概略
誕生日 | 1952年11月5日(67歳) |
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国 | ![]() |
出身地 | カリフォルニア州ラ・メサ |
出身 | UCLA |
ドラフト | 1974年1巡目1位ポートランド・トレイルブレイザーズ |
背番号(現役時) | 32(永久欠番).5 |
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身長(現役時) | 211cm (6 ft 11 in) |
体重(現役時) | 95kg (209 lb) |
ポジションはセンター。
右利き。
愛称は「メディカル・ビル」。
ポートランド・トレイルブレイザーズなど3チームに所属した。
1993年に殿堂入りを果たした。
1996年には、NBA50周年を記念した「50人の偉大な選手」の1人に選ばれた。
受賞歴 | |
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経歴
選手経歴 | |
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1974-78 1979-1985 1985-87 |
ポートランド・トレイルブレイザーズ サンディエゴ/ロサンゼルス・クリッパーズ ボストン・セルティックス |
大学時代は名将ジョン・ウッデンの下、UCLAを2度の全米制覇に導き、3年連続で最優秀選手に選ばれるなどスター選手として活躍した。
大学卒業後、1974年のNBAドラフトで全体の1位指名をポートランド・トレイルブレイザーズから受けNBA入りした。
ブレイザーズでは年々成績を伸ばし、3年目の1976-77シーズンには、平均18.6得点、14.4リバウンド、3.8アシスト、1.0スティール、3.2ブロックを記録し、リバウンド王に輝いた。
また、オールスター、オールNBA2NDチーム、オールディフェンシブ1STチームにも選ばれた。
プレイオフではカリーム・アブドゥル=ジャバーのいたレイカーズを4-0で破り、NBAファイナルへ進出。
フィラデルフィア・76ersにも4-2で競り勝ち、ファイナルMVPに選ばれた。
翌1977-78シーズンも、得点とアシストで自己最高を記録するなど活躍し、オールスター、オールNBA2NDチーム、オールディフェンシブ1STチームに加え、シーズンMVPも受賞した。
プレイオフでは怪我により2試合しか出場できず、シアトル・スーパーソニックスに2-4で敗れた。
その後のウォルトンは怪我により調子を落とすようになり、サンディエゴ・クリッパーズ(現在のロサンゼルス・クリッパーズ)を経て、1985年9月に、ボストン・セルティックスへ移籍した。
1985-86シーズンは自己最多の80試合に出場、シックスマンとしてチームを支え、シックスマン賞を獲得した。
プレイオフではNBAファイナルに進出し、ヒューストン・ロケッツを破り優勝した。
翌86-87シーズンは、怪我で10試合の出場に留まり平均得点は2.8得点まで落ち込んだ。
プレイオフではチームはファイナルに進出したが、ロサンゼルス・レイカーズに惜敗した。
エピソード
元ロサンゼルス・レイカーズ所属のルーク・ウォルトンの父親である。
現役引退後は、解説者として活躍している。
1993年に殿堂入りを果たし、1996年には、NBA50周年を記念した「50人の偉大な選手」の1人に選ばれた。
彼はその怪我の多さから現役時代「メディカル・ビル(医療費請求書=ファーストネームの「ビル」とかけている)」の異名を頂戴し、出場468試合と殿堂入り選手の中でもっとも出場試合がすくないことでも有名である。