概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1972年7月17日(48歳) | ||
出身地 | カンペン | ||
身長 | 191cm | ||
体重 | 91kg |
ポジションはディフェンダー(センターバック、右サイドバック)。
利き足は右。
愛称は「ロボコップ」。
全盛期は世界屈指のディフェンダーであり、ロナルド・クーマンと並び「オランダ史上最高のディフェンダー」と称された。
獲得タイトル
クラブ
PSV
- Eredivisie: 1996–97
- KNVB Cup: 1995–96
- Johan Cruyff Shield: 1996, 1997
マンチェスター・ユナイテッド
- Premier League: 1998–99, 1999–2000, 2000–01
- FA Cup: 1998–99
- UEFA Champions League: 1998–99
- Intercontinental Cup: 1999
ラツィオ
- Coppa Italia: 2003–04
ACミラン
- Supercoppa Italiana: 2004
アヤックス
- KNVB Cup: 2006–07
- Johan Cruyff Shield: 2006, 2007
個人
- Dutch Footballer of the Year: 1997
- Dutch Golden Boot: 1997
- UEFA Club Best Defender of the Year: 1998–99, 1999–2000
- PFA Team of the Year: 1998–99 Premier League, 1999–2000 Premier League, 2000–01 Premier League
- ESM Team of the Year: 1998–99
- Overseas Team of the Decade – Premier League 10 Seasons Awards (1992–93 – 2001–02)
- FIFPro World XI Nominee 2005
経歴
クラブ
1992年にエールディヴィジのFCズヴォレでキャリアをスタートする。
その後、オランダのクラブを渡り歩き、95~96シーズンにPSVアイントフォーヘンに移籍。
当初からその実力は疑問視されていた。
だが次のシーズンには国内リーグで優勝に導く活躍をし、世界にもその名が知られるようになっていく。
オランダ最優秀選手にも選出された。
だがスタムの評価はそう高いものではなかった。
1998年にプレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッドFCへ移籍した。
その際もさほどの期待は集めなかった。
しかし、いざふたを開けてみると、ユナイテッドは世界最高のCBを獲得できた幸運を神に感謝することとなる。
1998-99シーズンは守備の要として三冠を達成する。
UEFAの選出するベストディフェンダーにも選ばれた。
スタムの絶頂期は、マンUに在籍した98~99シーズンからの3年間だ。
在籍した3シーズンすべてにおいてプレミアリーグ制覇。
プレミアリーグ優勝、チャンピオンズリーグ優勝、トヨタカップ制覇など数々の栄誉に輝き、マンUの黄金期を築いた。
終始安定したプレーを見せ、永年に渡りチームの弱点とされた守備を磐石なものにした。
しかし自ら発行した自叙伝が原因とされるアレックス・ファーガソン監督との確執により、セリエAのSSラツィオへ移籍した。
ところが今度はドーピング検査でナンドロロンの陽性反応が出たため、5ヶ月間の出場停止処分を科された。
後に控訴が認められ1ヶ月短縮された。
迎えた02/03シーズン開幕当初、チームの財政悪化からネスタやクレスポを放出し、チームは弱体化が予想されたが、スタム等を中心としたDF陣はリーグ3位となる失点数(30失点)に抑え、リーグ4位を確保、翌シーズンのチャンピオンズ・リーグ出場権獲得に大きく貢献して見せた。
03/04シーズンにはラツィオ加入以来初タイトルとなるコパイタリア優勝を成し遂げ、これを置き土産にミランへ移る事となった。
オランダ代表をEURO2004を最後に引退し、EURO後にACミランへ移籍した。
活躍の場をミランに移したスタムはセリエA随一の守備力を誇るミランDF陣に更なる安定感をもたらした。
2005-06シーズンをもってミランを退団、2006年夏に母国のアヤックス・アムステルダムに加入した。
キャプテンとして、数々の大舞台で培った経験を若手に還元することが期待された。
2007年10月29日、アムステルダム・アレナ(アヤックスの本拠地)で開かれた記者会見に臨み、体力の衰えを理由に現役生活に別れを告げた。
代表
代表デビューは1996年4月24日ドイツ戦でデビュー。
フランク・デブールより守備のリーダーの役目を受け継ぎ活躍したが、オランダ代表の宿命とも言うべきか、タイトルには恵まれず。
その後主力として活躍し1998年ワールド杯には全7試合に出場、4位の好成績に貢献すると2000年欧州選手権でもベスト4進出の原動力となった。
2002年ワールド杯での出場を逃したのは残念であったが、2004年欧州選手権ではベスト4進出の原動力となり活躍した。
大会終了後代表引退、クラブレベルに専念する事を表明している。
エピソード
見かけによらず、ショートダッシュではラツィオ時代チーム一番だった。
闘犬の異名で知られるエドガー・ダービッツの特殊ゴーグルを「スキーゴーグルか」と嘲弄したところ、アッパーカットを食らった。
長年プーマ社のスパイクを使用していたが、ミラン移籍以降はアディダス社のスパイクを愛用した。
現在はファーガソン監督に自叙伝に関する問題を正式に謝罪。
これによりファーガソンと和解し、現在はユナイテッドのスカウトとして世界中を飛び回る生活をしている。
プレースタイル
驚異の身体能力で相手FWを蹴散らすオランダ代表のディフェンダー。
どんな攻撃も力強く跳ね返し、空中戦、足下ともに安定した守備能力の高さを誇り、ディフェン
スラインの中央にそびえる大きな壁としてプレーをする。
191cmと長身ながら俊足を誇り、その風貌からは似合わず前線へのフィードも確実に出す。
映画「ロボコップ」を沸騰とさせるのはその風貌だけではない。
いまやヨーロッパを代表するディフェンダーの1人となり、あらゆる困難を前にしても、冷静沈着に使命を遂行する姿はまさしくロボコップ。
強靭な肉体を活かした重厚な守備が魅力的なパワースタイルの代表格の選手である。
競り合いに無類の強さを発揮し、接触プレーではその鋼の肉体で相手選手を寄せつけない強さを誇った。
大柄な割に走力も高く、駿足を武器に仕掛けてくるドリブラーにスピードで負けることは殆どなく、素早く体を入れてボールを奪取することもしばしば見られた。
本職はCBながらラツィオ時代はチーム事情から右SBを務め、守備面で堅実な働きを見せ周囲を驚かせた。
マンチェスターU、ACミラン、ラツィオなどのビッグクラブを渡り歩いたが、各クラブのフィジカルコーチは口を揃えて彼以上の運動能力のDFはいないと公言している。
唯一比較対象となる選手はアレッサンドロ・ネスタのみと言われていた。