概略
国籍 | ![]() ![]() |
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生年月日 | 1918年3月10日 | ||
出身地 | ![]() (現 : ![]() |
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没年月日 | 1978年11月28日(60歳没) |
身長188 cm 体重92 kg
ポジションはフォワード(センターフォワード)。
利き足は右。
1930年代から40年代にかけて、スポルティングCPでの最初の黄金期を支えた「5人のヴァイオリン弾き 」の一人でチームのエース。
同時代の代表のエースも務めた。
スポルティングで187試合で331ゴール、サッカー史上最高の得点率を記録した。
獲得タイトル
クラブ
- スポルティング・クルーベ・デ・ポルトゥガル
- スーペル・リーガ : 1940-1941, 1943-1944, 1946-1947, 1947-1948, 1948-1949
- タッサ・デ・ポルトガル : 1937-1938, 1940-1941, 1944-1945, 1945-1946, 1947-1948
個人
- スーペル・リーガ得点王 : 1937-1938, 1939-1940, 1940-1941, 1945-1946, 1946-1947, 1948-1949
- ポーラ・デ・オーロ : 1937-1938, 1939-1940, 1940-1941, 1945-1946, 1946-1947, 1948-1949
経歴
クラブ | |||
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1937-1949 | ![]() |
187 | (331) |
1949-1950 | ![]() |
– | (-) |
代表歴 | |||
1938-1948 | ![]() |
20 | (15) |
ポルトガルの植民地時代のアンゴラで生まれ、アンゴラの首都ルアンダにあるスポルティング・ルアンダで活躍しているところを、ポルトガルのクラブチームに発掘された。
1930年代から40年代にかけて、スポルティングCPでの最初の黄金期を支え、ペイロテオを含む5人によって構成された攻撃陣は「5人のヴァイオリン弾き (Cinco Violinos)」と譬えられ、数々のタイトル獲得に貢献し、自身も得点王を6度獲得する活躍をした。
スポルティングで187試合で331ゴール、サッカー史上最高の得点率を記録した。
また同時期にはポルトガル代表のエースストライカーとして君臨した。
1949-50シーズンにCFベレネンセスに移籍し、そのシーズンの後に31歳で現役を引退した。
エピソード
引退後の1961年にポルトガル代表の監督に就任した。
1962 FIFAワールドカップ予選2試合を指揮したが本戦出場を逃した。
1978年11月28日に心臓発作のためわずか60歳で死去した。
プレースタイル
典型的な大型センターフォワードタイプの選手。
188cmの長身と強靭なフィジカルを持ち、競り合いや空中戦にも強い。
弾丸のような強烈なシュートは威力だけではなく正確さもあり脅威の決定力でゴールを量産した。
またヘディングにも強く、ゴール前のポジショニングも上手くペナルティエリアで脅威的だった。