エイドリアン・ダントリー

概略

誕生日 1955年2月28日(65歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ワシントンD.C.
ドラフト 1976年1順目6位
背番号(現役時) 44,4,45,7
身長(現役時) 196cm (6 ft 5 in)
体重(現役時) 94キロ (207 lb)

 

ポジションはスモールフォワード。

 

右利き。

 

1970〜80年代にかけてユタ・ジャズやデトロイト・ピストンズなどで活躍した。

 

史上最高のフリースローシューターとの評価もある選手。

 

シュート成功率の高かったオフェンス力のある選手。

 

アメリカ代表としても1976年のモントリオール・オリンピックでの金メダル獲得に貢献した。

 

 

受賞歴
  • 6× NBAオールスター(1980年の- 1982年の、1984年の- 1986年)
  • 2×オールNBAセカンドチーム(1981年、1984年)
  • NBAルーキーオブザイヤー(1977)
  • NBAオールルーキーチーム(1977)
  • 2× NBAの得点チャンピオン(1981年、1984年)
  • ユタ・ジャズ永久欠番No.4
  • オスカー・ロバートソントロフィー(1976)
  • 2×コンセンサスファーストチームオールアメリカン(1975、1976)
  • バスケットボールUSA氏(1973)
  • ファーストチームパレードオールアメリカン(1973)

 

経歴

経歴
1976-1977
1977
1977-1979
1979-1988
1986–1989
1989–1990
1990–1991
バッファロー・ブレーブス
インディアナ・ペイサーズ
ロサンゼルス・レイカーズ
ユタ・ジャズ
デトロイト・ピストンズ
ダラス・マーベリックス
ミルウォーキー・バックス

 

ノートルダム大学出身。

 

1976年モントリオールオリンピックに出場して金メダルを獲得した。

 

同年、バッファロー・ブレーブスに入団し、1年目に平均20.3得点、7.3リバウンドを記録して新人王を受賞する。

 

1979年にユタ・ジャズに移籍してからは得点力に一層の磨きがかかり、移籍1年目に平均28.0得点のハイアベレージを記録、初のオールスターに選出された。

 

翌シーズンには平均30.7得点で得点王となり、その後は毎シーズンのように平均30得点前後を叩き出すスコアラーとして活躍した。

 

80年代を代表する選手となった一方で、そのプレーは利己的と批難される事もあり、ヘッドコーチのフランク・レイデンとの関係も次第に悪化していった。

 

1985年にカール・マローンが入団すると、チームはマローンへの影響を懸念し、1986年にダントリーをデトロイト・ピストンズへとトレードした。

 

ピストンズではシックスマンとして活躍し2シーズン連続で平均20得点以上を記録していたが、優勝を目前にした1989年に、同じスコアラータイプのマーク・アグワイアとのトレードでダラス・マーベリックスに放出され、優勝を経験できないまま1991年に現役を引退した。

 

ジャズでは7シーズンで平均29.6得点を記録し、カール・マローンを上回るチーム歴代1位の記録となっている。

 

エピソード

Coaching

Dantley was an assistant basketball coach at then-Towson State from August 1993 to 1996. Dantley had played for Towson head coach Terry Truax in high school.

Dantley later worked for the Denver Nuggets as an assistant coach for eight seasons. He briefly served as the team’s head coach during the 2009–10 NBA season, filling in for George Karl, who was fighting cancer.

In addition to playing professionally, in his spare time, Dantley coaches basketball to aspiring players in Silver Spring, Maryland.

 

Personal life

His son Cameron Dantley was the starting quarterback for the Syracuse Orange during the 2008 season.

Since 2013 Dantley has been working part-time as a crossing guard for Maryland’s Montgomery County Public Schools. He has said that he likes both the job and the fact that it provides health benefits.

Dantley also works as a referee for high school and receational league games in the DC area.

 

プレースタイル

ポジションはスモールフォワードでしたが3Pシュートはほとんど打たず、インサイドプレーが得意な選手です。

 

フォワードながら主にローポストでプレーしました。

 

ダントリーは、ゲームあたり平均24.3ポイントでNBAのキャリアを終えました。

 

さらにダントリーは史上最高のフリースローシューターとの呼び声もあるほどのフリースローの名手でフリースローでも得点が取れる選手でした。

 

通算FT成功数では歴代10位の6832という記録を残しました。

 

彼のインサイドでの強さ、ミドルシュート、フリースローの上手さがこのTS%61.7という数字に繋がっています。

 

フリースロー時には独特のルーティンをすることでも有名でした。

 

ダントリーは片方の足がもう片方の足よりもかなり短かったといわれています。

 

脚の長さのほぼ2インチの違いを補うために、彼は靴にカスタムメイドのインサートを着用しプレイしていました。

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