概略
誕生日 | 1974年2月7日(46歳) |
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国 | ![]() ![]() |
出身地 | ![]() ハウテン州 ![]() |
ドラフト | 1996年 15位 |
身長(現役時) | 191cm (6 ft 3 in) |
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体重(現役時) | 81kg (179 lb) |
ポジションはポイントガード。
右利き。
カナダを代表する名選手。
選手としては小柄ながら、正確なシュート力と広いコートビジョンにパスセンスとポイントガードに必要な多くの能力をハイレベルで兼ね備えていた。
1996年のNBAドラフト、1巡目15位でフェニックス・サンズに指名されプロ入り。
NBAオールスターゲームに8度出場。2005年、2006年と2年連続でシーズンMVPを受賞した。
2018年3月31日、バスケットボール殿堂入りが発表された。
背番号は13番。(ロサンゼルス・レイカーズ在籍時は10番)
受賞歴 | |
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記録
1試合自己最多記録
- 1試合最多得点:48得点(vs ダラス・マーベリックス 2005年5月15日)
- 1試合最多アシスト:22個 (vs ニューヨーク・ニックス 2006年1月2日)
- 1試合最多リバウンド:13本 (vs フィラデルフィア・セブンティシクサーズ 2005年3月30日)
- 1試合最多3P成功数:7本 (vs インディアナ・ペイサーズ 2003年4月5日)
- 1試合最多フリースロー成功数:13本 (vs ポートランド・トレイルブレイザーズ 2001年12月11日)
- 1試合最多スティール:5本 (vs ボストン・セルティックス 2000年12月18日)
経歴
選手経歴 | |
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1996-1998 1998-2004 2004-2012 2012-2015 |
![]() ![]() ![]() ロサンゼルス・レイカーズ |
代表歴 | |
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キャップ | ![]() |
カレッジバスケでの活躍にも関わらず、全米でのナッシュの知名度は殆ど皆無で、1996年のNBAドラフトでナッシュの名前が15番目に呼ばれた時、指名したフェニックス・サンズのファンは野次を飛ばした。
15位指名はカナダ人選手では当時の最高位である。
サンズでの最初のキャリアはケビン・ジョンソンやジェイソン・キッド、サム・キャセールと名だたる名ポイントガードの影に隠れ、目だった活躍をすることは出来なかったが、ルーキーイヤーから3P成功率とFT成功率で高確率を叩き出すなどその才能の片鱗を見せており、2年目の1996-97シーズンにはローテーション入りを果たして平均9.1得点まで成績を伸ばした。
サンタクララ大時代、ナッシュはドン・ネルソンと親交を深める機会を得ており、そのネルソンはナッシュがサンズで全く活かされていないのを見て、ナッシュ獲得に動いた。
そして1998年のNBAドラフト当日のトレードにより、ナッシュのダラス・マーベリックス行きが決まった。
ドン・ネルソンHCの攻撃的な采配のもと、ナッシュはダラス・マーベリックスでその才能を大きく開花させることになる。
ナッシュは移籍1年目の1998-99シーズンから先発に抜擢されると、以後マーベリックスの司令塔として活躍。
マーベリックスは大黒柱のマイケル・フィンリーにナッシュの移籍と同時にマーベリックスに指名されたダーク・ノヴィツキーと駒が揃いだし、さらに2000-01シーズンには富豪のマーク・キューバンが球団を買収し、豊富な資金が流れてきたことでマーベリックスは将来を嘱望されるチームとなった。
ナッシュ個人は移籍3年目の2000-01シーズンに自身の成績を大きく伸ばして15.6得点7.3アシスト、3P成功率40.6%、FT成功率89.5%を記録。
ナッシュの活躍によりマーベリックスは53勝29敗と躍進を遂げ、実に11年ぶりにプレーオフ進出を果たし、マイケル・フィンリーにノヴィツキー、そしてナッシュはマーベリックスのビッグスリーと称されるようになった。
初のプレーオフではカンファレンス準決勝でナッシュ生涯の仇敵となるサンアントニオ・スパーズに敗れている。
2001-02シーズンには17.9得点7.7アシスト、3P成功率45.5%を記録し、初のオールスターとオールNBA3rdチームに選ばれ、名実共にリーグトップクラスのポイントガードとなり、翌2002-03シーズンも同水準の成績を維持、FT成功率は90.3%の高確率を記録し、チームも勝ち星を60まで増やしたが、プレーオフでは再びスパーズの前に敗れた。
大型補強を繰り返すマーベリックスは2003-04シーズンにアントワン・ジェイミソンとアントワン・ウォーカーを獲得し、ナッシュも平均8.8アシスト、FT成功率91.6%と好調を維持するが、チームは52勝30敗と勝率を落とし、プレーオフでは1回戦で敗退した。
シーズン終了後にナッシュはFAとなったが、ここまでお金に糸目を付けずに大胆な補強を重ねてきたキューバンが、ナッシュとの再契約に渋りを見せた。
キューバンはすでに30歳となっていたナッシュよりも、若いノヴィツキー中心のチームを作りたかった。ナッシュには多くのチームが興味を示し、古巣のサンズは6年6,300万ドルのオファーをしたが、キューバンが提示したのは年900万ドルの4年契約だった。
ナッシュはマーベリックスとの再契約を望んでおり、多少の減額も譲歩したが、結局折り合いがつかず、ナッシュはマーベリックスを去ることになり、フェニックス・サンズへの復帰が決定した。
以前は強豪だったサンズもジェイソン・キッドの移籍で2003-04シーズンは29勝53敗まで成績が落ち込んでいた。
ナッシュはその間のエースを務めたステフォン・マーブリーと入れ替わる形でサンズに帰ってきたが、他には目立った補強はなく、2004-05シーズンも厳しいシーズンになることが予想された。
ところがナッシュのサンズ復帰は予想以上の効果をもたらした。
前年からサンズの指揮を執り始めたマイク・ダントーニはアップテンポなバスケスタイルを標榜しており、スモールラインアップを敷いて機動力を重視し、アウトサイドシュートを中心としたラン&ガンオフェンスの構築を求めていた。
このダントーニの理想に、ナッシュの能力が尽くフィットしたのである。
ナッシュはマーベリックス時代もドン・ネルソンが得意とするラン&ガンオフェンスの司令塔を務めていたため、ラン&ガンを展開するのはお手の物であり、さらにナッシュはリーグ屈指のアウトサイドシューターだった。
ナッシュは若く身体能力に溢れ、フィニッシュ能力にも優れたチームメイト、アマレ・スタウダマイアー、ショーン・マリオン、ジョー・ジョンソンらを巧みに操り、サンズのオフェンス力を劇的に向上させた。
ナッシュの居ない前年のサンズの平均得点は94.2点だったが、ナッシュ一人が加わったこのシーズンのサンズは110.4点。
僅か1年で16点以上も向上したのである。
ナッシュの移籍はリーグ全体にも影響を及ぼした。
当時のNBAはディフェンシブなチーム作りが主流となっており、前年のリーグ全体の平均得点は93.4点だったが、このナッシュのサンズ移籍一つでリーグ全体の平均得点は97.2点に跳ね上がった。
サンズの平均110.4得点はリーグでも断トツで、2位のサクラメント・キングス(103.7点)とは約7点もの差をつけており、この数字がいかに衝撃的なものだったかを物語っている。
ダントーニ指揮下でのプレイはナッシュの能力の全てを引き出し、ナッシュ個人の成績も15.5得点11.5アシスト、FG成功率50.2%、3P成功率43.1%と大幅に向上した。
特に11.5アシストは2位以下を大きく引き離すリーグ1位となり、初のアシスト王に輝き、さらにオールNBAチームでは初の1stチーム入りを果たしている。
リーグ1のオフェンス力とリーグ最高峰の司令塔に率いられたサンズは快進撃を続け、リーグ首位となる62勝20敗を記録。
前年の29勝から33勝分を積み上げ、一躍エリートチームの仲間入りを果たした。
このシーズンはナッシュと同様にシャキール・オニールが移籍先のマイアミ・ヒートの勝率を大きく向上させており、MVP投票ではナッシュとオニールの一騎討ちとなった。
個人成績ではオニールが上だったが、より世間にインパクトを与えたナッシュがMVPを獲得した。
ナッシュのMVP受賞はカナダ人選手初であり、外国生まれの選手としてはアキーム・オラジュワンについで2人目、さらにポイントガードとしてはボブ・クージー、マジック・ジョンソンに続く史上3人目であった。
また歴代受賞者の中ではドラフト指名時の順位が低かった。
さらにダントーニも最優秀コーチに選ばれており、このシーズンのNBAは正にサンズ一色となった。
プレーオフでは1回戦でパウ・ガソルのメンフィス・グリズリーズをスイープで降すと、カンファレンス準決勝で古巣のマーベリックスと対決。
勝敗を決した第6戦では試合終盤に16点差を引っ繰り返す活躍を見せ、あわやトリプル・ダブルとなる39点12アシスト9リバウンドをあげてチームを勝利に導いた。
ここまで順調に勝ち上がり、ナッシュにとってもサンズにとっても初の優勝が見えてきたが、カンファレンス決勝でスパーズが立ちはだかる。
サンズは得点力を上げるかわりにディフェンスを犠牲にしており、平均失点はリーグ最下位の103.3点だったが、試合巧者のスパーズがサンズの脆いディフェンスを突き崩し、サンズはこのシリーズで平均109.2失点を喫し、1勝4敗の完敗を喫した。
マーベリックス時代同様、サンズでもこのスパーズがナッシュにとっての厄介の種となる。
充実したシーズンを過ごしたナッシュとサンズだったが、翌2005-06シーズンは一転して試練が訪れる。
オフに戦力の流出を止められず、主力のジョー・ジョンソンとクエンティン・リチャードソンがチームを去り、さらにエースセンターのアマレ・スタウダマイアーが膝の故障でシーズンをほぼ全休するという苦難に見舞われた。
サンズは明らかな戦力不足で新シーズンの苦戦が予想されたが、ナッシュは18.8得点10.5アシスト、FG成功率51.2%、3P成功率43.9%、FT成功率92.1%の好成績を叩き出し、2年連続のアシスト王に輝くと共にFT成功率ではリーグ1位となった。
チームもナッシュの大活躍に、新戦力のラジャ・ベルやボリス・ディアウらはナッシュとプレイすることで大きく才能を伸ばし、またリアンドロ・バルボサもバックアップとしてナッシュの負担の軽減に成功。
前年より10勝減となったものの、52勝30敗で2年連続でディビジョン優勝を果たした。
ナッシュは自身も会心の成績を残し、戦力不足のチームを支え、さらにチームメイトの能力を引き出したことが高く評価され、2年連続のMVPを受賞(ポイントガードとしてはマジック・ジョンソンにつぐ史上2人目)。
プレーオフではロサンゼルス・レイカーズ、ロサンゼルス・クリッパーズを破って2年連続のカンファレンス決勝に進出。
再び古巣マーベリックスと対決したが、スタウダマイアー抜きではここまでが限界となり、2勝4敗で破れ、夢のNBAファイナル進出はならなかった。
2年連続のMVP獲得とカンファレンスファイナル出場を果たし、残すはチャンピオンリング獲得のみとなった。
チームはより充実さを増し、スタウダマイアーも復帰したことで、2006-07シーズンはファイナル制覇最大のチャンスと言われた。
サンズは期待通りの快進撃を続け、ナッシュはさらに個人成績を向上させ、18.6得点11.6アシストのアベレージを残し、3P成功率ではリーグ2位となる47.0%を記録。
MVPは元チームメイトであり友人でもあるマーベリックスのダーク・ノビツキーに譲ったものの、リーグ1位の勝率だったマーベリックスがプレイオフ1回戦で敗れたことにより、勝率2位だったサンズの優勝の可能性が一気に高まった。
しかしカンファレンス準決勝、因縁のスパーズとのシリーズでは多くの災難がナッシュを襲った。
第1戦では、スパーズのトニー・パーカーとの接触で鼻から出血、ナッシュは止血が追いつかず、試合終盤の大事な場面にコートに立つことを許されず、結果サンズは大事な初戦を落とした。
第2戦ではスタウダマイアーがブルース・ボウエンのプレーに対し、「スパーズはダーティなチーム」と発言したことでシリーズは大荒れの兆候を見せると、第4戦ではナッシュはロバート・オーリーに体当たりに近いファウルを受ける。
普段非常に温厚なナッシュもこの時ばかりはオーリーに掴みかかったが、その場面にベンチに居たスタウダマイアーとボリス・ディアウはベンチから離れた。
本人達に乱闘に参加する意思があったかは定かではないが、この行為が乱闘を助長する行為として、規定により1試合の出場停止処分を受ける羽目となる。
インサイドの主力選手2名を欠いたサンズは第5戦を落とし、そのまま連敗してシリーズ敗退となり、ナッシュのチャンピオンリング獲得の夢は打ち砕かれた。
この頃から「強豪」サンズの歯車が狂いだした。
2007-08シーズンにはナッシュの相棒的存在だったショーン・マリオンを放出して大物センター、シャキール・オニールを獲得するが、以前からナッシュとオニールには不仲説が囁かれていたこともあり、好守両面で噛み合わず、期待されたほどの効果はなく、プレーオフでは1回戦でまたもやスパーズに完敗を喫する。
そしてオフにはチームの大改革が始まり、マイク・ダントーニはついにヘッドコーチを解任され、新たにテリー・ポーターが就任。
オフェンシブなチームからディフェンシブなチームへとチーム方針の180度転換を目指した。
シーズン中にもナッシュと苦楽を共にしたラジャ・ベル、ボリス・ディアウらが放出され、チームの姿は変貌していくが、急激な舵取りはチームに混乱をもたらし、2008-09シーズン46勝36敗に終わったサンズはプレーオフ進出すら逃した。
ダントーニ体制下では思う存分能力を発揮したナッシュもコーチの交代と戦術の大幅な変更で若干成績を落とし、このシーズンは15.7得点9.7アシストに終わるが、サンズでの優勝を目指すため、オフには契約の2年延長を決めた。
2009-10シーズンは、シーズン開幕からラン&ガンオフェンスが冴え渡り、チームは好調。
プレーオフにも返り咲いた。カンファレンスセミファイナルでは因縁のサンアントニオ・スパーズと対戦。
これまでスパーズに苦汁をなめられていたが、持ち前のラン&ガンオフェンスでスパーズを翻弄。
第3戦では控えのゴラン・ドラギッチやチャニング・フライらが活躍し、第4戦ではナッシュが怪我で途中退場するアクシデントがあったが、スイープでスパーズを下し、2005-06シーズン以来のカンファレンスファイナルに駒を進めた。
カンファレンス決勝では、王者ロサンゼルス・レイカーズ相手に善戦するも、2勝4敗で惜敗した。
2010-2011シーズンにはナッシュと苦楽を共にしたスタウダマイアーがFAでサンズを去りニューヨーク・ニックスへ。
そしてベンチの補強に12月にはトレードで大物ベテランSGのヴィンス・カーターを獲得。
サンズはチームの再建を試みるが、スタウダマイアーの抜けた穴は予想よりもはるかに大きくサンズは勝率を5割を下回り、40勝42敗でシーズンは終了。
プレイオフ進出には至らなかった。
2011-2012シーズンもサンズはスタウダマイアー以上の選手を獲得できず、以前のようなピック&ロールが展開できずシーズン開幕からチームは連敗を記録。
しかし、ナッシュ自身の成績はとても38歳とは思えない13得点、11アシストで自身8回目のオールスター入りを果たす。
38歳以上のオールスター入りは現在、3人しか成し遂げていない。
2012年7月11日、サイン&トレードでロサンゼルス・レイカーズに移籍することが決まった。
背番号は10。サンズは2013年と2015年のドラフト1巡目指名権、2014年と2015年のドラフト2巡目指名権、現金300万ドル(約2億4,000万円)をレイカーズから獲得することとなる。
レイカーズはさらに現役最強のセンター、ドワイト・ハワードをもマジックから獲得し、3年ぶりの優勝を狙う。
しかし、HCのマイク・ブラウンが取り入れたプリンストン戦略に選手が上手く機能せずプレシーズンを0勝8敗。
レイカーズ史上初のプレシーズン全敗を記録した。
レギュラーシーズンが始まった第二戦目でナッシュはルーキーのデイミアン・リラードと衝突。
その際に右脚を骨折する重症を負い20試合以上を離脱することになった。
そして、第4戦目でHCのマイク・ブラウンがチームの成績不振で解雇され、代わりにナッシュがサンズ時代にHCだったマイク・ダントーニが就任する。
この就任はナッシュがダントーニの得意とするアップテンポなバスケスタイルを理解しており、以前アマレ・スタウダマイアーと展開したようなピック&ロールがハワードと再現できるとチームが考えていたからとされている。
しかし、ナッシュが怪我で離脱している間、チームの戦略がマイク・ブラウンのデフェンシブな物からダントーニの超オフェンシブな物に変わりチームは混乱に陥った。
コービー・ブライアント率いるレイカーズは奮闘したが、急激に変わった戦略に選手がうまく機能せず成績は前年にくらべ悲惨なものとなった。
ダントーニの戦略を熟知しているナッシュが怪我から2ヶ月後に復帰し、希望の光が見えたレイカーズだったが、マジック時代にピック&ロールをほとんど経験していないハワードにはサンズ時代にアマレと展開したようなピック&ロールが出来ず、オールスターゲーム前の前半は25勝29敗と勝率5割をきっていた。
オールスター後にHCのマイク・ダントーニは「チームがプレイオフに行くには20勝8敗が最低条件」と言及。
勝率5割をきっていたレイカーズには高すぎるハードルだった。
だが、オールスターゲーム後半は快進撃を見せつけ、ダントーニが最低条件と言っていた20勝8敗を見事に実現。レイカーズはプレイオフに7位で進出した。
しかし、ナッシュ自身は3月25日のゴールデンステート・ウォリアーズ戦で痛めた膝腱状態が悪化。
最後の9試合はすべて欠場した。
さらに、レイカーズの大黒柱のコービー・ブライアントがレギュラーシーズン終了5日前にアキレス腱を同じくゴールデンステート・ウォリアーズ戦で断裂。
プレイオフは絶望的になった。
プレイオフは第一回戦でサンアントニオ・スパーズと対戦。
ナッシュは怪我の回復を待たずに1試合目に出場したが、得意なはずのショットを連続で失敗するなど、本来の力を発揮できなかった。
第3戦からはさらに怪我が悪化し欠場。
そのままチームは屈辱のスイープでシーズンが終了した。
ナッシュにもレイカーズにとっても最悪のシーズンとなった。
2013-14シーズンも怪我に苦しみ不本意なシーズンを送り、復活を期す2014-15シーズンを迎えるはずだったが、プレシーズン中に移動中に鞄を持ち上げた際に以前からの持病だった背中の傷みを悪化させてしまい、契約最終年の同シーズンを全休。
そして2015年3月21日、引退を表明した。
エピソード
日本人初のNBAプレイヤーとなった田臥勇太がフェニックス・サンズに入団した時にナッシュはサンズのスターターでした。
サッカー一家に育ち、自身も少年時代はサッカーに熱中していたことから、NBAでも屈指のサッカーフリークとして知られる。
お気に入りのチームはプレミアリーグのトッテナム・ホットスパーFC。
これはナッシュの父の出身がロンドンのトッテナムであり、熱狂的なサポーターであったことからである。
マーベリックス時代のチームメイト、ダーク・ノヴィツキーとは、サッカーを通して親交を深めている。
また世界的なサッカー選手であるアレッサンドロ・デル・ピエロ、ティエリ・アンリ、オーウェン・ハーグリーヴス、マッシモ・アンブロジーニ、スティーブ・マクマナマン、リオネル・メッシ、ハビエル・マスチェラーノらとも個人的な親交を持っており、毎年オフに開催されるナッシュのチャリティーサッカーゲームには多数の現役サッカー選手が参加している。
2008年にはカナダのプロサッカークラブ、バンクーバー・ホワイトキャップスのオーナーの一人となり、女子サッカーリーグへの投資もしている。
2002年の日韓ワールドカップの観戦では来日しているが、ナッシュだとは気付かれず、大きな騒ぎにはならなかった。
またメジャーリーグサッカーのレッドブル・ニューヨークの練習に参加したことがあり、ピックアップゲームに出場したこともある。
ナイキのCMではバスケットボールを軽妙なリフティングの末にバスケットゴールの中にキックで入れるという離れ業を披露している。
また2016年には、スペインのRCDマジョルカの株を、フェニックス・サンズオーナーのロバート・サーバーと共に買収し、共同オーナーに就任した。
ナッシュの家族は父ジョン・ナッシュはイングランド出身のプロサッカー選手、弟のマーティン・ナッシュはサッカーカナダ代表、妹のジョアンも学生時代にサッカーで活躍したというサッカー一家である。
ナッシュはオフの大半をニューヨークで過ごしており、2005年には2001年にマンハッタンで出会った年上の恋人と結婚し、2006年には双子の女の子が生まれたが、2012年に離婚。
現在は娘の親権などを巡って係争中である。
ナッシュは背中に痛みを伴う脊椎分離すべり症という持病を抱えており、そのため試合中であってもプレイしていない時はベンチに座らず、コートサイドに横になっている。
熱心なチャリティー活動家としても知られ、2001年には公共奉仕を目的とした非営利団体、スティーブ・ナッシュ財団を設立するなど様々な活動を行い、チャールズ・バークレーなどからもその活動を賞賛されている。
活動はカナダ・アメリカ国外にも及び、2007年夏には姚明と共に中国でチャリティーゲームを開催し、250万ドルの寄付金を集めた。
2006年にはTime誌による「最も影響力のある100人」の一人に選ばれている。
登録上の身長は191cmだが、かつてのチームメートのダーク・ノビツキー(213cm)やコービー・ブライアント(198cm)と並んだ写真などから、実際は186cmくらいと言われている。
シューズメーカーはナイキ社と契約。
ローカットのモデルを好み、まだNBA選手がローカットを履くのが珍しい頃から着用している。
近年は映像製作にも興味を示している。
2007年にはナイキのCMの一環で「Training Day」と題した81秒の映像を、2008年には「The Sixty Million Dollar Man」と題した91秒の映像をYouTubeで公開し、いずれも人気を博した。
将来は映画を製作するつもりだという。
しかし、彼のアイデアをシャキール・オニールが真似したという疑惑が広まり、オニールがフェニックス・サンズに加入した当初は、ナッシュが「僕のアイデアを盗んだだろ!?」と食って掛かるなど、両者は緊張状態にあったという。
現役引退後、2015年9月25日、ゴールデンステート・ウォリアーズの選手育成部門コンサルタントに就任、非常勤のコーチとして練習への参加やアドバイス等に携わることになる。
就任から2季目の2016-17シーズン、選手時代に果たせなかった優勝を経験し悲願のリングを手に入れることとなった。
プレースタイル
スティーブ・ナッシュと言えば何といっても、変幻自在なパスです。
チームメイトを生かし、ノーマークを作り出すその能力はずば抜けています。
そのようにアシストができるのも、すべては視野が広いためです。
味方の位置と相手の位置を素早く把握し、的確にパスをする。
視野の広さもさることながら、そこにプラス要素といてあるのがハンドリング力です。
コート内を縦横無尽に切り裂き、トリッキーなパスをする。
ディフェンスからしたらたまったものではないですね。
狭いところを抜く技術は本当にNBA内でもぴかいちだと思います。
パスセンス、周囲を見る力、シュート力。
これらの全てを兼ね備えた選手といわれたスティーブ・ナッシュだが、素質が爆発したのはキャリアの中盤以降という遅咲きの選手だった。
アシスト王5回をはじめとする数々のタイトルを獲得した名選手だった。
アシスト王5回からも分かる通り、現役時代のポジションは、ポイントガードで、卓越したゲームメイキングとボールハンドリングを武器とし、尚且つシュートの技術をも併せ持つという最高峰の攻撃力を備えたポイントガードだった。
一方で小柄な体格ゆえにディフェンスを苦手としていた一面もある。
ナッシュは得意のパスで味方を活かしてアシストを量産していくスタイルです。
キャリアの平均アシスト数は8.5と高いのがわかります。
ドライブインやピック&ロールでディフェンスをかき回し、フリーになったプレイヤーをみつける能力がものすごく高いです。
パスだけではなくシュートも上手いので、ディフェンスからすれば読みづらいでしょう。
シュートの確率が良く、FG%が49%、3P%が42.8%、FT%が90.4%とかなりの高確率です。
同じことができるのはステフィン・カリーぐらいでしょうか。
単純にシュートが上手いというのと、無茶なシュートを打たないことが確率の高い理由でしょう。
スリーポイントの確立の良さ、そしてなんといっても外さないフリースロー。
どんなにパスがうまくても、どんなにドリブルがうまくても得点をしてこない選手は、ディフェンスからしたら怖くはありません。
スティーブ・ナッシュのすごいところは、得点も自分で決めきることができる点です。