概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1987年2月2日(33歳) | ||
出身地 | バルセロナ | ||
身長 | 194cm | ||
体重 | 85kg |
ポジションはディフェンダー(センターバック)。
利き足は右。
愛称は「 ピッケンバウアー」。
FCバルセロナの下部組織(カンテラ)出身であるが、2004年にマンチェスター・ユナイテッドFCに移籍し、4年間イングランドでプレーした。
2008年にバルセロナに戻り、2008-09シーズンに3冠(リーガ・エスパニョーラ・コパ・デル・レイ・UEFAチャンピオンズリーグ)の快挙を達成した。
マンチェスター・ユナイテッドでもUEFAチャンピオンズリーグ優勝を経験しており、異なるクラブで2年連続チャンピオンズリーグ制覇を果たした数少ない選手の1人(2012年6月時点でマルセル・デサイー、パウロ・ソウザ、サミュエル・エトー、ピケの4人)である。
スペイン代表には2009年にデビューし、レギュラーとしてプレーした2010 FIFAワールドカップでは世界制覇に貢献した。
獲得タイトル
クラブ
マンチェスター・ユナイテッド
- Premier League: 2007–08
- FA Community Shield: 2007
- UEFA Champions League: 2007–08
バルセロナ
- La Liga: 2008–09, 2009–10, 2010–11, 2012–13, 2014–15, 2015–16, 2017–18, 2018–19
- Copa del Rey: 2008–09, 2011–12, 2014–15, 2015–16, 2016–17, 2017–18
- Supercopa de España: 2009, 2010, 2011, 2013, 2016, 2018
- UEFA Champions League: 2008–09, 2010–11, 2014–15
- UEFA Super Cup: 2009, 2011, 2015
- FIFA Club World Cup: 2009, 2011, 2015
代表
スペイン代表
- FIFA World Cup: 2010
- UEFA European Championship: 2012
- UEFA European Under-19 Championship: 2006
個人
- La Liga Breakthrough Player of the Year: 2008–09
- La Liga Best Defender: 2009–10
- La Liga Team of the Season: 2014–15, 2015–16
- UEFA Champions League Team of the Season: 2014–15
- UEFA La Liga Team of the Season: 2016–17
- UEFA European Championship Team of the Tournament: 2012
- UEFA Team of the Year: 2010, 2011, 2012, 2015, 2016
- FIFA FIFPro World11: 2010, 2011, 2012, 2016
- FIFA FIFPro World11 2nd team: 2013, 2015, 2017
- FIFA FIFPro World11 3rd team: 2014, 2018
- FIFA FIFPro World11 nominee: 2019 (9th defender)
- ESM Team of the Year: 2010–11, 2013–14, 2014–15, 2015–16
- Footballer of the Year in Catalonia:2019
- Gold Medal of the Royal Order of Sporting Merit: 2011
経歴
クラブ
祖父はFCバルセロナの元役員であり、父親はセグンダ・ディビシオンB(3部)でプレーしたサッカー選手である。
ピケは1987年に生まれてすぐFCバルセロナのソシオとなり、1997年には10歳にしてFCバルセロナの下部組織に入団した。
1999-2000シーズンにはセスク・ファブレガス、マルク・バリエンテらとともに一時代を築き、30試合で200得点を記録したチームの主力として活躍した。
その後、センターバックや守備的ミッドフィールダーとしてカンテラで経験を積み、2003-04シーズンにはトップチームにも招集された。
2004年夏、移籍金525万ユーロでイングランド・プレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッドFCに引き抜かれた。
10月のカーリングカップ・クルー・アレクサンドラFC戦でジョン・オシェイとの途中交代でデビューし、デビュー戦を3-0で飾った。
その後はリザーブチームでの出場がほとんどだったが、2005年2月に2009年夏までの新契約を結んだ。
2006年3月29日にオールド・トラッフォードで行われたウェストハム・ユナイテッドFCとのリーグ戦で初めてフル出場した。
クルー・アレサンドラ戦ではセンターバックとして起用されたが、ウェストハム戦では負傷中のガリー・ネヴィルの代役として右サイドバックとしてプレーしている。
2006年8月4日、母国のレアル・サラゴサに1年間の契約でレンタル移籍した。
契約には最低でも20試合以上に出場させなければならないという条項が設けられ、トップチームで22試合に出場する良好なシーズンを送った。
ガブリエル・ミリートとコンビを組んでセンターバックとして、またフィード能力の高さを買われて中盤の底でもプレーした。
2007年5月5日、2007-08シーズンはユナイテッドに復帰することが伝えられた。
5月6日の試合でアレックス・ファーガソン監督がピケの状態を直接チェックする予定だったが、航空機の問題によりサラゴサを訪れることができなかった。
ホームで4-0と快勝した2007年11月7日のUEFAチャンピオンズリーグ・FCディナモ・キエフ戦では移籍後初得点となる先制点を決めた。
マンチェスター・ユナイテッドの一員として少なくとも1得点を挙げた選手は過去に449人おり、ピケは450人目に名を連ねることとなった。
12月12日のASローマ戦(アウェー)でもゴールを決めた。
リーグ戦では9試合に出場したが、レギュラーポジション獲得には至らなかった。
2008年5月27日、ユース時代を過ごしたFCバルセロナと4年契約を結んだ。
違約金は5000万ユーロに設定された。移籍金は明らかにされていないが600万ポンド(約12億円)とみられている。
ガブリエル・ミリートの長期負傷離脱という幸運もあり、ラファエル・マルケスやカルレス・プジョルと共にセンターバックのコンビを組んだ。
2008年11月26日、5-2で勝利したチャンピオンズリーグのスポルティングCP戦(アウェー)で移籍後初得点を挙げた。
スペイン国内での初得点は2009年1月29日のコパ・デル・レイ、エスパニョール戦で、57分にコーナーキックから挙げた彼のゴールにより試合の流れが変わって3-2で勝利を収めた。
5月2日、6-2と完勝したレアル・マドリードとのエル・クラシコではサミュエル・エトーのクロスからリーグ戦初得点を決めた。
5月13日のコパ・デル・レイ決勝では4-1でアスレティック・ビルバオを破り、FCバルセロナでの初タイトルを獲得した。
その3日後のリーグ戦で2位のレアル・マドリードが2-3でビジャレアルに敗れたため、2節を残してのFCバルセロナのリーグ優勝が決定した。
5月27日にはチャンピオンズリーグ決勝で古巣マンチェスター・ユナイテッドと対戦し、2-0で勝利して歴史的な3冠目のトロフィーを獲得した。
異なるクラブで2年連続優勝を経験することとなったが、これはマルセル・デサイー、パウロ・ソウザに続く史上3人目の記録である。
2010年2月26日、クラブとの契約を2015年まで延長し、違約金はそれまでの5000万ユーロから2億ユーロ(約246億円)に引き上げられた。
2009-10シーズンもレギュラーとして活躍し、リーグ戦連覇に貢献した。
4月28日、UEFAチャンピオンズリーグ準決勝インテル・ミラノ戦2ndレグではインテル守備陣の裏へ飛び出しフェイントを挟んでゴールを決めたが、結局この1得点に終わり2試合合計2-3で敗退した。
代表
U-17スペイン代表として出場した2004年のUEFA U-17欧州選手権では準優勝を果たしている。
2006年にはU-19スペイン代表としてUEFA U-19欧州選手権に出場し、優勝に貢献している。
決勝のスコットランド戦では攻守に大活躍し、ヘディングシュートがクロスバーを叩いた他アルベルト・ブエノの得点をアシストした。
2007年のFIFA U-20ワールドカップではスペイン代表の全6試合に先発出場し、ラウンド16のブラジル戦では1得点を決めて逆転勝利した。
準々決勝のチェコ戦はPK戦までもつれたが、ピケはPKを失敗し、準々決勝で敗退した。
U-21スペイン代表時代はキャプテンを務めた。
2009年2月11日、イングランドとの親善試合にて初招集され、スペインA代表デビューを果たした。
2009年3月28日、負傷中のチームメイトカルレス・プジョルの代役として招集されたFIFAワールドカップ欧州予選トルコ戦で決勝点となる代表初ゴールを決めた。
2009年のFIFAコンフェデレーションズカップでレギュラーに定着し、3位入賞に貢献。
2010 FIFAワールドカップではFCバルセロナでもコンビを組むプジョルと共にレギュラーとして出場し、大会通算2失点に抑えた守備陣の一角として優勝に貢献した。
2016年10月9日に行われたW杯欧州予選のアルバニア戦の試合後に、2018年のロシアワールドカップを最後に代表チームから引退する意思を表明した。
代表引退を決断するきっかけとなったのは、代表ユニフォームの“袖”を巡る騒動だったと言われている。
2018年8月11日、スペイン代表のルイス・エンリケ新監督に同国代表から引退する意思を伝えたことを明らかにした。
スペイン代表としての通算成績は102試合・5得点。
エピソード
カタルーニャ独立運動に賛同しており、2014年には9月11日の『カタルーニャの日』に開催されたカタルーニャ地方のスペインからの独立を問う住民投票を許可するよう求めるデモ活動に参加している。
こういった言動から、スペイン代表としてプレーする際にはブーイングを浴びる事がある。
上記のこともあり、代表での練習場でもファンからブーイングや野次、罵声を受けることもあったが、2018年3月28日のアルゼンチン戦では交代時には拍手が起こった。
所属するFCバルセロナとはライバル関係にあるレアル・マドリードに対して、挑発的な発言をする事が多々見受けられる。
2015年、3冠を達成した後の優勝セレモニーではこのシーズンで後半から失速したレアル・マドリードを皮肉るような発言をしている。
また、2015年12月にレアル・マドリードがコパ・デル・レイ4回戦にて出場停止処分を受けていたデニス・チェリシェフを試合に出場させ、規約違反によって失格となった際にはtwitter上で泣き笑いの絵文字を投稿し、この件について「レオ・ハーレム(スペインのコメディアン)のネタを見ていたんだよ…冗談さ。僕のことは知っているだろう。あまり重大視すべきじゃない。僕は面白いと思ったんだ」と発言した。
レアル・マドリードの主将であり、スペイン代表では共にプレーするセルヒオ・ラモスからは「不必要な馬鹿げた事は避けるべきだ」と窘められている。
以上のように、セルヒオ・ラモスとは犬猿の仲のように思われがちだがこのことについてピケは「セルヒオ・ラモスと仲が悪いと言うのは嘘だ。彼との関係は素晴らしいものだよ。」と述べている。
2017年7月に来日し、NIKEのイベントに出席した際、東京のビルの屋上でリフティングを披露した。
リフティングの最後にピケは思い切りボールを空中へ蹴り上げ、東京の街中へボールは落ちて行った。
その動画が公開されると、世界中からピケのこの行為が注目され、中国のスポーツメディアからは「ピケのこの行動は多かれ少なかれ危険なもの。もし通行人に直撃していたら…」と危惧され、ネットユーザーからは「これ人に当たったら死んでるよな」「危険だ!ちっとも面白くない」と批判の声も見受けられた。
ピケには実業家としての一面があります。
楽天の協力を得て投資ファンド『Kosmos』を立ち上げ、自ら会長職に就いています。
まずは手始めに、テニスのデビス杯の改善案をITF(国際テニス連盟)に提案。
それが認められ、2019年のデビス杯は大きく仕様が変更されることが決定しました。
また、ゲーム会社「Kerad Games」を所有しておりましたが、2018年7月に倒産。
赤字額は200万ユーロだったとか。
(まぁ、ピケからしたら2億円くらいって感じでしょうが笑)
プレースタイル
攻守で空中戦に強さを発揮するCBだが、守備的なポジションを複数こなしてきたユーティリティプレイヤーでもある。
ピケは、シンプルに高い守備能力を持った選手です。
193cmという長身とリーチを生かし、地上戦・空中戦の対人戦においては無類の強さを誇っています。
スピードに大きな不安があるものの、長年の経験とポジショニングで自分に有利なるようにプレーをします。
裏へ抜けられたとしても、自分が追いつけるであろう位置を意識しているのがプレーで見て取れます。
自身の対人守備力に自信があるからこそ、如何に1対1に追い込むかを計算しているのがピケという選手です。
ピケの身長は身長193センチです。
センターバックとしても文句なしのサイズがありますし、フィジカルコンタクトには無類の強さを誇ります。
当然のように空中戦はとても得意。
ハイボールはほとんど跳ね返すことができます。
頭でクロスボールを弾き出す、足で蹴り出すシーンでもミスをほとんど見せません。
ピケがゴール前に構えている限りは、相手チームは単純なクロスボールでゴールマウスをこじ開けるのは非常に難しいでしょう。
ピケはそれくらいの監視塔です。
また、ピケは危ない場所を予測してそのスペースを埋めるのが上手です。
危機察知とでも言いましょうか、ボールが入りそうなところに確実に顔を出すセンスがある選手です。
ピケはスピード自慢の選手ではないでしょうが、相手やボールの動きを先読みして十分に危険の芽を摘むことができています。
さらに、相手のボールホルダーに寄せる時のパスコースの消し方も達者です。
周囲の状況を判断し、正しいポジショニングを選択するのも上手。
なぜピケが長年、バルセロナ・スペイン代表で最終ラインを務められていたのか?
それは、後方からビルドアップのリズムを作れるからです。
バルセロナでは、ラキティッチやブスケツとともにビルドアップを行い、攻撃の基盤を作ってきました。
同時に、精度の高いロングフィードを前線に送れる技術もあります。
ボールキープに長けていて、寄せてくる相手選手をフェイントでかわすのも上手です。
大柄なのに足先まで神経が行き届いています。
そして際立っているのがパスの精度です。
中盤への縦パスもそうですし、前線へのフィードキックが特に良質です。
加えて、相手のフォワードが近くにいる時でも落ち着いて周囲の味方にボールを繋ぐことができます。
なかなかパスミスをしない安定感は魅力的です。
元マンチェスター・U監督のアレックス・ファーガソンの自伝にも、ピケのパス精度の高さを評価している文章がありました。
フィード能力の高さ、ヘディングの強さ、機を見た攻撃参加などの特徴から、元ドイツ代表のフランツ・ベッケンバウアーをもじって「ピッケンバウアー」と呼ばれることがある。
身長193センチもあるピケですから、ディフェンス時だけでなく攻撃にもそのサイズを生かすことができます。
もちろんセットプレーではターゲットになります。
ピケはディフェンダーとして十分なほどの得点力を備えています。
サイズに加えてクロスボールへの入り方が上手なのでしょう。
リーグ戦だけでも毎シーズンゴールを挙げていますし、4~5ゴールを挙げるシーズンもあります。
これは素晴らしい数字です。
貴重な得点源です。
攻守に貢献度の高いピケですが、大柄なこともあり足はそこまで速くありません。
なので、相棒のセンターバックには走れるタイプが選ばれます。
ピケが一度相手に離されると厳しくなるので、そこは相棒のカバーリングも大事になります。
オリンピコの奇跡では、そこを突かれました。
ピケが最終ラインの最後の砦の際、相手に入れ替わられてしまうとシャツを引っ張りカード覚悟で止めることもたまに見ます。
チーム全体としてカバーしたいところ。