ビンス・カーター

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概略

史上最高のスラムダンカー、ビンス・カーター『Legend Story』2020.07.03 NBA情報局 DAILY9 曜日別特集(金曜日) NBA Rakuten
超絶ダンク連発!ビンス・カーターが世界中の度肝を抜く~2000年スラムダンクコンテスト~【NBA's レジェンド】
誕生日 1977年1月26日(43歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 フロリダ州デイトナビーチ
出身 ノースカロライナ大学
ドラフト 1998年 5位
背番号(現役時) 15
身長(現役時) 198cm (6 ft 6 in)
体重(現役時) 100kg (220 lb)
足のサイズ 34cm
最高到達点 約381cm
シューズ ナイキ

 

ポジションはシューティングガード、スモールフォワード。

 

右利き。

 

愛称は「ハーフマン・ハーフアメイジング」、「エアカナダ」、「ヴィンサニティ」。

 

22年にわたる現役生活において、キャリア前年はトロント・ラプターズ、ニュージャージー・ネッツでエースとして活躍し、後年はロールプレイヤーに転身し多くのチームを渡り歩いた。

 

類まれなジャンプ力を持ちジョーダンの後継者と呼ぶに相応しいと謳われ、リーグ屈指のスラムダンカーとして人気の高い選手である。

 

NBAにおいて、1990年代、2000年代、2010年代、2020年代の4つの年代でプレーした唯一の選手である。

 

受賞歴
  • 8×NBAオールスターゲーム出場:2000~2007
  • オールNBAチーム
    • 2ndチーム:2001
    • 3rdチーム:2000
  • NBAチームメイト・オブ・ザ・イヤー賞 : 2016
  • NBAスラムダンクコンテスト優勝:2000
  • NBAオールルーキーチーム 1stチーム:1999
  • 新人王:1999
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オリンピック
2000 シドニー バスケットボール

 

経歴

【ヴィンス・カーター】カーターが史上最高のスラムダンカーと呼ばれる理由
選手経歴
1998-2004
2004-2009
2009-2010
2010-2011
2011-2014
2014-2017
2017-2018
2018-2020
トロント・ラプターズ
ニュージャージー・ネッツ
オーランド・マジック
フェニックス・サンズ
ダラス・マーベリックス
メンフィス・グリズリーズ
サクラメント・キングス
アトランタ・ホークス
代表歴
キャップ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 2000

 

1998年のNBAドラフトでゴールデンステート・ウォリアーズが全体5位として指名するが、即座にジェイミソンと交換でトロント・ラプターズに移籍。

 

この年から活躍し、新人王を獲得、NBAオールルーキーチームの1stチームに選出された。

 

2000年のNBAオールスターゲームにファン投票で最多投票を獲得し先発選手として出場した。

 

また、スラムダンクコンテストにも出場し、試技5回中3回で満点を記録。

 

驚異的なパフォーマンスを披露し優勝。ルーキーイヤー以外のオールスターゲームに2001年~2007年まで7年連続出場(ルーキーイヤーはロックアウトによりオールスターゲーム自体が開催されなかった)。

 

その内の5回はファン投票の獲得数で決まる先発選手として出場した。

 

2000年・2001年・2002年・2004年には、最多得票で選出されている。

 

2000年シドニーオリンピックではトム・ググリオッタの代役で、アメリカ代表チームドリームチームの一員として出場、大活躍し金メダル獲得。

 

2001-2002シーズン終盤、サンアントニオ・スパーズ戦でティム・ダンカンにファウルされた時に左膝を故障。

 

すぐに回復するものと思われたが、想像以上に故障の度合いが酷く、長期の欠場。

 

この間にチームは泥沼の16連敗を喫する。

 

カーターは故障の癒えないまま連敗を止めるために一時復帰。

 

なんとか連敗を止めるも故障の状態が思わしくないために内視鏡手術を決意。

 

残りの全試合を欠場することとなった。

 

しかし、カーターの欠場が決まった直後からチームは奇跡の14連勝を挙げプレーオフに出場。

 

この一件をきっかけにファンやメディアの間でカーター不要説が囁かれ始めるようになった。

 

2002-2003シーズンも故障は完全に癒えておらず43試合のみの出場とシーズンの大半を欠場。

 

何とか平均得点は20点代を記録するも、故障前のカーターとは別人のようになってしまった。

 

このころから、カーターの評価、存在感、チーム内での重要度が失われていった。

 

2003-2004シーズンは復活を果たす。

 

73試合に出場し、平均得点も22.5とリーグ8位の好成績を記録。

 

しかし、プレーオフには出場できなかった。

 

HCの交代でチーム全体のオフェンスが機能せず、シーズン中に主力を入れ替えるトレードを行った事が原因とされる。

 

カーター自身もチームの改革を望んでいた所、カーターとラプターズ首脳陣との間で「チームの新しい首脳陣の人事は君にも相談する」との約束が交わされる。

 

しかし実際には何の相談も無く人事は決定(カーターはジュリアス・アービングのフロント入りを希望していたが叶えられなかった)。

 

これに腹を立てたカーターはトレードを要求。

 

そのままシーズンが開幕するも明らかにモチベーションの低いプレーを連発した。

 

ラプターズもカーターのモチベーション低下による散漫なプレイに仕方なくトレード要求を承認。

 

2004年12月17日、ニュージャージー・ネッツにアーロン・ウィリアムス、エリック・ウィリアムス、アロンゾ・モーニング (モーニングはラプターズでのプレーを拒否し、バイアウトで解雇後、マイアミ・ヒートと契約) との交換で初の移籍を果たす。

 

ちなみにこのトレードはラプターズにとって全く旨みの無いトレードで、NBA史上最低のトレードとも酷評された。

 

移籍先のネッツは当時リーグ最高峰のポイントガードであったジェイソン・キッドが在籍していたチームであり、カーターとキッドのバックコートコンビは大いに注目を集めた一方で、カーターとプレイスタイルで被るリチャード・ジェファーソンとの共存については疑問視されていた。

 

しかしジェファーソンはカーター移籍直後に故障。

 

このシーズンで3人揃ってコートに立つことはなく問題は先送りになったが、新天地で心機一転したカーターは移籍後の平均得点ではリーグ2位に値する27.6を記録。(シーズン通算は24.3)

 

故障者が多かったチームを滑り込みでプレーオフに導いた。

 

翌2005-2006シーズンにはようやく主力3名が揃って開幕を迎え、カーターは得点面で活躍。

 

ジェファーソンとの共存も問題なくクリアし、かつての豪快なダンクも復活した。

 

チームはデビジョンを制し、プレーオフに進出したが、カンファレンスセミファイナルでマイアミ・ヒートに敗れた。

 

2006-2007シーズンは主力選手であるネナド・クリスティッチとジェファーソンが相次いで故障しチームから離脱するなか、カーターは82試合に出場。

 

キッドと共に低迷するチームを支えた。ネッツは本来キッドを中心とするアップテンポなゲーム展開を得意としていたが、このシーズンからはカーターを中心とするハーフコートオフェンスが目立つように。

 

カーターはオールスター出場を逃すなど、やや物足りないシーズンとなったが、キャリア二回目のトリプルダブルを記録した。

 

2007-2008シーズンは序盤から指と足に故障を抱えた状態でプレーをした事もあり、平均得点は前年よりもダウン。

 

チーム不調の原因にもなった。

 

しかし、故障を抱えた状態での成績としては一定の評価を得る。

 

平均得点20点以上、平均アシスト5以上、平均リバウンド5以上の記録を残したのはカーターの他にコービー・ブライアント、レブロン・ジェームズ、トレイシー・マグレディの4人のみであった。

 

チームはレブロン・ジェームズ獲得を視野に入れた改革に着手。

 

チームの核であったキッド放出もあり、プレイオフ進出を逃す事となった。

 

2008-2009シーズンは昨シーズンの故障も回復し平均得点20.8点、平均アシスト4.7、平均リバウンド5.1とオールラウンドな成績を残し序盤はチームも健闘したものの最終的にはプレイオフ進出を逃す。

 

チーム首脳陣はカーター中心のチームからデビン・ハリスを初めとした低コストの選手で構成し、2010年のFA選手(レブロン)を狙う戦略をさらに進めた。

 

シーズン終了後、カーターは故郷にあるオーランド・マジックに移籍した。

 

2010年12月18日に、3球団(オーランド・マジックのほか、フェニックス・サンズ、ワシントン・ウィザーズ)が絡むトレードにより、ミカエル・ピートラス、マルチン・ゴルタット(+2011年ドラフト1巡目指名権、現金)とともに、ジェイソン・リチャードソン、ヒド・ターコルー、アール・クラークとの3対3のトレードにより、フェニックス・サンズへ移籍。

 

2011年、FAでダラス・マーベリックスに移籍。

 

2014年のプレイオフ、サンアントニオ・スパーズ戦の第3戦目では、劇的なブザービーターを決めた。

 

2014年、FAでダラス・マーベリックスの慰留を受けたが、同カンファレンスのライバルチーム、メンフィス・グリズリーズに移籍した。

 

2017年7月6日、サクラメント・キングスと1年800万ドルで契約した。

 

2018年、アトランタ・ホークスと最低保証年俸の1年240万ドルで契約した。

 

現地時間11月21日、史上21人目となる通算2万5,000得点達成。対戦相手はくしくもデビュー6シーズンを過ごしたトロントラプターズであった。

 

2019年9月20日、ホークスと1年250万ドルで再契約した。

 

2019-2020シーズン途中、今季限りでの現役引退を表明した。

 

2020年3月11日のニューヨーク・ニックス戦の試合中に、新型コロナウイルスの影響でNBAのシーズンが中断することが決定。

 

このときカーターは既にベンチに退いていたが、この試合が引退試合となる可能性が出てきたため、オーバータイムの残り20秒でコートに戻ると、トレイ・ヤングからのアシストを受けて3ポイントシュートを決めた。

 

試合後には自身のツイッターでチームメイトやファンに感謝の思いを綴った。

 

2020年6月4日、NBAは両カンファレンスの1~8位までの16チームと、プレーオフ出場圏内の6チームを合わせた22チームで7月31日からシーズンを再開することを発表。

 

カンファレンス14位と低迷しているホークスは該当チームではないため、カーターの引退が決定した。

 

その後6月25日に正式に引退を表明した。

 

エピソード

Vince Carter Ultimate Career Highlights

NBA史上最も長く現役を続けた選手です。

 

NBAにおいて、1990年代、2000年代、2010年代、2020年代の4つの年代でプレーした唯一の選手である。

 

カーターと言えばNBA史上屈指のスラムダンカーとして有名。

 

プロ入り2年目の1999-2000シーズン、2000年オールスターゲーム前日のNBAオールスター・スラムダンクコンテストでの優勝で全米を驚愕させたことでスラムダンカーの象徴となった。

 

全5回の試技の内、3回で50点満点を、1回で49点という数字を叩き出した。

 

1回目のダンクは逆回転360ウィンドミル。

 

コート左側をウィークサイド寄りに切り込み、ゴール手前で踏み切ると360°体の向きを回転させて、腕を風車のようにグルリと回してリムに叩き込んだ。

 

通常の場合は右利きであれば、進行方向と腕の振りから、反時計周りに回転するのが普通だが、カーターの場合は時計回りに回転するもので難易度も高く、美しい腕の振りがより強調され、いきなりの満点。

 

2度目はボードの裏から助走無しで1度目のダンクと酷似したものを披露。

 

49点であった。

 

3度目は空中で受けたバウンドパスをそのまま空中で股の下を通しダンクするアリウープ・レッグスルー。

 

こちらも満点で今、現在でも史上最高のスラムダンクとして記憶されている。

 

4度目はダンクした腕をリムに肘まで入れてぶら下る、カーターオリジナルのエルボーダンクでまたも満点。

 

最後の試技はボースハンドレーンアップで47点であった。

 

すぐれた跳躍力だけでなく、オリジナリティ、空中でのボディバランス、芸術性など、ダンクコンテストの審査項目全てで、NBAの中でも歴史的なもので新世紀ダンク王の称号をその手中に収めた。

 

トロント・ラプターズ時代のチームメイトであるトレイシー・マグレディとは従兄弟同士であるが実際に血の繋がりは無い。

 

マイケル・ジョーダンのニックネーム、エア・ジョーダンにちなんで、かつてカナダのチームであるラプターズ所属であったことからエアカナダという呼び名を持っていた。

 

その他にもプレイの素晴らしさから「半分人、半分驚異」、名前の「ヴィンス」と「狂気の沙汰」を組み合わせた「ヴィンサニティ」の呼び名もある。

 

1998年からバスケットボール選手としては初めてプーマのスポンサーシップを受ける。

 

しかし、2000年のオールスターにプーマと契約中にもかかわらずAND1のシューズを履いて登場。

 

しかもプーマのシューズが「足に合わない」との理由から契約解除を求めて裁判で争ったが敗れ、1,350万ドルの賠償金を支払うように命じられる。

 

しかし当時人気絶頂のカーターとの独占契約をねらったナイキがその賠償金を肩代わりする事を申し入れ、カーターはナイキと契約を結んだ。

 

初めてダンクをしたのは中学1年生の時で、身長は既に173cmに達していた。

 

高校ではバスケットボールと共にバレーボールをプレイ。

 

バスケットではフロリダ州のミスターバスケットボールに選ばれ、バレーボールではアメリカ代表候補に選ばれたが、カーターが選んだのはバスケットボールだった。

 

カーターは、名門ノースカロライナ大学に進学。

 

大学時代はアントワン・ジェイミソンらとプレイし、3年生の時にはオールACCファーストチーム、オールアメリカセカンドチームに選出された。

 

ファイナルフォー敗退後、アーリーエントリーを宣言しNBA入りする。

 

残った大学の単位は夏季講習を受けるなどして修得し、2001年に卒業することになったが、卒業式の日はNBAプレーオフの対フィラデルフィア・76ers戦第7戦の朝だった。

 

プレーオフの最中でありながら卒業式に出席することは青少年に勉強の大切さを伝えるために良いアピールだと考えたカーターは式に出席し、その日の試合では20得点、9アシスト、7リバウンドをマーク。

 

しかし、逆転を狙ったラストショットを外してしまい卒業式に出席した疲労が影響したとして批判されてしまった。

 

プレースタイル

“NBA史上最高のダンカー” ビンス・カーター、スーパープレイ集【NBA's レジェンド】
Vince Carter Top 40 Plays of Career

NBA史上屈指のスラムダンカーです。

 

しかしNBAに22年間もいればプレースタイルは当然変わるものです。

 

キャリアを通じて大きくプレースタイルを変化させた選手でもあります。

 

キャリア序盤のカーターはゴリゴリのダンカーで、信じられないダンクを連発していました。

 

間違いなく歴代トップのダンカーの1人でしょう。

 

決してダンクだけというわけではなく、シューターとしても優秀でした。

 

ルーキーシーズンにはシューティングで苦しんだものの、次のシーズンからは改善されており、通算の3P%は37.4%と高確率な数字を残しています。

 

また、ジャンプ力を活かしたムーブも印象的で、リバースレイアップや360レイアップのようなサーカスショットも印象的です。

 

ハイライトになるような、いわゆる魅せるプレーをたくさんしてくれました。

 

クラッチタイムにも強く、試合終盤の勝負強さはコービーやポール・ピアース、レイ・アレンに匹敵すると思っています。

 

全盛期ではチームのエースでありスコアラーであったカーターですが、だんだんとチーム内での役割も変わっていき、ロールプレイヤーとしてプレーします。

 

スタープレイヤーでありながら、ベンチからの出場も受け入れたのでしょう。

 

プライドが許さないというプレイヤーも少なくないでしょうが、そこがカーターのすごいところでもあります。

 

若き日のカーターは豪快なダンクで得点できれば良いものの、強引にドライブしてタフショットを打つことも多く、シュートセレクションの良いタイプとは言い難い選手でした。

 

NBA入り直後は非常に頻繁に1on1を仕掛けていくプレイスタイルでした。

 

シュート力がこのころはまだあまりよくなかったので、ポストや45°からの1on1でドライブからレイアップやダンクを決めるというプレイスタイルでした。

 

身体能力がいいので活躍していましたが、プレイスタイルの幅が広いとは言えませんでした。

 

ダンクという武器が発揮されなくなった晩年はゴール下での得点が難しくなり、全盛期は平均10点近くあったペイント内得点は1.5点まで落ちました。

 

それによりフィールドゴール成功率が40%を下回ることも多くなりました。

 

その一方で、晩年の3ポイントシュートの成功率は38.9%と全盛期並みの数字です。

 

全シュートの68%を3ポイントシュートが占め、同じく64%のシュートがドリブルをつかないキャッチ&シュートであり、若いチームメートからのパスを待つスポットシューターに変化しました。

 

自分でプレーをクリエイトすることはありませんが、的確なポジショニング、そして時には全盛期と変わらぬ強気なシュートチョイスで苦しい時間帯に頼られるシューターになっています。

 

もう一つの特徴がディフェンスです。

 

若い頃はガードとしてプレーしていたカーターですが、NBA全体の高速化とスモールラインナップの隆盛に対応するように、ビッグマンを守れる貴重なウイングディフェンダーに変化しました。

 

若い頃のスピードは失われても、トレーニングを重ねている肉体は42歳になってもフィジカルで押し負けません。

 

またリバウンド数2.6は多くないものの、堅実なボックスアウトも持ち味となっており、自身が高さで勝てなくてもしっかりとボックスアウトすることでチームリバウンドを生み出しています。

 

ラストシーズンを過ごすホークスではどこからでも3ポイントシュートを打つ機動力をつかったオフェンスを好み、効果的なオフボールムーブでスペースを有効に使うことを志向しています。

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