カルレス・プジョル

概略

国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 1978年4月13日(42歳)
出身地 ラ・ポブラ・デ・セグール
身長 178cm
体重 80kg

 

ポジションはディフェンダー(センターバック、右サイドバック)。

 

利き足は右。

 

愛称は「カピタン」、「シュレック」、「ターザン」など。

 

FCバルセロナの下部組織出身であり、1999年にトップチームに昇格、2004年にはキャプテンに就任し、2013-14シーズンを最後にFCバルセロナのフランチャイズ・プレイヤーとして現役を引退した。

 

この間、5度のリーガ・エスパニョーラ優勝、3度のUEFAチャンピオンズリーグ優勝など数々のチームタイトル、6度のUEFAチーム・オブ・ザ・イヤー、3度のFIFAチーム・オブ・ザ・イヤーなど、いくつもの個人タイトルも獲得した。

 

また、スペイン代表として、2000年にシドニーオリンピック、2002年と2006年と2010年にFIFAワールドカップ、2004年と2008年にUEFA欧州選手権に出場した。

 

UEFA EURO 2008ではスペイン代表の64年ぶりの優勝に貢献し、2010 FIFAワールドカップではスペイン代表の初優勝に貢献した。

 

獲得タイトル

クラブ

バルセロナ

  • La Liga: 2004–05, 2005–06, 2008–09, 2009–10, 2010–11, 2012–13
  • Copa del Rey: 2008–09; runner-up: 2010–11, 2013–14
  • Supercopa de España: 2005, 2006, 2009, 2010
  • UEFA Champions League: 2005–06, 2008–09, 2010–11
  • UEFA Super Cup: 2009
  • FIFA Club World Cup: 2009, 2011; runner-up: 2006

代表

スペイン代表 U23

  • Summer Olympic silver medal: 2000

スペイン代表

  • FIFA World Cup: 2010
  • UEFA European Championship: 2008
  • FIFA Confederations Cup third place: 2009

個人

  • La Liga Breakthrough Player of the Year: 2001
  • ESM Team of the Year: 2001–02, 2002–03, 2004–05, 2005–06
  • UEFA Team of the Year: 2002, 2005, 2006, 2008, 2009, 2010
  • UEFA Club Best Defender: 2006
  • FIFA/FIFPro World XI: 2007, 2008, 2010
  • UEFA European Championship Team of the Tournament: 2008
  • FIFA Confederations Cup Team of the Tournament: 2009
  • FIFA World Cup Dream Team: 2010
  • BBVA Fair Play award: 2011–12
  • UEFA Ultimate Team of the Year (published 2015)
  • World XI: Team of the 21st Century
  • UEFA Euro All-time XI (published 2016)
  • Golden Foot: 2016, as football legend
  • One Club Man Award: 2018
  • Prince of Asturias Awards: 2010
  • Gold Medal of the Royal Order of Sporting Merit: 2011

 

経歴

クラブ
クラブ 出場 (得点)
1996-1997 スペインの旗 バルセロナC
1997-1999 スペインの旗 バルセロナB 89
1999-2014 スペインの旗 バルセロナ 392 (18)
代表歴
1995 スペインの旗 スペイン U-18 3 (0)
2000 スペインの旗 スペイン U-21 4 (0)
2000 スペインの旗 スペイン U-23 5 (0)
2000-2012 スペインの旗 スペイン 100 (3)
2001-2012 カタルーニャ州の旗 カタルーニャ 6 (0)

 

クラブ

 

カタルーニャ州リェイダ県のラ・ポブラ・デ・セグールに生まれ、地元のクラブでサッカーを始めた。

 

最初はゴールキーパーだったが、肩の怪我を機にフォワードに転向した。

 

プジョルは少年時代を「両親はサッカー選手としての将来に懐疑的で、勉強を頑張るように言われた」と語っている。

 

1995年、17歳の時にFCバルセロナの下部組織であるラ・マシアに入寮し、守備的ミッドフィールダーに転向した。

 

1996年頃にはセグンダ・ディビシオン(2部)の数クラブからレンタル移籍のオファーがあったが、FCバルセロナを離れたくなかったために拒否した。

 

サイドハーフとしてプレーした時期もあったが、1997年のFCバルセロナB昇格後は右サイドバックとしてプレーした。

 

1999年、ルイス・ファン・ハール監督によってトップチームに招集され、10月2日のバリャドリード戦(アウェー、2-0)でプリメーラ・ディビシオン(1部)デビューした。

 

2000年10月、本拠地カンプ・ノウで行われたレアル・マドリードとのエル・クラシコでは、FCバルセロナからライバルのレアル・マドリードへ移籍したルイス・フィーゴとマッチアップし、フィーゴの突破を許さなかった。

 

2002年には欧州サッカー連盟 (UEFA) によってUEFAチーム・オブ・ザ・イヤー(右サイドバック)に選ばれた。

 

2003年夏にシーズンオフ、FCバルセロナは財政危機に陥っており、イングランドのマンチェスター・ユナイテッドがプジョル獲得に興味を示したが、移籍は実現せず、この2年後には契約を5年延長した。

 

2003年夏にフランク・デ・ブールが退団し、本格的にセンターバックに転向した。

 

2003-04シーズン終了後、ルイス・エンリケの現役引退に伴ってキャプテンに就任した。

 

2004-05シーズンと2005-06シーズンには2シーズン連続でリーグ優勝を果たし、2005-06シーズンには14シーズンぶり2度目のUEFAチャンピオンズリーグ制覇を成し遂げた。

 

2005年と2006年には2年連続でUEFAチーム・オブ・ザ・イヤー(センターバック)に選ばれ、2006年にはUEFAクラブ最優秀ディフェンダーに選ばれた。

 

2006年11月3日、父親が農作業中の事故によって死去した。

 

翌日のデポルティーボ・ラ・コルーニャ戦において、プジョルに代わってゲームキャプテンを務めゴールを挙げたロナウジーニョはキャプテンマークにキスし、プジョルにゴールを捧げた。

 

また、ライバルのエスパニョールの選手達は、リーグ戦でプジョル一家への励ましのメッセージが入ったTシャツを着て入場し、ライバル関係を超えてプジョルの心中を労った。

 

2008年には2年ぶりにUEFAチーム・オブ・ザ・イヤー(センターバック)に選ばれた。

 

2008年9月16日、UEFAチャンピオンズリーグのスポルティングCP戦で公式戦通算400試合出場を達成した。

 

2008-09シーズンは負傷に悩まされたが、28試合に出場してリーグ優勝に貢献し、2009年5月2日のエル・クラシコ (6-2) でシーズン唯一の得点を挙げた。

 

同シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝では右サイドバックのダニエウ・アウヴェスが累積警告により出場できず、プジョルが右サイドバックとして出場した。

 

2009年にはUEFAスーパーカップ、スーペルコパ・デ・エスパーニャ、FIFAクラブワールドカップなどにも勝利し、6冠を達成した。

 

2014年3月4日、度重なる怪我の影響で2013-14シーズン限りでの退団を表明した。

 

5月31日、アンドニ・スビサレッタSDのサポート役としてのフロント入りを発表した。

 

因みに、彼の着けていた背番号5はプジョル本人の指名でセルヒオ・ブスケツに引き継がれた。

 

2015年1月、アンドニ・スビサレッタSDの契約解消が決まり、自身もクラブを離れることをSNSで発表した。

 

代表

 

2000年11月15日、オランダ戦でスペイン代表デビューし、それ以来レギュラーとして出場し続けている。

 

2002年4月17日、ベルファストで行われた北アイルランドとの親善試合 (5-0) で代表初得点を挙げた。

 

2005年と2006年と2008年には欧州最優秀センターバックに選ばれた。

 

2006年には欧州最優秀ディフェンダーにも選ばれている。

 

2007年6月20日、南アフリカで行われた親善試合で左膝靭帯を断裂し、翌日には手術を受けたが、全治3ヶ月と発表された。

 

UEFA EURO 2008では守備陣の要としてチームを支え、5試合で2点しか許さなかった。

 

2008年のEURO2008ではセンターバックのレギュラーとして出場した5試合を2失点に抑え、スペインの優勝に貢献。

 

決勝でドイツに勝利して優勝し、センターバックのコンビを組んだカルロス・マルチェナと共に大会ベストイレブンに選ばれた。

 

2008年10月11日、2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選のエストニア戦 (0-3) で代表2得点目を挙げた。

 

2009年のコンフェデレーションズカップでは5試合中3試合に先発出場し、キャプテンのイケル・カシージャスが欠場したグループリーグ最終戦では代わりにキャプテンを務めた。

 

スペイン代表は3位に終わったが、4人のチームメイトと共に大会ベストイレブンに選ばれた。

 

2010 FIFAワールドカップではジェラール・ピケとセンターバックのコンビを組んで全ての試合に先発出場し、準々決勝のパラグアイ戦で84分に途中交代した以外は試合終了までプレーした。

 

準決勝のドイツ戦 (1-0) では89分にシャビが蹴ったコーナーキックをヘディングで合わせ、決勝進出を確信する決勝点を決めた。

 

代表での1得点目と2得点目は大差が付いた段階での得点であり、初めての勝利に直結する得点であった。

 

決勝ではオランダを1-0で下し、初優勝を果たした。

 

7試合で2点しか許さず、GKイケル・カシージャスも含めた守備陣は抜群の安定感を誇った。

 

2010年8月1日、少なくともあと2年間はスペイン代表でのプレーを続けることを発表した。

 

エピソード

2006年、自身の生活について「静かな生活だよ。繁華街にあるナイトクラブには1回も行ったことがないんだ。外出するときは友人たちとレストランに行く時だ」と答えた 。

 

2009年、Goal.comに対して「頻繁に外出するのは好きじゃない。でも繋がりを絶つのは良いことだよ。家で本を読んでいるのが好きだね」と答えた。

 

ヨガとピラティス・メソッドを取り入れており、彼の友人によるとチベット仏教とその文化に興味を持っているようである。

 

2007年にはダライ・ラマに謁見している。

 

音楽ではナパーム・デスが好みである。

 

Crackoviaというテレビ番組で、ケサ (Queca) と名付けたヤギを飼っていることを明かした。

 

このヤギは、プジョル自身がカーリーヘアーであるためプレゼントされたものである。

 

初めてトップチームで練習した19歳の時、ルイス・ファン・ハール監督に「美容院に行くお金がないのかい?」と髪を切ることを提案されたが、「いえ、今は髪を切りたくないのです」と切り返した。

 

人格者としても知られている。

 

カンプノウで、フィーゴが初めてレアルの選手としてプレーした試合で、フィーゴはプジョルを尊敬し始めた。

 

フィーゴがコーナーキックを蹴ろうとするたびに、ゴミが投げつけられた。

 

バルサの選手で唯一、観客をなだめて、フィーゴを気遣っていたのが、プジョルだった。

 

プレースタイル

当時、世界最高クラスのディフェンダー。

 

バルセロナ一筋で過ごし、圧倒的なリーダーシップで“偉大なるカピタン”と呼ばれた。

 

闘将、バルサの象徴などとも呼ばれるクラブの支柱。

 

基本はCBだが右SBでプレーすることも。

 

最終ラインならば、どのポジションでも遜色なくプレーできる。

 

体格に優れているわけではないものの1対1に滅法強く、決して長身でもないのに空中戦では無類の強さを発揮する。

 

スタミナ、スピード、カバーリング力もありDFとして申し分なし。

 

チームへの献身性や頑強さが持ち味のディフェンダーである。

 

FCバルセロナのチーフドクターによれば、「彼の長所は素早い反応と爆発的な強度」である。

 

FCバルセロナのファンは彼を「岩壁」(The Wall) という愛称で呼んでいる。

 

プジョルと一緒にプレーしたこともあるミゲル・アンヘル・ナダルは「カルラスは優れたポジショニングのセンスを持ち、とりわけFCバルセロナの選手としての誇りを持っている」と語った。

 

リーダーシップと生真面目さで知られており、チームの全体練習が終わった後も個人練習を続けることがある。

 

2010年、「僕はロマーリオのテクニックも、マルク・オーフェルマルスの速さも、パトリック・クライファートの力強さも持っていないが、他の選手より懸命に働く。頭が良くなくても何度も復習を重ねて最終的に試験に合格する学生が好きだ」と述べた 。

 

彼はしばしば「FCバルセロナの心臓」と表現される。

 

チームメイトのジェラール・ピケは「もし残り時間が少ない中で3-0で勝っていても、大声で味方に指示を続けるのが彼だ」と語った。

 

カルレス・プジョールはスペイン代表の歴史の中でも最高のキャプテンの一人だ。

 

リーダーシップもあり、泥臭いプレーが信条。

 

ファイティングスピリットに溢れるプレイヤー。

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