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トニー・パーカー

バスケ

概略

NBA Highlights Series – Tony Parker Highlights
誕生日 1982年5月17日(38歳)
フランスの旗 フランス
ベルギーの旗 ベルギー
出身地 ベルギーの旗 ベルギー フランデレン地域の旗 フランデレン地域
ウェスト=フランデレン州の旗 ウェスト=フランデレン州ブルッヘ
出身 フランス国立スポーツ研究センター(INSEP)
ドラフト 2001年 28位
身長(現役時) 188cm (6 ft 2 in)
体重(現役時) 82kg (181 lb)
足のサイズ 29.5cm(11 1/2)
シューズ PEAK

 

ポジションはポイントガード。

 

右利き。

 

愛称は「 T.P」。

 

サンアントニオ・スパーズなどで活躍したポイントガード。

 

ティム・ダンカン、マヌ・ジノビリとともに、スパーズのビッグスリーと呼ばれ、トリオ通算レギュラーシーズン試合数、通算勝利数、通算プレーオフ試合数、通算勝利数の全てでNBA歴代1位である。

 

父はアメリカ人の元バスケット選手で母はオランダ人の元モデル。

 

ベルギーのブルッヘ生まれでフランスで育ち、フランス国籍を持つフランス代表。

 

ヨーロッパ出身選手、またアメリカ国籍を持たない選手としては初めてのNBAファイナルMVP獲得者である。

 

受賞歴
  • 4× NBAチャンピオン (2003, 2005, 2007, 2014)
  • 1× NBAファイナルMVP (2007)
  • 6× NBAオールスターゲーム (2006–2007, 2009, 2012-2014)
  • 3× オールNBAセカンドチーム (2011–2013)
  • オールNBAサードチーム (2008)
  • NBAオール・ルーキー・ファーストチーム (2001)
  • NBAオールスタースキルチャレンジ優勝 (2012)
  • NBAオールスターシューティング・スター優勝 (2006)
  • FIBAユーロバスケットMVP (2013)
  • 2× FIBAユーロ最優秀選手賞 (2013, 2014)
  • 2× オールヨーロッパ最優秀選手賞 (2013, 2014)
  • 2× ユーロスカー賞 (2007, 2013)
  • FIBAヨーロッパ・アンダー18チャンピオンシップMVP (since 1998) (2000)

 

経歴

Tony Parker's BEST Spurs Moments!
選手経歴
1999-2001
2001- 2018
2018-2019
パリ・バスケ・ラシン パリ・バスケ・ラシン
サンアントニオ・スパーズ サンアントニオ・スパーズ
シャーロット・ホーネッツ
代表歴
キャップ フランスの旗 フランス 2000-2012

 

クラブ

 

ジュニアの国内選手権では平均30得点7アシスト、幾度も20得点を達成するなど華々しい活躍で準優勝を果たした。

 

15歳の頃にはパリ国立体育・スポーツ研究センター(INSEP)に入り、ここで後にNBAでプレイするボリス・ディアウやロニー・トゥリアフらと出会った。

 

INSEP(チームは第3部)での2年目となった98-99シーズン、パーカーは16歳ながら平均22.1得点でリーグの得点王になった。

 

この活躍でプロバスケットボールリーグLNBのパリ・バスケット・レーシングと契約、17歳でプロデビューを果たし、プロ2年目にはチームのエース格に成長し、14.7得点5.6アシストの成績を残した。

 

また2000年のジュニア・ヨーロッパ選手権では優勝を果たした。

 

19歳になったパーカーはNBAドラフトにエントリーする。

 

しかしサンアントニオ・スパーズでの最初のワークアウトは大失敗に終わり、グレッグ・ポポヴィッチHCからは大変に低い評価を受けた。

 

しかし2度目のワークアウトで何とか眼鏡に適うようになり、2001年のNBAドラフトでスパーズから全体の28位指名を受けて入団した。

 

スパーズの首脳陣はその時点でパーカーが他球団に指名されずに残っていることに驚いていた。

 

もっともポポヴィッチはパーカーの指名に反対していたが、R・C・ビュフォードGMがポポヴィッチの反対意見を振り切り強行指名した。

 

パーカーは「R・Cがいなかったら、僕がNBAでプレーすることはなかっただろう」と振り返っている。

 

2001-02シーズンにNBAデビューを果たしてからも暫くの間はポポヴィッチHCの叱咤を受ける日々が続いたが、抜群のスピードとクイックネスは即戦力として通用した。

 

開幕スターティングPGのポジションにはリーグ5年目だったアントニオ・ダニエルズがいたが、開幕5試合目を終えたところでポポヴィッチHCはスターティングPGをパーカーに変更。

 

ルーキーながら、77試合中72試合にスターターで出場し、9.2得点、4.3アシストの成績を残し、オールルーキーファーストチームに選出された。

 

2002-03シーズン は早くもチームの主力として全82試合出場を果たし、平均15.5得点はチーム2番目の成績だった。

 

大黒柱のティム・ダンカンとパーカーに牽引されたチームはプレイオフを勝ち進み、4シーズンぶりにファイナルに進出。

 

当時のトップPGジェイソン・キッド率いるニュージャージー・ネッツを4勝2敗で破り、NBAチャンピオンに輝いた。

 

シリーズ中平均14得点を記録したパーカーは2年目にして早くも1つ目のチャンピオンリングを手に入れることになった。

2003-04シーズン 長らくスパーズを支えてきたデビッド・ロビンソンがシーズン前に引退し、スパーズはダンカンにパーカー、そしてアルゼンチン出身のマヌ・ジノビリらを中心としたチームに移行した。

 

優勝を果たしながらもポポヴィッチらチームの首脳陣はパーカーのプレイ振りには満足しておらず、試合の終盤には、スピーディ・クラクストンが起用される場面が多かった。

 

このオフにはジェイソン・キッドの獲得に動いたが、実現には至らず。

 

パーカーはチャンピオンチームの先発の座を死守した。

 

この年のプレーオフはカンファレンスセミファイナルでロサンゼルス・レイカーズに破れ、連覇はならなかった。

 

2004-05シーズン は2位でプレーオフ進出。

 

そしてファイナルまで勝ち進む。前シーズンチャンピオンチームのデトロイト・ピストンズと対戦し、パーカーは前シーズンファイナルMVPのチャンシー・ビラップスとマッチアップ。

 

ピストンズの堅いディフェンスにスパーズは苦しめられたが、ジノビリがチームを牽引する活躍をし、またパーカーも平均13.9得点でチームに貢献、ゲーム7までもつれたシリーズをスパーズが制し、パーカーは2つ目のチャンピオンリングを手にした。

 

2005-06シーズンパーカーは苦手だったロングレンジからのシュートを封印し、得意のペネトレイトからの得点により磨きをかけたことにより、フィールドゴール成功率が急上昇し、PGとしては異例の54.8%を記録。

 

故障を抱え不調だったダンカンに代わりチームのリーディングスコアラーとして活躍し、平均18.9得点の成績を残し、初めてオールスターゲームに選出された。

 

スパーズはチーム記録となる63勝19敗の成績を残したが、プレイオフではカンファレンスセミファイナルで宿敵ダラス・マーベリックスに敗れた。

 

2006-07シーズン にはダンカンが復調し、スパーズは順調に勝ち続け、プレイオフでも対戦相手を次々と退けてファイナルに進出。

 

レブロン・ジェームズ率いるクリーブランド・キャバリアーズと対戦した。

 

このシリーズでパーカーは独擅場とも言える働き振りを見せ、平均24.5得点5リバウンド3.3アシスト、フィールドゴール成功率は57%を記録し、キャバリアーズを4戦全勝のスイープで打ち破った。

 

パーカーはファイナル制覇3回目にして初のファイナルMVPを獲得、7月に控えた婚約者との挙式に華を添えた。

 

24歳になる以前に出場したプレイオフの試合数がNBA史上最多という記録を持つ。

 

2007-08シーズン スタッツは昨年とほぼ変わらないが足の怪我により13試合に欠場。

 

連覇が目標だったがカンファレンスファイナルでロサンゼルス・レイカーズに1勝しかできずに敗れる。

 

2008-09シーズン チームは73年以来の開幕3連敗をしてしまう。

 

しかし4戦目のミネソタ・ティンバーウルブズ戦でパーカーはキャリアハイの55得点10アシストの大活躍で連敗を止めた。

 

NBA史上50得点、10アシストを成し遂げたのは彼で4人目であった。

 

2009-10シーズン怪我のため出場試合数は56に止まり、平均得点も前年より大きく下げた。

 

パーカーの怪我により大幅に出場時間を増やしたジョージ・ヒルが期待を上回る活躍を見せ、オフにはパーカーをトレードで放出する案も浮上したが、結局、契約を延長した。

 

2010-11シーズン 調子を戻し、フィールドゴール%も50%を超えたが、プレイオフでは、パーカーは好調を維持したが、チーム全体が勝負強さを欠き、1回戦で第8シードのメンフィス・グリズリーズにアップセットされるという事態を招いた。

 

2011-12シーズン2009年以来のNBAオールスターゲームのメンバーに選出。

 

チームもシカゴ・ブルズと並ぶ50勝16敗のリーグ最高勝率でシーズン終了。

 

プレーオフもユタ・ジャズ、ロサンゼルス・クリッパーズを4戦全勝で下し、カンファレンスファイナルは新興勢力のオクラホマシティ・サンダーとなった。

 

まずはスパーズが2勝をあげる。

 

しかしここから、ケビン・デュラント、ラッセル・ウェストブルック、ジェームス・ハーデンなど、若さ溢れるタレント集団が、驚異的な巻き返しを見せ、その後はまさかの4連敗を喫し、2007年以来のNBAファイナル進出はならず、パーカーにとっても失意のシーズンとなった。

 

2012-13シーズン 6年振りにウェスタンカンファレンスを制し、ファイナルはレブロン・ジェームズ、ドウェイン・ウェイド、クリス・ボッシュのビッグスリー擁するマイアミ・ヒートとの対戦となった。

 

パーカーは第1戦で体勢を崩しながらも決勝シュートを決め、ヒートを3勝2敗まで追い詰めたが、第6戦の勝利間近でのレイ・アレンの同点3ポイントシュートから形勢を逆転され、3勝4敗で屈した。

 

2013-14シーズン リーグ最高勝率で勝ち上がり、プレーオフはダラス・マーベリックスに苦しめられたものの順調に勝ち上がり、カンファレンスファイナルは2シーズン前にファイナル進出を阻まれたオクラホマシティ・サンダーとの対決となった。

 

スパーズは2連勝したもののその後2連敗を喫し、2シーズン前の悪夢が蘇るところだったが、ここでパーカーらが奮起し、2連勝しウェスタンカンファレンスを制した。

 

そしてマイアミ・ヒートとの再戦となったNBAファイナルは、終始ヒートを圧倒し、7年振りにNBA優勝。

 

パーカー自身も通算4個目のNBAチャンピオンリングを獲得した。

 

2014-15シーズン 疲労の蓄積による欠場が増え、パティ・ミルズやコーリー・ジョセフなどに出場機会を譲ることが多くなったものの、ティム・ダンカンらと共にチームを牽引した。

 

2015年3月31日のマイアミ・ヒート戦に出場し、NBA史上最速で1,000試合出場を果たした。

 

NBAで1,000試合出場を達成した114人目で、スパーズのみでの達成ではティム・ダンカンに続く2人目の選手であり、この時点での勝利数は718で、勝率でも歴代トップクラスに位置する。

 

チームは終盤戦の11連勝などで追い込み、55勝27敗の成績で、NBA初の16年連続50勝以上という偉業を達成。

 

しかしウェスタンカンファレンス6位で終わり、上位シード権を失ってしまった。

 

そしてロサンゼルス・クリッパーズとの対戦となったプレーオフ1stラウンドは、パーカー自身左足アキレス腱の負傷を抱えながらも奮闘したが、チームは3勝4敗で屈した。

 

同シーズンについてパーカーは、「非常にタフでクレイジーなシーズンだったよ」と振り返っている。

 

2015-16シーズン スパーズはラマーカス・オルドリッジを獲得し、カワイ・レナードの成長も相まってフランチャイズ記録となる67勝を記録し、パーカーは平均11.9得点を記録した。

 

プレーオフに進み、メンフィス・グリズリーズをスィープで下したが、カンファレンス準決勝でオクラホマシティ・サンダーに2勝4敗で敗れた。

 

2016-17シーズン チームの大黒柱であったティム・ダンカンが引退し、パウ・ガソルがその代わりを務めるべくシカゴ・ブルズから移籍し、61勝21敗でレギュラーシーズンを締め、フランチャイズ初となる2年連続の60勝以上を達成した。

 

パーカーは63試合に出場し平均10.1得点を記録した。

 

プレーオフは第2シードで前シーズンと同じメンフィス・グリズリーズと対戦し、4勝2敗でヒューストン・ロケッツとのカンファレンス準決勝に臨んだ。

 

これまで好調を維持してきたパーカーであったが、第二戦の4クォーターに、ペイント内へのドライブ時に左の大腿四頭筋の腱を断裂し、以降のゲームに出場できないことが決まった。

 

また実戦復帰は2018年1月頃になるとも報じられた。

 

2017-18シーズン 前シーズンのプレーオフでの負傷で、復帰が2018年明けになると報じられたが、2017年11月に年中に復帰できるのではないかと報じられた。

 

2017年11月27日のダラス・マーベリックス戦で、復帰出場を果たし、このシーズンは55試合に出場し、シーズン途中の1月21日、グレッグ・ポポヴィッチヘッドコーチの決断で、長年ポイントガードのスタータを務めてきたパーカーは控えにまわり、ディジョンテ・マリーをスターターに起用することが発表された。

 

2018年4月22日のプレーオフ1stラウンド、ホーム2戦目となるゲーム4で、フィジカルなディフェンスと3ポイント攻勢で103-90で勝利し、この勝利で、パーカーとマヌ・ジノビリは、コンビとしてプレーオフ勝利数を132として、NBA最多勝利デュオとなった。

 

2位はティム・ダンカンとパーカーの131勝、3位はティム・ダンカンとジノビリの126勝、4位はコービー・ブライアントとデレク・フィッシャーの123勝、5位はマイケル・ジョーダンとスコッティ・ピッペンの117勝。

 

2018-19シーズン 2018年7月6日、シャーロット・ホーネッツと、2年1,000万ドルで契約することが報じられた。

 

2019年6月10日、現役引退を発表し、18年に渡るNBAキャリアを終えた。

 

引退後の現地2019年8月16日、スパーズはパーカーの背番号9を永久欠番とすることを発表した。

 

セレモニーは現地11月11日のメンフィス・グリズリーズ戦で行われる。

 

代表

 

2000年のジュニア・ヨーロッパ選手権では優勝を果たした。以来フランスナショナルチームとして、2005年ヨーロッパ選手権で銅メダル、2011年ヨーロッパ選手権で銀メダル、2013年ヨーロッパ選手権では、ボリス・ディアウ、ニコラス・バトゥム、ナンド・デ・コロらとともに金メダルを獲得し、この大会でMVPを獲得している。

 

ユーロバスケット2013で、リトアニアを80対66で破り優勝し、MVPとなった。

 

2015年9月、ユーロバスケット史上、歴代1位となる1,032得点を記録した。

 

エピソード

【トニーパーカー】スパーズの王朝を築いたベテランPG

トニー・パーカーが、ニューヨークのナイトクラブでR&Bシンガーのクリス・ブラウンとヒップホップスターのドレイクの仲間による喧嘩に巻き込まれ角膜を負傷した件について、同クラブとその経営者らを相手取り2,000万ドル(約16億1,000万円)の訴訟を起こしていた。

 

訴訟の内容は、ニューヨークのソーホーにあるW.i.Pクラブとその経営者がセキュリティー管理を怠ったことが乱闘騒ぎを招いたというもので、21日にマンハッタンの州最高裁判所に提訴されていた。

 

クラブ内で起こった騒動では、ブラウンとそのガールフレンド、ブラウンのボディガードらを含む8人が負傷。警察によると、ブラウンが帰ろうとしたところをドレイクの仲間が止めたことがきっかけとなり、ボトルが飛び交う喧嘩にまでエスカレートしたという。

 

パーカーは『デスパレートな妻たち』(日本ではNHKにて放映)にも出演している女優のエヴァ・ロンゴリアと2006年に婚約し、2007年7月にパリで結婚式を挙げた。

 

式にはグレッグ・ポポヴィッチやボリス・ディアウなどのNBA関係者を始め、パーカーの友人であるティエリ・アンリや歌手のシェリル・クロウなども招かれた。

 

しかし、2010年11月に離婚が成立。

 

クールな表情と熱いプレーでフランス国内の女性から圧倒的な支持を受けている。

 

スイスの時計ブランドTISSOTが2011年よりスポンサード。

 

フランスプロサッカーリーグリーグ・アンの強豪パリ・サンジェルマンFCの大ファンである。

 

プレースタイル

Tony Parker Offense Highlights

強気なゲームメイクと相手守備を切り裂くスピードを持ち味とするリーグ屈指のポイントガード。

 

派手さはありませんがチームバスケに徹底し、堅実なプレイヤーでした。

 

身長は188cmでNBA選手としては小柄だが、味方のスクリーンを使い、スピンムーブなどのドリブルテクニックを駆使したドライブから、ペイントエリアで得点を量産する。

 

あのスピードの中で、相手との間の見極めに恐ろしく長けています。

 

ゆったりとしたタイプで相手を見ながら上手に攻めるというプレイヤーはよく見かけますが、このスピードで同じようにやられたらディフェンスはたまらないでしょう。

 

パーカーはレイアップやティアドロップ、それとミドルレンジジャンパー中心に得点を重ねていくスタイルで、ペイントエリア周辺を得意にしています。

 

そのせいかFG%が高く、キャリア平均で49.1%とガードにしてはきわめて高いです。

 

ピック&ロールを上手く使いペネトレイトしていき、とくにスピンムーブからのレイアップはパーカーの得意技です。

 

左にいくとみせかけて右にスピンし、体を上手く使ってブロックショットを避けます。

 

ティアドロップショットと呼ばれる中距離から放つアーチの高いレイアップシュートはパーカーの大きな武器のひとつである(アレン・アイバーソンなど小柄な選手が得意としている)。

 

ミドルレンジからのジャンプシュートを得意としていた。

 

ただスリーポイントは得意とはいえず、シーズンによりばらつきがあります。

 

30%に届かないシーズンもあり、キャリア終盤ではだいぶ改善され、1番良い時は2014-15シーズンで、42.7%とかなり優秀でした。

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