概略
誕生日 | 1960年1月12日(60歳) |
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国 | ![]() |
出身地 | ![]() ![]() |
出身 | ジョージア大学 |
ドラフト | 1982年 3位 |
背番号(現役時) | 21(永久欠番),12 |
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身長(現役時) | 203cm (6 ft 8 in) |
体重(現役時) | 100kg (220 lb) |
ポジションはスモールフォワード。
右利き。
父親がアメリカ軍に従軍していた関係で、フランスの首都パリで生まれた。
高い得点能力を誇り、ダンクシュートで有名なことから「ヒューマンハイライトフィルム」と呼ばれた。
ジュリアス・アービング、マイケル・ジョーダン、ヴィンス・カーターらと並び、史上最高のスラムダンカーの1人とされている。
2006年にバスケットボール殿堂入りを果たした。
受賞歴 | |
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経歴
選手経歴 | |
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1982-1994 1994 1994-1995 1995-1996 1996-1997 1997-1998 1999 |
アトランタ・ホークス ロサンゼルス・クリッパーズ ボストン・セルティックス パナシナイコスBC サンアントニオ・スパーズ フォルティトゥード・ボローニャ オーランド・マジック |
ジョージア大学に在学中の1982年のNBAドラフトでユタ・ジャズから指名された。
当時、ジャズは金銭的な問題を抱えており、ウィルキンスを保有することが出来ませんでした。
そのため、トレードが行われ、ドラフトから数か月後にウィルキンスはアトランタ・ホークスへ移籍します。
ホークスからジャズに移籍したのはジョン・ドリューとフリーマン・ウィリアムス、それに現金がジャズに渡ったのですが、現在、このトレードはNBAの歴史の中で最も釣り合いのとれないトレードだったといわれています。
NBA開幕前にアトランタ・ホークスに移籍してキャリアの大部分をホークスで過ごした。
入団2年目の1983-84シーズンから1993-94シーズンまで11シーズン連続して1試合平均20得点以上を記録、1985-86シーズンは30.3得点で得点王に輝いた。
ウィルキンスを中心としたチームは強豪チームとなり1980年代にホークスは4回50勝以上あげることができた。
主なチームメイトは、ケビン・ウィリス、モーゼス・マローン、ドック・リバース、スパッド・ウェブ、ムーキー・ブレイロックなど。
得点王に輝いた1985-86シーズンから連続でNBAオールスターゲームに9回選出された。
またスラムダンクコンテストで2回優勝している。
特にウイルキンスとマイケル・ジョーダンとの戦いは白熱した。
1984年は、ラリー・ナンスが優勝してウイルキンスは敗れた。
1985年は、ジョーダンと決勝で戦い優勝。
1986年のダンクコンテストでは、ジョーダンが負傷したため、ジョーダンvsウィルキンスが再び戦うことはなかった。
ウイルキンスは決勝に進出したが同僚のスパッド・ウェブとの対決で敗れた。
1988年にウイルキンスとジョーダンは再び決勝で戦い、ジョーダンが優勝した。
シカゴで行われた試合だったのでシカゴ・ブルズ所属のジョーダンに有利な状況だった。
1980年代のホークスは50勝以上を記録する強豪チームでしたが優勝には縁がありませんでした。
1990年に最後のスラムダンクコンテストに出場する。
若手の有望選手であるショーン・ケンプ、スコッティ・ピッペンとケニー・ウォーカー(1987年優勝)と戦い、決勝でケニー・スミスを破り優勝する。
チームの顔とも言えたウィルキンスだったが1993-94シーズン中にダニー・マニングとのトレードでロサンゼルス・クリッパーズにトレードされた。
その後、ボストン・セルティックス、サンアントニオ・スパーズ、オーランド・マジック、ヨーロッパのギリシャやイタリアのチームでプレイした。
NBA歴代13位の26,668得点、そして7,169リバウンドの記録を残した。
エピソード
ドミニク・ウィルキンスはマイケル・ジョーダンが認めたライバルです。
ウィルキンスとジョーダンはスラムダンクコンテストで白熱した戦いを見せてくれました。
実際の試合でもこの二人はお互い点を取られたら取り返すという観戦していて非常に見ごたえのあるプレイを見せてくれるマッチアップでした。
お互い負けん気が強いプレイヤーですから、やられたらやり返す的な感じで楽しみながらプレイしていた事でしょう。
ジョーダンがいなければウィルキンスはあと2回ほど得点王を獲っていたかも知れません。
ジョーダンもウィルキンスを認めていてNBAのスコアラーの中でも『こいつはやる』と思っていたそうですよ。
1996年のNBA創設50年を記念して選ばれた 「 NBA史上最も偉大な選手50人 」 にウィルキンスは選ばれませんでした。
不選出の理由は所属チームが優勝していないからだそうですが、それを言うならジョン・ストックトンやカール・マローン、チャールズ・バークレーだって優勝していません。
これは物議を呼び、「選ばれないのはおかしい」との意見も聞かれた。
プレースタイル
ドニミクのプレーの見所は、何と言っても豪快なスラムダンク。
飛びあがると、空中で更に加速する様な跳躍を見せました。
「まるで3段ロケットを内蔵している様だ」と説者が言っていた事もありました。
歴代屈指のスラムダンカーで彼のダンクはその日のハイライトになる。
毎試合ごとに、その日のハイライトのような印象的なプレイを見せつけてくれることから“ヒューマンハイライトフィルム”と呼ばれていたドミニク・ウィルキンス。
同じ時期に活躍したマイケル・ジョーダンの華麗で豪快なダンクにも引けを取らない、野獣のように強烈なダンカーとしてNBAファンの記憶に残っている。
もちろん、ダンクだけでなく、ポストプレイ、アウトサイドシュートも一流だったので得点力も高く、1985-86シーズンでは得点王に輝いている。
さらにオールスターには9度出場し、スラムダンクコンテストでは2回優勝している。
そんなドミニクのクレイジーなダンクをはじめとした得点シーンをまとめた約10分半の映像はまるでショーのようだ。↓
ラリー・バード(ボストン・セルティックス)のディフェンスの上を抜くダンク(0:35〜)や、オールスター戦でのスピンしながらのレイアップシュートでは観戦していたジョーダンも拍手を送る(3:00〜)。
失敗したシュートのリバウンドからのダンク(8:26〜)など、多種多彩な“ヒューマンハイライトフィルム”プレイは必見。
シュートだけではなく、あらゆる種類のフェイクも見ごたえがあり、身体能力・スキルの高さ、豪胆さに圧倒されるはずだ。
ドミニクのプレイを見ていると、身体能力とパワフルなプレイは現在のNBAで旋風を巻き起こしているヤニス・アデトクンボのようで、巧妙なフェイクの動きはラジョン・ロンドのようにも見えてくる。(もしくはそれ以上にうまい!)