概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1935年4月6日(85歳) | ||
出身地 | アルコス・デ・ハロン |
身長169 cm 体重68 kg
ポジションはミッドフィールダー(センターハーフ)。
利き足は右。
「7つの肺を持つ男」の異名をとった。
60年代をスペインを代表するミッドフィールダー。
レアル・ベティス、レアル・マドリード、ユヴェントス、ASローマでプレーした。
経歴
クラブ
1935年4月6日にアルコス・デ・ハロンで生まれたルイス・デル・ソルは、家族とともにセビージャに引っ越した。
そしてサッカーを始めると、16歳の時にレアル・ベティスのユースチームに加わる。
すぐに頭角を現したデル・ソルはウトレアへの期限付き移籍を経て、19歳の時にトップチームに昇格した。
デビュー戦は1954年10月17日、ベティスがセグンダ・ディビシオンに所属していた時だった。
1935年にリーグ制覇を達成した際のメンバー、フランシスコ・ゴメス監督が若き才能をピッチに送り出した。
1955年にはベニート・ビジャマリンがクラブの会長に就任。
この2人はクラブの1部リーグ定着に大きな役割を果たし、1958年に悲願であった国内最高峰リーグへの帰還が実現した。
当初はウィンガーだったデル・ソルはフィールドを動き回る自由が与えられ、徐々にパワフルかつスピードあふれるミッドフィールダーとして試合を支配していった。
同時にチームのキャプテンも任されている。
スペインサッカー界のスターとなったデル・ソルの名声は国内にとどまらず、欧州中のビッグクラブも放ってはおけない存在となった。
1960年4月2日、650万ペセタと3選手と引き換えに、レアル・マドリードへ移籍することが発表された。
ここでアルフレッド・ディ・ステファノ、フェレンツ・プスカシュなどの伝説の名選手たちとプレーした。
レアル・マドリード時代にデル・ソルは欧州選手権1回、インターコンチネンタルカップ1回、リーグ2回、コパ・デル・レイ1回の優勝を達成してる。
レアル・マドリードでは成功に満ちた日々を送り、わずか2シーズンの在籍でこれほど多くの栄冠を手にした選手もなかなかいないだろう。
1962年には350万ペセタの移籍金で、レアル・マドリードからユヴェントスに活躍の場を移した。
イタリアではスクデットとコパ・イタリアを1回ずつ制覇、キャプテンを任され、その強靭なフィジカルとスタミナから「7つの肺を持つ男」の異名を取った。
その活躍はファン投票によるクラブ史上最高の選手50人の一人として、2012年にユヴェントスの殿堂入りしていることからも分かるだろう。
1970年にASローマへ移った後、デル・ソルは1972年に古巣のレアル・ベティスに帰還を果たす。
2度目のデビューは1972年10月2日、スポルティング・ヒホン戦だった。
シーズンはベティスにとって成功とはならず、セグンダ・ディビシオンへの降格が決定。
38歳のルイス・デル・ソルは現役引退を決めた。
代表
スペイン代表としてはB代表でのプレーを経て、1960年5月15日にサンティアゴ・ベルナベウでのイングランド代表戦でA代表デビュー。
その後16試合に出場し、1962年チリ・ワールドカップ、1966年イングランド・ワールドカップ、1964年欧州選手権に参加している。
1964年にはスペインの初の欧州選手権優勝にも貢献。
スペインと世界のサッカー史に名前を残した名選手たち(ディ・ステファノ、プスカシュ、クバラら)とともに、当時のデル・ソルは世界最高の選手の一人としての評価を得ていた。
エピソード
引退後はレアル・ベティスの幹部としてクラブの発展に尽力している。
プレースタイル
あらゆるボールを追いかけていく非常に完成された力強い選手。
オールラウンドな能力を持ち攻守に貢献した。
パスセンスもあり攻撃の組み立て役としても優秀だった。
パワーとスピードを活かしたドリブル突破も魅力の一つ。
頭が良く、常に一歩先を考えていた。
サッカーIQが高く、ポジショニングのセンスも高い。
7つの肺を持つ男と称されるほど驚異的なスタミナを誇り、ピッチを所狭しと走り回った。
小柄ながらフィジカルもあり、パワフルかつスピードあふれるミッドフィールダーとして試合を支配していた。
強靭なメンタリティーとファイティングスピリットでチームのキャプテンを務めることもあった。