ウィリス・リード

概略

誕生日 1942年6月25日(78歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ルイジアナ州リンカーンパリッシュ
出身 グランブリング州立大学
ドラフト 1964年NBAドラフト2巡目8位 ニックス
背番号(現役時) 19
身長(現役時) 208cm (6 ft 10 in)
体重(現役時) 109kg (240 lb)

 

ポジションはセンター。

 

左利き。

 

その溢れる闘争心とキャプテンシーにより「ザ・キャプテン」の愛称で親しまれた。

 

ニューヨーク・ニックスで10シーズン、NBAを代表するセンタープレイヤーの一人として現役時代を過ごした。

 

1996年にはNBA50周年を記念した「50人の偉大な選手」に選ばれた。

 

受賞歴
  • 2×NBAチャンピオン:1970, 1973
  • 2×NBAファイナルMVP:1970, 1973
  • 7×NBAオールスターゲーム出場:1965-1971
  • NBAオールスターゲームMVP:1970
  • オールNBAチーム
    • 1stチーム:1970
    • 4x2ndチーム:1967-1969,1971
  • NBAオールディフェンスチーム
    • 1stチーム:1970
  • ルーキー・オブ・ザ・イヤー:1965
  • NBAオールルーキーチーム 1stチーム:1965
  • NBA50周年記念オールタイムチーム:1996
  • No. 19  ニューヨーク・ニックス永久欠番

 

経歴

 

選手経歴
1964-1974 ニューヨーク・ニックス

 

グランブリング州立大学卒業後、1964年のNBAドラフト2巡目全体10位でニューヨーク・ニックスに指名された。

 

最初のシーズンから活躍し平均19.5得点、14.7リバウンドを挙げルーキー・オブ・ザ・イヤー(新人王)を受賞、オールルーキーチームに選出され、オールスターにも初出場した。

 

2年目に平均15.5得点、11.6リバウンドとやや数字を落としたものの、翌1966-67シーズンから1970-71シーズンまで平均20得点13リバウンド以上を記録し続け、後に殿堂入りするウォルト・フレイジャー、デイブ・ディバッシャーらの加入もありチームの成績も年々向上していった。

 

名将レッド・ホルツマンに率いられたニックスは、1969-70シーズンにはフランチャイズ最高の60勝まで勝ち星を伸ばしリードはMVPを受賞、プレイオフではついにNBAファイナルに進出した。

 

リードは足を痛めていたが怪我を押して出場、ウィルト・チェンバレン擁するロサンゼルス・レイカーズとの死闘を制しチャンピオンとなった。

 

そして、リードはファイナルMVPを受賞した。

 

その後、リードは次第に衰えていったが、チームは1972年、1973年にもファイナルに進出しレイカーズと対戦した。

 

1973年に再び優勝を果たし、リードは再びファイナルMVPを受賞した。

 

そして、翌1973-74シーズン終了後ニックスの選手のまま引退し、10年の選手生活を終えた。

 

エピソード

リードはチーム史上最高のリーダーとしても名高い。

 

飽くなき闘志でウィルト・チェンバレン、カリーム・アブドゥル・ジャバーといった巨漢選手に対峙し、チームを鼓舞した。

 

中でも70年、レイカーズとのファイナルでのパフォーマンスは余りにも有名だ。

 

シリーズ第5戦で右足を痛めたリードは、第6戦を欠場。

 

しかし痛み止めの注射を打ったチームリーダーが第7戦開始直前に足を引きずりながらコートに現われると、マディソンスクエア・ガーデンは大歓声に包まれた。

 

最初の2本のシュートを決めたリードは、以降は得点することはなかったが、大舞台でチームとそのファンを勇気付けるには十分だった。

 

この年のニックスの優勝で、リードの名もニューヨークの伝説となったのである。

 

引退後は、ニックス、クレイトン大学でヘッドコーチを務めた後、ニュージャージー・ネッツのジェネラルマネージャー、副社長に就任。

 

1987-88シーズン途中から1988-89シーズンまで自ら指揮を執った後、ドラフトでデリック・コールマン、ケニー・アンダーソンらを指名、さらには名将チャック・デイリーを招聘し、80年代のプレイオフ進出に大きな役割を果たした。

 

現在はニューオーリンズ・ホーネッツの副社長を務めている。

 

プレースタイル

プレースタイルはゴール下でデンと構えて得点とリバウンドを狙う正統派センター。

 

飽くなき闘志でチームを引っ張った真のリーダー。

 

闘争心の塊で常にハードワークを怠らなかったことからチーム内の誰からも信頼された。

 

前途した通り、右足を負傷立っているのがやっとの状態 ながらジャンパー2本連続で決めたこともある。

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