概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1940年2月20日(80歳) | ||
出身地 | ロンドン |
173cm
ポジションはフォワード(センターフォワード)。
利き足は右。
愛称は「ゴール・マシーン」。
イングランド史上最高のフォワードとも称される伝説の選手。
60年代のイングランドを代表する選手で、1966年ワールドカップ・イングランド大会優勝メンバーの一人。
「イングランド1部リーグ、最多得点 357ゴール(516試合)」 記録保持者。
イングランド・リーグ 得点王 最多 6回 (1959、61、63-65 [3年連続] 、69)
ジミー・グリーブスがイングランド1部を去って49年も経つが、(2020年現在)、
誰もこの 「得点数」 と 「得点王回数」を抜けない。
グリーブスは地元開催、ワールドカップ1966では、負傷した為、先発から外れた。
その後、イングランドは、グリーブスが抜けた穴をジェフ・ハーストが埋め、優勝を果たした。
グリーブスは、ワールドカップで目立っていない為か、日本では非常に知名度が低い選手である。
しかし、紛れもない超一流選手である。
獲得タイトル
クラブ
チェスシー
- FA Youth Cup runner-up: 1957–58
A.C. ミラン
- Serie A: 1961–62
トッテナム・ホットスパー
- FA Cup: 1961–62, 1966–67
- FA Charity Shield: 1962, 1967 (shared)
- European Cup Winners Cup: 1962–63
- Football League First Division runner-up: 1962–63
代表
イングランド代表
- FIFA World Cup: 1966
- British Home Championship (5): 1959–60 (shared), 1960–61, 1963–64 (shared), 1964–65, 1965–66; runner-up (3): 1961–62, 1962–63, 1966–67
経歴
クラブ | |||
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1957–1961 | ![]() |
157 | (124) |
1961 | ![]() |
12 | (9) |
1961-1970 | ![]() |
321 | (220) |
1970-1971 | ![]() |
38 | (13) |
代表歴 | |||
1959-1967 | ![]() |
57 | (44) |
クラブ
1957年にチェルシーFCでプレミアリーグデビュー。
「1年目から22ゴール(37試合)」 を挙げた。
彼は、1年目から既にチームのエースだった。
シーズン2年目、グリーブスは、「19才で32ゴール (42試合)」を挙げ、初得点王に輝いた。
グリーブスは、19才で既に、イングランドで一番のフォワードだった。
まさに天才少年だった。
また19才でイングランド代表デビューもし、デビュー戦から、ペルー相手に代表初ゴールを決めた。
そして、2年後、グリーブスは、21才で、41ゴール(40試合)を挙げ、再びリーグ得点王(2回目)に輝いた。
グリーブスは、1960年に、「史上最年少(20歳 290日)、リーグ戦100得点」 を達成した。
1960-61シーズンの41得点は現在もクラブ記録として残っている。
チェルシーでは通算157試合で124得点を挙げた。
ジミー・グリーブスのイングランドでの活躍は、外国に知れ渡り、彼は1961年、21才の若さでイタリアのビッグ・クラブ、ACミランへ移籍した。
そして、グリーブスは、「12試合 9得点」 という驚異的なペースで得点をしていた。
しかし、監督と揉めて、グリーブスは激怒し、僅か3カ月で、イングランドに帰国した。
この監督との対立の原因は、試合中に起きたことが発端である。
試合中、グリーブスが反則を犯した。
それで、相手チームにフリーキックを与えた。
それで、敵チームは、そのフリーキックを決めて、得点を挙げた。
その試合後、監督が、グリーブスを激しく責めた。
それで、グリーブスが激怒して収まらず、それでイングランドに帰ることになった訳である。
グリーブスは、イタリアでも余裕で通用していた。
彼は、監督とトラブルが起きなければ、イタリアでも軽く得点王になれただろう。
残念な話である。
ミランで14試合に出場後すぐにトッテナム・ホットスパーFCに移籍し、1961年から1970年まで在籍。
321試合でクラブ記録の220得点を挙げ、1963年、1964年、1965年、1969年の4度得点王に輝いた。
1962年と1967年にFAカップ優勝。
1963年にUEFAカップウィナーズカップ優勝。
リーグでは通算516試合に出場し、史上最多の357得点を挙げた。
1970年にウェストハム・ユナイテッドFCに移籍。
38試合で13得点を挙げ31歳という若さで1971年に引退。
代表
1959年5月17日のペルーとの親善試合で代表デビューし、デビュー戦で代表初ゴールを挙げる。
1963年11月20日の北アイルランド戦と1966年6月29日のノルウェー戦では1試合4得点を記録している。
1962年W杯チリ大会では、1次リーグ2試合目のアルゼンチン戦でW杯初ゴール。
イングランドは決勝トーナメントに進出するが準々決勝でブラジルに敗退。
地元開催となった1966年W杯イングランド大会では、ロジャー・ハントの活躍で1次リーグを1位で突破。
グリーブス自身は1次リーグ3試合目のフランス戦で足を痛めたため決勝トーナメントには出場しなかったが、イングランドはアルゼンチン、ポルトガルを破り決勝に進出。
西ドイツを延長で破り初優勝を飾った。
W杯通算成績は7試合に出場し1得点。
1967年5月27日のオーストリアとの親善試合が代表最後の試合となった。
代表通算57試合で44得点を記録。
ウェイン・ルーニー、ボビー・チャールトン、ガリー・リネカーに次ぐ歴代4位。
代表でのハットトリック6回は最多記録である。
エピソード
グリーブスの才能は、当時のイギリスではずば抜けていた。
その後、有望な選手が登場しても、結局、誰も追い越せないというのが50年も続いている。
イングランド・リーグ最多得点数、357ゴール。
イングランド・リーグ得点王回数、史上最多6回。
アラン・シアラー、ティエリ・アンリ、ウェイン・ルーニー、ハリー・ケインなどは結局、この記録を追い抜けなかった。
「イングランド・リーグ、史上最高ストライカー」 は、21世紀に入っても、依然としてグリーブスのままである。
グリーブスを追い抜ける選手はイングランド・リーグ (プレミア・リーグ)で、永遠に出て来ないかも知れない。
引退後グリーブズは1979年にサン紙のコラムニストになった。
彼は2009年までコラムを書き続け、それからサンデー・ピープルのコラムニストとして働き始めた。
彼は1980年からスターサッカー評論家として働き、その後、1982年のFIFAワールドカップのITVの報道の評論家として選ばれた。
彼は生涯、多くの本を書いた。
プレースタイル
爆発的な加速とスピードを持っており、さらに天性のポジショニングセンスでゴールを量産した。
また彼は優れたドリブラーでもあり、そのスピードとドリブルで敵のディフェンダーを抜き去る。
ポジショニングのセンスも一流でゴールを入れるビジョンが優れている。
シュートスキルも素晴らしく両足から強烈なシュートを放ち得点を量産する。
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