概略
誕生日 | 1944年11月21日(75歳) |
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国 | ![]() |
出身地 | ![]() |
出身 | ウィンストン・セーラム州立大学 ( ![]() |
背番号(現役時) | 15, 10永久欠番, 33 |
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身長(現役時) | 191cm (6 ft 3 in) |
体重(現役時) | 84kg (185 lb) |
ポジションはポイントガード。
右利き。
「アール・ザ・パール」や「ブラック・ジーザス」の異名で呼ばれた。
ボルチモア・ブレッツでウェス・アンセルドとともに活躍し、1970年代以降はニューヨーク・ニックスの中心選手として1973年のニックスのチャンピオンシップ優勝の原動力となった。
1990年に殿堂入りを果した。
また1996年にはNBAの50周年を記念して選ばれた「NBA偉大な50選手」の一人にも選出された。
受賞歴 | |
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経歴
クラブ経歴 | |
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1967-1971 1971-1980 |
ボルティモア・ブレッツ ニューヨーク・ニックス |
カレッジで目覚しい活躍をしたモンローは卒業後1967年のNBAドラフトで当時「ボルチモア・ブレッツ」の名称だった現在のワシントン・ウィザーズに1巡目全体2位で指名を受け入団する。
モンロー入団翌年のドラフトでウィザーズにはウェス・アンセルドも加わり、2人の活躍でチームは大きく躍進する。
モンローは1年目のシーズンで24.3ポイント、5.7リバウンド、4.3アシストをあげてルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得する。
2年目にはウェス・アンセルドも加わり、ブレッツは過去の成績を大きく上回る57勝25敗という好成績を収めた。
モンローはこのシーズンに平均25.8得点を記録する活躍を見せ、初めて出場したオールスターゲームでは21得点を叩き出している。
その後も、モンローとアンセルドのコンビはチームの成績に大きく貢献した。
モンローは毎年20ポイント以上を稼いでいたが、しかし、ニューヨーク・ニックスの壁に阻まれ優勝は出来なかった。
リーグはようやくボストン・セルティックスの一強時代が終わり、ブレッツはニューヨーク・ニックスとイースタン・カンファレンスの覇権を巡って激しく争っていたが、モンローは1971年にこのライバルチームへと移籍する事になった。
ニックスではウォルト・フレイジャーと「ロールスルイス・バックコート」と呼ばれる華やかなデュオを形成した。
1972-73シーズンでは15.5ポイントを上げ、チームもロサンゼルス・レイカーズを破って2回目の優勝に輝いた。
その後もモンローは活躍を続けたが、チーム状態は次第に悪くなりNBAファイナルまで進出する事すら出来なくなった。
モンローは1979-80シーズンが終了後に引退。
エピソード
デンゼル・ワシントン主演のバスケットボール映画『ラスト・ゲーム』では、レイ・アレン演じるジーザス・シャトルズワースの名前の由来としてモンローの名が登場する。
プレースタイル
流れるようなドリブルワークから自在に得点を重ねた。
得点力があり、ドリブルも上手くゲームメイキングにも長けたガードの選手として名高い。