概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1986年3月30日(34歳) | ||
出身地 | セビリア | ||
身長 | 184cm | ||
体重 | 82.2kg |
ポジションはディフェンダー(センターバック、右サイドバック)。
利き足は右。
愛称は「カマスのファラオ」、「ターザン」。
長きに渡りスペイン代表とレアル・マドリードの守備の要として君臨した。
セビージャの下部組織出身。
19歳で移籍したレアル・マドリードではクラブ最多となる22タイトルを獲得し、キャプテンとしてUEFAチャンピオンズリーグ3連覇などを成し遂げた。
レアル下部組織出身者以外で最も多くの試合に出場した選手である。
スペイン代表では2010年のFIFAワールドカップ、2008年、2012年のUEFA欧州選手権で優勝を経験。
ヨーロッパの選手としてジャンルイジ・ブッフォンに次ぐ170試合に出場している。
獲得タイトル
クラブ
レアル・マドリード
- La Liga: 2006–07, 2007–08, 2011–12, 2016–17, 2019–20
- Copa del Rey: 2010–11, 2013–14
- Supercopa de España: 2008, 2012, 2017, 2019–20
- UEFA Champions League: 2013–14, 2015–16, 2016–17, 2017–18
- UEFA Super Cup: 2014, 2016, 2017
- FIFA Club World Cup: 2014, 2016, 2017, 2018
代表
スペイン代表 U19
- UEFA European Under-19 Championship: 2004
スペイン代表
- FIFA World Cup: 2010
- UEFA European Championship: 2008, 2012
- FIFA Confederations Cup: Runner-up 2013; Third place 2009
個人
- La Liga Breakthrough Player of the Year: 2005
- FIFA FIFPro World11: 2008, 2011, 2012, 2013, 2014, 2015, 2016, 2017, 2018, 2019
- UEFA Team of the Year: 2008, 2012, 2013, 2014, 2015, 2016, 2017, 2018
- FIFA World Cup Dream Team: 2010
- La Liga Best Defender: 2011–12, 2012–13, 2013–14, 2014–15, 2016–17
- UEFA Euro Team of the Tournament: 2012
- FIFA Confederations Cup Dream Team: 2013
- UEFA Champions League Squad of the Season: 2013–14, 2015–16, 2016–17, 2017–18
- FIFA Club World Cup Golden Ball: 2014
- FIFA Club World Cup top scorer: 2014
- UEFA Ultimate Team of the Year: 2015
- La Liga Team of the Season: 2015–16
- UEFA La Liga Team of the Season: 2016–17, 2019-20
- ESM Team of the Year: 2007–08, 2011–12, 2014–15, 2016–17
- UEFA Defender of the Season: 2017, 2018
- IFFHS Men’s World Team: 2017, 2018, 2019
- Castrol Performance Index: 2010 FIFA World Cup Castrol Index Winner
- Castrol Performance Index: UEFA Euro 2012 Castrol EDGE Index Winner
- EA Sports FIFA Team of the Year: 2016, 2017, 2018
- Luis Aragones Award: 2016
経歴
クラブ | |||
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
2003-2004 | ![]() |
26 | (2) |
2004-2005 | ![]() |
39 | (2) |
2005- | ![]() |
454 | (70) |
代表歴 | |||
2002 | ![]() |
1 | (0) |
2004 | ![]() |
6 | (0) |
2004 | ![]() |
6 | (0) |
2005- | ![]() |
170 | (21) |
クラブ
セビリア、カマスにて3人兄妹の次男として生まれる。
幼少期には友人と共に近所の広場で木や石をゴールに見立ててサッカーをしていた。
当時は闘牛士になる事を志していたが、母親に反対された事を機にサッカーに熱中するようになる。
6歳でカマスのチームでスタートし、8歳で提携していたセビージャFCに入団した。
セビージャの下部組織ではヘスス・ナバスやアントニオ・プエルタらと一緒にプレーした。
ベルント・シュスターに風貌が似ていたことから、少年時代には「シュスター」というあだ名があった。
2004年2月、デポルティーボ・ラ・コルーニャ戦でトップチームデビューを果たし、その年の9月には初得点を記録した。
2004-05シーズンには18歳ながら41試合に出場し、ドン・バロン・アワードのブレイクスルー選手に選ばれた。
セビージャのトップチームに在籍したのはわずか2シーズンのみで、2005年夏にはスペインの10代選手としては最高記録となる2700万ユーロの移籍金でレアル・マドリードに移籍した。
レアル・マドリードではフェルナンド・イエロの背番号4を譲り受けた。
2005年12月6日のUEFAチャンピオンズリーグ・オリンピアコスFC戦で移籍後初得点を決めた。
2005-06シーズンは主にセンターバックとしてプレーし、チーム事情によっては守備的ミッドフィールダーとして起用されることもあった。
2006-07シーズンはファビオ・カンナヴァーロが加入したが、ポジションは守った。
2007年夏にセンターバックのクリストフ・メッツェルダーとペペが加入した後はミチェル・サルガドに変わって右サイドバックとして起用された。
2008年5月4日、CAオサスナ戦の試合終了間際にゴンサロ・イグアインのゴールをアシストし、31度目のリーグタイトル獲得を決めた。
レバンテUDとのリーグ最終戦では2得点を決め、リーグ戦の得点を5とした。
2008年にはFIFAとUEFAの両方の年間ベストイレブンに選ばれ、2007-08シーズンにはFIFProのベストイレブンに選ばれた。
バロンドール投票では21位にランクインした。
2008-09シーズンのスーペルコパ・デ・エスパーニャセカンドレグでは2試合合計で同点となる貴重な得点を決め、タイトル獲得に貢献した。
2009-10シーズンはクラブの第4キャプテンを務め、ペペの負傷によりシーズンの大半をセンターバックとしてプレーした。
2010年2月21日のビジャレアルCF戦でレアル・マドリード移籍後公式戦200試合出場・リーグ戦150試合出場を達成した。
2010-11シーズンは、ラウール・ゴンサレス、グティの退団により、副キャプテンを任されたが、当初からあまり調子が上がらず、2010年11月20日のアスレティック・ビルバオ戦で、クリスティアーノ・ロナウドからペナルティーキックを譲ってもらいシーズン初得点を決めた。
11月23日のUEFAチャンピオンズリーググループリーグアヤックス戦では、4-0でリードした後半終了間際にシャビ・アロンソが遅延行為で退場した後、ラモスも同じようにして退場となった。
この行為に関してUEFAの調査が入り、2万ユーロの罰金が科せられた。
2010年11月29日、カンプ・ノウで行われたFCバルセロナとのエル・クラシコでは、リオネル・メッシに対して激しいタックルを行い、その後抗議に来たカルレス・プジョルを突き飛ばして主審からレッドカードを受けた。
レアル・マドリードに移籍して以来5度目の退場処分であり、175試合にしてイエロの持つ退場数のクラブ記録と並んでしまった。
12月15日のレアル・サラゴサ戦にラモスは右足靭帯を負傷して出場することが出来なかったが、右サイドバックでアルバロ・アルベロアを起用したジョゼ・モウリーニョが「アルベロアはレギュラーとなる予定だった。彼は右サイドバックのポジションを勝ち取っていたんだ。この決定にセルヒオの負傷は関係していない」と発言。
モウリーニョとの確執がメディアで騒がれたが、本人が会長と面談して監督批判をしていないと否定したほか、ツイッターにも「何かしらの亀裂が生じていると誰かが言ったとしても、それは嘘だ。偉大なグループ、偉大な団結がここにはある」と書いてチーム内不和を完全に否定した。
2011年4月20日のコパ・デル・レイ決勝ではセンターバックとして出場し、1-0で優勝した。
その優勝パレードの最中、優勝カップをバスから落としてしまった。
2011-12シーズンはリカルド・カルヴァーリョの負傷などもあって主にセンターバックとしてプレーし、チームの4シーズンぶりの優勝に貢献した。
同シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ準決勝バイエルン・ミュンヘン戦において、2試合合計3-3でのPK戦となった際に4人目のキッカーを務めた。
しかし、1人目であったクリスティアーノ・ロナウド、2人目のカカと同じくPKに失敗し、レアル・マドリードは準決勝で姿を消した。
2013-14シーズンもリーガ・エスパニョーラでは4ゴールと相変わらずの得点力を示した。
UEFAチャンピオンズリーグでは準決勝のバイエルン・ミュンヘン戦では、フースバル・アレナ・ミュンヘンで前半に立て続けに2得点を記録して勝利を大きく引き寄せ、アトレティコ・マドリードとの決勝では、1点を追う後半のアディショナルタイム3分にルカ・モドリッチのコーナーキックにヘディングで合わせて同点。
チームを敗戦の危機から救い、クラブのラ・デシマ(10度目のチャンピオンズリーグ制覇)に貢献した。
決勝では、ファンの選ぶ最優秀選手となった。
2014年のFIFAクラブワールドカップでは、守備面での貢献に加えクルス・アスル戦、サン・ロレンソ戦でセットプレーから先制点を奪い、得点王になると共にゴールデンボールを受賞した。
2015年夏にイケル・カシージャスがFCポルトへ移籍したことにより、2015-16シーズンからはキャプテンを務める。
キャプテン就任直後、「子供の頃からキャプテンになることを夢見ていた。今、その夢が実現した」と語った。
また移籍も噂されたが2015年8月17日にレアル・マドリードとの契約を2020年まで延長したと正式に発表した。
自身2度目となるUEFAチャンピオンズリーグの決勝ではチャンピオンズリーグ決勝での2試合連続ゴールとなる先制点を奪い、PK戦でも第4キッカーを務めた。同試合ではMVPに選出され、キャプテン就任後初トロフィーとなるビッグイヤーを掲げた。
チャンピオンズリーグにおいて異なる2つの決勝戦で得点を挙げた史上5人目の選手となり、DFとしては初の快挙となる。
2016-17シーズン、2016年9月10日のオサスナ戦で今シーズンのリーグ戦初得点を記録したことで、リーガ・エスパニョーラタイ記録となるDFとしての13シーズン連続ゴールを記録した。
2017年3月7日、チャンピオンズリーグのSSCナポリ戦ではコーナーキックから得点を決めた。
2017-18シーズンのリーガ第12節、アトレティコ・マドリードとのマドリードダービーではリュカ・エルナンデスとの接触により鼻骨を骨折したが、プジョルの助言もありその後の試合はフェイスガードを着用してプレーした。
同シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでも存在感を見せ史上初の3連覇に貢献したが、決勝の前半31分にモハメド・サラーのドリブルを止める際にサラーを負傷させたプレーはリヴァプールFCやエジプト代表のファンをはじめ多くの非難を浴びた。
この批判に対しラモス本人は「それを負けた理由にしたいのだろう」と痛烈に反論した。
2018-19シーズン、2019年2月10日に行われたリーガ23節のアトレティコ・マドリード戦でPKからシーズン11得点目を決め、自身のシーズン最多得点を更新した。
3日後の2月13日、チャンピオンズリーグのアヤックス戦に出場し、レアル・マドリードでの公式戦600試合出場を果たした。
アヤックスに敗退した後、レアル・マドリード会長のフロレンティーノ・ペレスと衝突したことから退団が噂されたが、シーズン終了後の5月30日に記者会見を開き、残留を宣言した。
2019-20シーズン、2月26日、UEFAチャンピオンズリーグのマンチェスター・シティFC戦1stレグで後半41分にジェズスを倒して退場処分となり、エドガー・ダービッツとイブラヒモビッチに並びチャンピオンズリーグ史上最多タイとなる通算4度目の退場処分となった。
6月14日のエイバル戦でアザールのアシストからゴールを決め、ラ・リーガ通算68ゴールとし、DF登録の選手としてはこれまでロナルド・クーマンが保持していた最多ゴール数に並んぶと、24日のマジョルカ戦でPKによるゴールを決めて、リーグ戦通算69ゴールとして、最多ゴール記録を更新した。
リーグ最終節のレガネス戦で650試合出場を達成、シーズン11点目のゴールも決めた。
新型コロナウイルスによる影響で中断後、再開したリーグ戦では10試合で6ゴールを挙げるなど、これまでのキャリアで最多の11ゴールを決め、3シーズン振りのリーグ制覇に貢献した。
このリーグタイトルによりレアル・マドリードでの総獲得タイトルを22とし、マヌエル・サンチスの21タイトルを超えレアル・マドリード史上最多タイトル獲得選手となった。
代表
2004年、U-19スペイン代表に選出されUEFA U-19欧州選手権優勝を経験。
同年、U-21スペイン代表としても6試合の公式戦に出場した。
2005年3月26日、中国との親善試合でスペイン代表デビューし、過去55年での最年少出場記録を更新した。
この記録はその後、セスク・ファブレガスが更新している。
デビュー戦の7ヶ月後のサンマリノ戦で代表初得点を含む2得点を決め、6-0で快勝した。
クラブでチームメイトのサルガドに代わって代表に定着すると、2006 FIFAワールドカップでは右サイドバックのレギュラーを務めた。
2007年8月に親友のアントニオ・プエルタが亡くなってからは、プエルタが代表デビューした際の背番号15を着用している。
UEFA EURO 2008予選では11試合に出場して2得点し、スウェーデンを抑えての本大会出場を決めた。
オーストリアとスイスで共催された本大会では攻守両面にて質の高いプレーを見せ、ドイツとの決勝戦ではルーカス・ポドルスキを抑え込んだ。
優勝決定後には、アントニオ・プエルタの顔写真と「いつも一緒に」というメッセージが描かれたTシャツを着て優勝を祝った。
試合終了のホイッスルと共に蹴り上げられたボールを持ち帰ったため、決勝戦で使用されたボールのうちの1つは現在彼が所有している。
2009年のFIFAコンフェデレーションズカップ2009にもレギュラー右サイドバックとして臨んだが、準決勝でアメリカに敗れて3位に終わった。
その後の韓国戦では初めて代表キャプテンを務めた。
2010 FIFAワールドカップ・南アフリカ大会では全ての試合に右サイドバックとして先発出場して優勝に貢献し、FIFA選出のベストイレブンに選ばれた。
大会参加選手中もっとも多くのシュートを放ったディフェンダーであった。
優勝セレモニーでは記念ユニフォームの上にプエルタへのメッセージが書かれたシャツを重ね着し、「この優勝は亡きアントニオ・プエルタに捧げる」とのコメントを残した。
また、大会スポンサーであるカストロールが選んだ大会最優秀選手に選ばれた。
南アフリカW杯後、ユニセフの親善大使の一環として視察のためセネガルを訪れた。
UEFA EURO 2012予選のリトアニア戦で、スペイン代表70試合出場の最年少記録を達成した。
EURO 2012本戦ではジェラール・ピケとセンターバックのコンビを組み、スペインの優勝に貢献。
大会優秀選手に選ばれ、カストロールEDGEインデックスにおいて最優秀選手となった。
2013年3月のフィンランド戦で、代表史上最年少での100試合出場を達成し、自身も1得点したが、試合には引き分けた。
2014 FIFAワールドカップ・ブラジル大会においてはグループリーグ3試合すべてにフル出場し、オーストラリア戦ではキャプテンを務めた。
しかしスペインは1勝2敗でグループリーグ突破はならず、大会を後にした。
UEFA EURO 2016以降において、イケル・カシージャスではなくダビド・デ・ヘアがスターティングメンバーとして起用されるようになってからはスペイン代表でもキャプテンを務めた。
UEFA EURO 2020予選のフェロー諸島戦で通算122試合目の勝利となり、代表最多勝利数の世界記録を更新した。
2019年10月12日、ノルウェー戦で代表通算168試合目の出場を果たし、カシージャスの持つスペイン代表最多キャップを更新した。
エピソード
同じくセンターバック、サイドバックの両ポジションでプレーしていたパオロ・マルディーニからは引退前に後継者として指名され、マルディーニと同じくACミランのレジェンドDFであるフランコ・バレージは「ほかのDFとは異なる能力がある。強い個性を持った世界屈指のDF」と賞賛、特にラモスのセンターバックとしてのプレーを高く評価した。
ラモス自身も、手本としていた選手としてフェルナンド・イエロのほかにマルディーニの名前を挙げている。
ピッチ内では闘将として激しいプレーで味方を鼓舞し、ピッチ外ではスポークスマンを務めメディアに反論し続ける。
チームに与える影響も大きく、マルカ紙はラモス不在時にレアル・マドリードの勝率が下がる点を指摘している。
フラメンコや闘牛、ファッションを好み、サッカー以外にもテニスやゴルフを楽しんでいる。
馬好きでも知られ、アンダルシア州では飼育場を所有している。
なお、ラモスが飼育している馬の一頭であるシレンシオ・デ・ラモスは、2016年に同州のチャンピオンになった。
ナイキとスポンサー契約を結んでいたが、2016年夏に発表された「エリートパック」(ナイキが選定した11人の選手のみが着用できるスパイクモデル)に選ばれなかったことに激怒し、黒塗りのスパイクを履いていた。
別ブランドへの乗り換えも噂されたが、11月にナイキとの契約更新が発表され、それ以降は黒塗りされていない通常のスパイクを着用している。
体中の至る所にタトゥーを入れている。
右足ふくらはぎにFIFAワールドカップトロフィーを、左足ふくらはぎにはUEFAチャンピオンズリーグトロフィーのタトゥーをそれぞれ入れているほか、左耳の後ろには狼の漢字を入れている。
セビージャ時代の親友プエルタが亡くなって以降は、彼の背番号15をスペイン代表で着続ける。
プレースタイル
世界最高クラスのディフェンダー。
フィジカル、スピード、予測、タックル、戦術眼、攻撃参加した味方のカバーに加え、セットプレー、ボールコントロール、ロングフィード、ヘディングでの強さ等攻守双方において優れた能力を併せ持つ。
特に高いスピード、跳躍力、アジリティによってオープンスペースだけでなくゴール前での空中戦やクイックなアタッカーとの地上戦においても強みを発揮する。
サイドバックをしていた頃のスピード感を保ちつつセンターバックをしているので、俊敏である。
一般的にセンターバックの弱点はスピード不足であることが多いが、ラモス選手の場合はそれが当てはまらない。
スピード自慢の相手FW選手が裏に抜け出しても、軽々と1人で対応することができる。
世界でラモス選手のフィジカルと肩を並べられる選手はそう多くない。
1対1でのボールの奪い合いでは絶大な強さを誇る。
圧倒的なスペースがあっても、密集地隊でもお構いなく、相手プレーヤーを潰しにかかることのできる能力がある。
水際でシュートをブロックできる反射神経が図抜けているのが間違いないが、それをさらに驚異的なものにしているのがラモス選手の予測能力だ。
相手FWがどこにシュートを打ってくるのかまるで知っているかのように軽々とシュートを弾く。
ギリギリの場面だけではなく、両サイドバック、特に持ち場を離れ、自由自在にピッチを駆け回る左サイドバックのマルセロ選手の裏を狙われやすいレアル・マドリードでは、ラモス選手の予測能力が鍵となる。
「ラモス選手のいないレアル・マドリードなって考えられない」という声もしばし上がるが、それはこのチームの戦術を可能とさせている選手が、紛れもなくラモス選手だからだろう。
身長は183cmとセンターバックとしては特別高いわけではない。
しかし、空中戦でラモス選手が負けるところを見かけるほうが珍しい。
ディフェンスの場でその空中戦の強さが活かされていることは勿論だが、ここぞという場でフリーキックやコーナーキックから得点をあげる。
プロ入り前にはストライカーとしてプレーしていたため得点力が高く、レアル・マドリード移籍後の4シーズンで20ゴール以上を挙げており、ラ・リーガのDF登録選手としては歴代最多ゴール記録を保持している。
レアル・マドリードのアシスタントコーチを務めていたパウロ・カンポスは、イケル・カシージャスやロナウド、デビッド・ベッカムらとの居残り練習によって得点力が高められたと語っている。
レアル・マドリードにおいてクリスティアーノ・ロナウドの移籍後はPKキッカーも務め、非常に高い成功率を誇る。
ラモスはPKを蹴る際に助走に入った時からボールを全く見ずに相手ゴールキーパーの動きだけを注視し、ボールを蹴る直前にキーパーの動いた方向と逆にボールを蹴っている。
PKではパネンカを多用する。
スペイン紙のマルカは「キーパーがピクリと動いただけでも、ゴールを決めるためにどこにボールを蹴るべきなのかがラモスには分かる。シンプルに見えるが、とても勇気のいるやり方」と称賛している。
ラモスはPKのプレッシャーに対し「最大の緊張の瞬間は、僕が最も快適さを感じる瞬間であり、僕はその責任を負うのに理想的な人間だと思う」とコメントしている。
ロングボールに対するヘディングは、しっかりと味方にパスして処理。
ギリギリの場面でのスライディングも、味方につなぐことができてしまう。
サイドバックの経験から足元の技術にも優れていて、ドリブルでの持ち運びも苦にしない。
ロングフィードも高精度だ。
クリアが精一杯の場面で守備側からボールを確実につなげることのできる選手がいるだけで、チームの攻撃力は大きく変化する。
銀河系軍団としても名を馳せた「レアル・マドリード」という巨大なクラブのキャプテンを務めるためには、強大なキャプテンシーが必要とされる。
大らかなラテン気質の選手が集まるスペイン代表を主将としてまとめていることからも、仲間から信頼を寄せられやすいプレーヤーであることがわかる。
カルロ・アンチェロッティは、「個性、技術、ピッチ内外でのリーダーシップ、マルディーニが持っていたもの全てを兼ね備えている」とかつて指導したマルディーニと比較して賞賛、ファビオ・カンナヴァーロやフランコ・バレージの名前を挙げた上で「クオリティを考慮するならば、ラモスは最も完璧なDFだ。個性、技術、身体能力、統率力など全ての能力を有している。」と語った。
守備を統率する能力はフランツ・ベッケンバウアーと比較されることもある。
キエッリーニはそのリーダーシップや存在感などを高く評価する一方、サラーを負傷させた例を挙げ、時に故意に相手選手に怪我をさせると批判している。
一方でファールによる退場も多くリーガ史上最多の退場記録保持者であるとともにUEFAチャンピオンズリーグでも被イエローカード数が史上最多となるなど、カードコレクターとしても知られている。
ただし、スペイン代表では一度も退場処分を受けていない。
激しいプレースタイルは強い闘争心の現われである。