概略
誕生日 | 1941年7月25日 |
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没年月日 | 2016年7月16日(74歳没) |
国 | ![]() |
出身地 | オハイオ州アクロン |
出身 | ボーリング・グリーン州立大学 |
ドラフト | 1963年 3位 |
背番号(現役時) | 42 永久欠番 |
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身長(現役時) | 211cm (6 ft 11 in) |
体重(現役時) | 102kg (225 lb) |
ポジションはセンター。
右利き。
愛称は「チェアマン・オブ・ザ・ボード」、「ネイト・ザ・グレイト」。
7フィート近い大型のセンタープレイヤーとして1960年代後半から70年代前半にかけてゴールデンステート・ウォリアーズの中心選手として活躍した。
特にディフェンス時においてはリバウンド獲得に威力を発揮し、ディフェンスの名手としてボブ・ペティットなどと並び称される往年の名選手であった。
サーモンドは1985年に殿堂入りを果した。
また1996年にはNBAの50周年を記念して選ばれた「NBA偉大な50選手」の一人にも選出された。
受賞歴 | |
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主な受賞トピックス
- オールルーキー1stチーム:1964
- オールスターゲーム出場:7回 (1965, 1966, 1967, 1968, 1970, 1973, 1974)
- NBAオールディフェンシブ1stチーム選出:2回 (1969, 1971)
- NBAオールディフェンシブ2ndチーム選出:3回 (1972-1974)
- NBAベスト50選手:1996年
主な記録トピックス
- 通算リバウンド数NBA歴代8位(14,464)
- 通算ゲーム平均リバウンド数NBA歴代5位(15.0)
- 通算リバウンド数ウォリアーズフランチャイズ記録(12,771)
経歴
選手経歴 | |
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1963-1974 1974-1976 1976-1977 |
サンフランシスコ//ゴールデンステート・ウォリアーズ シカゴ・ブルズ クリーブランド・キャバリアーズ |
大学卒業後サーモンドは1963年のNBAドラフトでサンフランシスコ・ウォリアーズ(現在のゴールデンステート・ウォリアーズ)に1巡目全体3位で指名を受け入団する。
サンフランシスコ・ウォリアーズでの1年目はウィルト・チェンバレンの控えとしてプレーし、平均7.0得点、10.4リバウンドを記録する。
チームのNBAファイナル進出を助け、オールルーキーファーストチームに選出された。
翌シーズン途中にチェンバレンがチームを去ると、ウォリアーズは成績を低迷させたものの、先発に昇格したサーモンドは平均16.5得点、18.1リバウンドと飛躍を遂げ、オールスターにも選出された。
リック・バリーが入団してからはチーム成績も上向き、個人成績も大幅にアップし、 1966-67シーズンには平均18.7ポイント、21.3リバウンド、1967-68シーズンには平均20.5ポイント、22.0リバウンドとゲーム平均リバウンドが20を超えるシーズンも記録した1966-67シーズンにはMVP投票でウィルト・チェンバレンに次いで次点の位置につけた。
サーモンドとバリーに率いられたウォリアーズはプレイオフを勝ち進んでファイナルへと進出する。
ファイナルでは6試合で平均14.2得点、26.7リバウンドという活躍を見せたが、チェンバレン擁するフィラデルフィア・76ersの前に惜敗した。
シーズン終了後にバリーがABAのチームと契約してチームを去ると、サーモンドは攻守両面でさらなる活躍を見せ、迎えた1967-68シーズンに平均20.5得点、22.0リバウンド、4.2アシストという数字を残し、現在に至るまで4人しか成し遂げていない平均20得点、20リバウンド以上を達成した。(サーモンドのほかは、ボブ・ペティット、ウィルト・チェンバレン、ジェリー・ルーカス)
ウォリアーズは1971年に本拠地をオークランドに移転し、新たにゴールデンステイト・ウォリアーズとして生まれ変わったが、1967-68シーズンから5シーズン連続で平均20得点以上を記録するなど、サーモンドは変わらず大黒柱としてチームを牽引した。
しかし、ウォリアーズを再びファイナルの舞台へと導く事はできず、数字の下降が目立ち始めてくると、1974年にシカゴ・ブルズへトレードされ、デビューから11シーズンを過ごしたウォリアーズを去る事になった。
ウォリアーズが次にファイナルまで進出するのは皮肉なことにサーモンドがトレードされた翌年の1975年であり、ウォリアーズはワシントン・ウィザーズを破って優勝する。
ブルズでのデビュー戦でいきなり22得点、14リバウンド、13アシスト、12ブロックショットというクアドルプル・ダブルを達成したサーモンドだったが、すでに33歳となり、1年目以来となる平均1桁得点に終わる。
それでも同年代のベテラン選手が多く揃うブルズの中でチーム最長の出場時間を記録し、リバウンドとブロックでチームトップとなったほか、ベテランのビッグマンでありながらチーム2位の平均4.1アシストを記録するなど存在感を発揮した。
1975年からは故郷アクロンに近いクリーブランドに本拠地を置くキャバリアーズでプレーし、2シーズンを過ごした後、1977年に現役を引退した。
エピソード
サーモンドは生まれ育った地元オハイオ州アクロンのアクロンセントラル高校を卒業した。
同時期にオハイオ州のミドルタウンにはジェリー・ルーカスもおり、サーモンドは州の高校プレイオフ決勝でジェリー・ルーカスのチームに敗れている。2人ともセンタープレイヤーであったため、サーモンドはジェリー・ルーカスの進学したオハイオ州立大学を避けてボーリング・グリーン州立大学への進学を選択した。
大学時代の彼はゲーム平均17.8ポイント、17.0リバウンドの好成績を残し、1963年にはスポーティングニュース紙のオールアメリカンファーストチームに選出されている。
キャリア全体ではセンターを務めた時期が長いサーモンドだが、チェンバレン在籍時には彼の相棒的存在としてパワーフォワード(PF)でプレーしていた。
ニックネームの“チェアマン・オブ・ザ・ボード”は議長という意味で、もちろんその由来はボード(リバウンド)を多数奪ったから。
通算本数は今なおリーグ歴代10位、ウォリアーズ時代の通算1万2771本は球団記録である。
1967、69年の平均リバウンドはチェンバレンに次いで2位、その間の1968年は規定出場数を下回ったため順位はつかなかったが、自己最多の22.0本をマーク。
同年は平均得点も20.5点で20-20をクリアし、以後5シーズン連続で平均20点以上とオフェンス力も兼ね備えていた。
リーグ史上初のクァドラプルダブルを記録した選手としても知られているが、それはシカゴ・ブルズに移籍した年のこと。
現役のドレイモンド・グリーンの方がより純粋なPFで、守備力でも引けをとらないけれども、得点力の差を考えれば“ネイト・ザ・グレイト”が一枚上だろう。
2016年、白血病との闘病の末、74歳で死去した。
プレースタイル
211cmの大型センターとしてリバウンド獲得に長けたディフェンスの名手として知られる。
ディフェンスだけでなく5シーズン連続で平均20点以上とオフェンス力も兼ね備えていた。