概略
国籍 | ![]() ![]() |
||
---|---|---|---|
生年月日 | 1966年10月10日(53歳) | ||
出身地 | ロンドン・ラムフォード | ||
身長 | 191cm | ||
体重 | 83kg |
ポジションはディフェンダー(センターバック)。
利き足は右。
愛称は「キャプテン・ファンタスティック」、「ミスター・アーセナル」。
90年代のイングランドを代表するセンターバック。
アーセナル一筋でプレイしたミスター・アーセナル。
同クラブで数々のタイトルを勝ち取った偉大なるキャプテン。
獲得タイトル
クラブ
アーセナル
- Football League First Division: 1988–89, 1990–91
- Premier League: 1997–98, 2001–02
- FA Cup: 1992–93, 1997–98, 2001–02
- Football League Cup: 1986–87, 1992–93
- Football League Centenary Trophy: 1988
- European Cup Winners’ Cup: 1993–94
- FA Charity Shield: 1991 (Shared), 1998
個人
- PFA Young Player of the Year: 1986–87
- PFA First Division/Premier League Team of the Year: 1986–87, 1993–94, 1995–96, 1996–97
- PFA Team of the Century (1907–2007):
- Team of the Century 1997–2007
- Overall Team of the Century
- Premier League 10 Seasons Awards: (1992–93 – 2001–02)
- Overseas Team of the Decade
- Overall Team of the Decade
- Premier League 20 Seasons Awards: (1992–93 – 2011–12)
- Public choice Fantasy Teams of the 20 Seasons
- Panel choice Fantasy Teams of the 20 Seasons
- English Football Hall of Fame: 2004
- Football League 100 Legends
- Member in The Most Excellent Order of the British Empire (MBE): (1999 Birthday Honours)
経歴
クラブ | |||
---|---|---|---|
年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1983-2002 | ![]() |
504 | (32) |
通算 | 504 | (32) | |
代表歴 | |||
1985–1986 | ![]() |
5 | (1) |
1986–1987 | ![]() |
15 | (7) |
1987-2000 | ![]() |
66 | (5) |
クラブ
少年時代、アダムス自身がファンであったウェストハムでプレーした後アーセナルへ加入、1983年11月のサンダ-ランド戦にてチームデビューを果たしその2ヶ月後にプロ契約を結ぶ。
ここでオレアリー等と供にプレーする事で著しい成長を見せ1986-87シーズンには頭角を現してリーグ新人賞を受賞するとともに1989年にはチーム史上最年少でキャプテンを任され、このシーズンのリーグ優勝に大きく貢献した。
1989-90シーズンからはチーム史上最年少でキャプテンに就くとナイジェル・ウィンターバーン、リー・ディクソン、マーティン・キーオンとの4バックはフェイマス4と呼ばれ強固な守備で、同シーズンのリーグ優勝など、アーセナルの黄金期を支えた。
90/91、97/98シーズンのリーグ優勝、93/94シーズンのカップ・ウィナーズ・カップ優勝など数多くのタイトルに貢献。
その一方で無類の酒好きであったことからトラブルも絶えず、1990年には飲酒運転による事故を起こし処分も受けている。
しかし、アーセナル一筋でプレーしたことからサポーターからは「ミスター・アーセナル」とも呼ばれていた存在でもあった。
晩年は年齢的なものや、怪我などに悩まされシーズンを通して活躍する事は出来なかったが、キャリアの最後をリーグ制覇、FAカップの2冠で有終の美を飾った。
2001-02シーズンにリーグとFAカップの二冠を手にしたのを最後に現役を引退した。
代表
代表としては各年代の代表チームを経て1987年2月18日スペイン戦にてデビュー。
当時の代表監督であったボビー・ロブソンにして「現代のボビー・ムーア」とまで称された。
2001年1月に代表引退を表明するまで国際Aマッチ66試合出場、5得点。
エピソード
その長き年月はアルコール中毒との戦いであった事でも知られ、1990年には酒酔い運転での大事故から4ヶ月の禁固刑を言い渡されている。
2000年9月、アダムスはアルコール依存症と薬物中毒に関する自身の経験の結果として、アルコール、薬物、またはギャンブル依存症に苦しむ人々の治療、カウンセリング、サポートを提供することを目的とした慈善財団であるSporting Chance Clinicを設立しました。
2006-07シーズン、ポーツマスFCでコーチを務める。
2008年10月にハリー・レドナップがトッテナム・ホットスパーFCより“断りきれないオファー”を受け電撃的に移籍し同チームの監督に就任したことを受け、監督に昇格する。
しかし、ホームでのリヴァプールFCとの対戦を2-3で落とした翌日の09年2月9日に解任された。
就任後のリーグ戦16試合でわずか2勝と成績不振だった。
この件に関して、アーセナルFCの監督であるアーセン・ベンゲルは、フロントが見切りをつけるのがあまりにも早い、若い監督には時間を与えるべきだと苦言を呈した。
2008年12月28日のエミレーツスタジアムで行われたアーセナルFCvsポーツマスFCでは、敵将であるにもかかわらずアーセナルサポーターに拍手で迎えられるなど、いまなお「ミスター・アーセナル」は健在である。
2017年4月10日、スペイン・プリメーラ・ディビシオンのグラナダCFの監督就任が発表された。
プレースタイル
トニー・アダムスは高さ、1対1の強さ、統率力と抜群の能力を発揮し、驚く程のスタミナも兼ね備えた。
イングランド史上、屈指のストッパーであった。
勇敢で献身的なディフェンダーである彼の主な特徴は、リーダーシップ、空中戦の強さ、そしてゲームを読んでタックルでボールを奪取する能力です。
また常に全力でプレーする姿はチームリーダーに相応しく、「ミスター・アーセナル」とまで呼ばれたスタープレーヤー。
90年代のアーセナルやイングランド代表の守備の中心選手だった。
キャプテンシーも持ち合わせ、チームリーダーとしてチームを支えた。