズよりも優れた選手だった。
トムは左ウィングでも右ウィングでも、そしてセンターフォワードでもプレーができたが、スタンはご存知の通りディフェンス・ラインに張り付くタイプのストライカーであったからね。
そこで抑えることができれば、手を焼くことは無い選手だったんだよ。
しかし、トムはボールを奪えるし、ヘディングも上手かった。そういった点において、スタンレー・マシューズよりも組み難い相手だったんだよ。
プレストンでは、左右のウィングでプレーしていたが、イングランドではほとんど左ウィングとしてプレーしていた。
彼をメンバーから外すのはあまりにも惜しかったために、スタンレー・マシューズが右サイドに入ったほどさ。
私がトッテナムで対戦した際に、トムはプレストンの右ウィングでプレーした。
彼が相手にいるだけで、気を抜くことができなかったね。
ボールをひとたび持てば、素晴らしいボール・コントロールでゴールも決めれた。
一度、彼がセンター・フォワードでプレーして我々と対戦したときに、ホワイトハート・レーンで6‐2の大敗を喫したことを覚えているよ。
私は彼のことをとても高く評価していた。
彼はファンタスティックなフットボーラーだったよ。
今のイングランド代表チームでも、現役時代の彼なら間違い無く通用するね。
魅力的なフットボーラーであると同時に、友人としても最高の男だった。
本当に良い奴で、誰もが会いたくなるような力がある。
とても腰の低い男だ。
そして何よりプレストン一筋を貫いているところが彼らしいところさ。
彼は、全世代を通じても最高のフットボーラーの一人に挙げられるだろう。
ただし、私を除いてね。
その時代時代で最高の選手を挙げていくとすれば、彼の名前が挙がらないことはないはずだ。
プレストンは当時、本当に素晴らしいチームだった。
トムだけじゃなく、トミー・トンプソンや他にも優れたフットボーラーがいた。
1950年代の彼らは最強のチームだったよ。
プレストンやバーンリー、ウルブスやウェストブロムといったチームがあの時代は強かったが、トム・フィニーは時代を超えた最高の選手さ」
と語っている。
1998年に大英帝国勲位を授かると、1956年のスタンフォード・ブリッジで泥まみれのチェルシー・ディフェンダーに囲まれながらもボールを保持し続けるフィニーを撮影した有名な写真をモチーフとした銅像が、プレストンのホーム・スタジアム「ディープデイル」の敷地内に設立。
噴水の中に置かれたその像は、「ザ・スプラッシュ(The Splash)」と名づけられている。
2005年にプレストン・ノースエンドの会長に就任。
2014年2月14日に死去した。
91歳没。
プレースタイル
両足を器用に使いこなし、ドリブル、スピード、得点センス、爆発的な威力の中距離砲を持つウインガー。
両サイドに加え、中央でもプレーできるユーティリティー性を持っています。
見かけは色白で数字の上でも華奢な部類ですが、頑健で優れたボディバランスがあります。
ヘディングも強く、ディフェンス面でもボール奪取で貢献できた。