デリック・ローズ

バスケ

概略

5分で凄さがわかる!! デリック・ローズ、スーパープレイ集【5分でわかる選手の凄さ】
Derrick Rose Career Handles & Crossovers Highlights
誕生日 1988年10月4日(32歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 イリノイ州の旗 イリノイ州シカゴ
出身 メンフィス大学
ドラフト 2008年 1位
背番号 25
身長 188cm (6 ft 2 in)
体重 86kg (190 lb)
ウィングスパン 195cm  (6 ft 5 in)
シューズ アディダス

 

ポジションはポイントガード。

 

右利き。

 

愛称はPooh D-Rose。

 

史上最年少でシーズンMVPを獲得した現役屈指のスター選手。

 

シカゴ・ブルズで一時代を築いたが怪我に泣いた悲運の天才。

 

代表でも世界選手権の金メダル獲得などに貢献した。

 

受賞歴
  • MVP : 2011
  • 3×NBAオールスターゲーム出場 : 2010-2012
  • オールNBAチーム 1stチーム : 2011
  • NBAスキルチャレンジ優勝 : 2009
  • 新人王 : 2009
  • NBAオールルーキーチーム 1stチーム : 2009
  • NBA最優秀モーメント賞:2019
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
世界選手権
2010 トルコ バスケットボール
2014 スペイン

 

経歴

【バスケ】全盛期のデリック・ローズやばい!→桁違いの身体能力!【NBA】【スーパープレイ】
選手経歴
2008-2016
2016-2017
2017-2018
2018-2019
2019-
シカゴ・ブルズ
ニューヨーク・ニックス
クリーブランド・キャバリアーズ
ミネソタ・ティンバーウルブズ
デトロイト・ピストンズ
代表歴
キャップ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 2010-

 

ローズは2008年のNBAドラフトにアーリーエントリーした。

 

この年のドラフトではローズか、あるいはカンザス州立大学出身のマイケル・ビーズリーが全体1位指名候補だったが、ドラフトロッタリーでシカゴ・ブルズが確率1.7%から1位指名権を引き当てた時点で、ローズの全体1位指名がほぼ確実となった。

 

再建を目指すブルズにとって、地元出身のローズはフランチャイズビルダーとして打ってつけの選手であり、ローズはブルズから全体1位指名を受けてNBA入りを果たした。

 

ガードポジションの選手がドラフト1位指名されるのは、1996年のアレン・アイバーソン以来となった。

 

新エースとしてブルズに迎えられたローズは、その期待に応え、1年目からチームのエースとして活躍。

 

シーズン中のジョン・サーモンズ、ブラッド・ミラー獲得も手伝い、前年大不振に陥ったブルズを建て直し、勝率5割に復帰させ、プレーオフにも導いた。

 

自身は16.8得点6.3アシストの成績を残して新人王を受賞した。

 

プレーオフでは新人らしからぬ成果をあげる。

 

1回戦で前年の優勝チーム、ボストン・セルティックスと対決するが、第1戦でローズ率いるブルズはレギュラーシーズンの勝率でブルズを遥かに上回るセルティックスを破って世間を驚かせた。

 

この試合でローズは36得点11アシストの活躍で、新人のプレーオフデビュー戦としては、36得点はカリーム・アブドゥル=ジャバーの記録と並ぶNBA記録タイとなった。

 

その後もブルズはセルティックスに対して一歩も引かず、トリプルオーバータイムまでもつれた第6戦終盤には、ローズがレイジョン・ロンドのシュートをブロックし、ブルズの勝利を決定付けた。

 

ブルズは第7戦で敗れたが、このシリーズはプレーオフ史上最高の1回戦と賞賛された。

 

2009-10シーズン、このシーズンでローズは更なる飛躍を見せる。

 

しかしローズにとって2年目となるこの年は、足首を負傷したまま始まった。

 

この怪我の影響でプレシーズンマッチ欠場を余儀なくされてしまい、前年度の新人王は出足を挫かれることとなってしまう。

 

レギュラーシーズン開幕戦には何とか間に合い、チームはサンアントニオ・スパーズとの試合に勝利する。

 

この怪我は11月までローズを悩ませることとなるが、完治した後は2年目となり成長した姿を周囲に示すこととなる。

この年のオフに、チームは来期の大物FAを獲得するために得点源であったベン・ゴードン、ジョン・サーモンズらを放出し、ローズには得点面での期待も寄せられていた。

 

その期待に応えるように、定評のあったペネトレイトだけではなくミドルレンジからのジャンプシュートを決めるシーンも多くなり、シュート本数が1試合平均で2.7本増加したにも関わらず平均フィールドゴール%は前年を上回った。

 

2010年1月28日には、キャリア初となるNBAオールスターのリザーブメンバーに選出された。

 

これはチームにとっても1998年にマイケル・ジョーダンが選出されて以来の快挙となった。

 

このゲームでローズは8得点4アシスト3スティールという成績を残した。

 

2010年4月13日のボストン・セルティックス戦ではキャリアハイとなる39得点をあげ、チームの勝利に貢献。ローズの成長と共に、チームは勝率5割を維持することに成功した。

 

通算成績41勝41敗でレギュラーシーズンを終え、東地区8位で2年連続となるプレーオフ進出を果たす。

 

自身はこのシーズン、平均20.8得点6.3アシスト3.9リバウンドの成績を残した。

 

プレーオフではレブロン・ジェームス率いる2年連続リーグ最高勝率チームのクリーブランド・キャバリアーズと対戦。

 

レギュラーシーズンを大きく上回る平均26.8得点7.2アシストの成績で健闘するものの、1勝4敗で敗退し2年目のシーズンを終えた。

 

また、この年ローズのジャージはリーグ全体で4位の販売数を記録した。

 

2010-11シーズン、この年の夏にはトルコで開催された世界選手権にアメリカ代表メンバーとして出場。

 

北京五輪のメンバーが次々と辞退する中で、若手主体となったこのチームの司令塔を任された。

 

固いディフェンスと素早いトランジションを売りにしたこの年のアメリカ代表は大方の予想を裏切り躍進。

 

「Bチーム」と揶揄されたこのチームであったが、ローズは全戦スターターで出場を果たし、予選リーグから無敗で金メダルを獲得した。

 

世界選手権での金メダルはローズにとっては初のことであり、アメリカ代表にとっても1994年以来14年振りだった。

この年のオフは、レブロン・ジェームス、クリス・ボッシュなど多くの大物選手がFAとなった年であった。

 

チームもこれを機に補強を進めようと、ボストン・セルティックスのアシスタントコーチを務めていたトム・シボドーをヘッドコーチとして迎え、体制を整えていた。

 

長らくリーダーとして活動していたカーク・ハインリックを放出し、サラリー・キャップを空けたチームは、カルロス・ブーザーを始めロスターの大半の顔ぶれが変わった。

 

全くの新チームとなり、エース、リーダーとしての働きも期待されるローズであったが、その期待を越える活躍を見せた。

 

迎えたレギュラーシーズンでは開幕戦こそ落としたものの、2戦目となる2010年10月30日のデトロイト・ピストンズ戦ではいきなりキャリアハイとなる39得点を挙げた。

 

2011年1月17日のメンフィス・グリズリーズ戦ではキャリア初となるトリプルダブル(22得点12アシスト10リバウンド)を達成。

 

インサイドの核となるカルロス・ブーザーが怪我で24試合欠場し、同じくインサイドのジョアキム・ノアも34試合欠場する中、ローズは課題とされていたアウトサイドシュートの精度を上げ、司令塔兼スコアラーとして更なる成長を遂げた。

 

同年1月27日には、ファン投票により自身初のNBAオールスターゲームのスターターに選出された。

 

オールスターブレイク前の2011年2月17日のサンアントニオ・スパーズ戦ではキャリアハイとなる42得点を記録。

 

これにより、ローズはシーズンMVP最有力候補と目されるようになる。

 

ローズに率いられたチームは62勝20敗と1997-98シーズン以来の好成績を上げ東地区首位の成績を残し、プレーオフ全体の第1シードも同時に獲得した。

 

自身も25.0得点7.7アシスト4.1リバウンドと3部門全てでキャリアハイとなる好成績を記録した。

 

マイケル・ジョーダン、ラリー・バードらと並びNBA史上7人目のシーズン平均で25得点以上、4.0リバウンド以上、7.5アシスト以上を記録した選手となった。

 

さらに1シーズン通算2000得点600アシスト300リバウンド超えを記録(オスカー・ロバートソン、ジョン・ハブリチェック、マイケル・ジョーダン、レブロン・ジェームスに続き史上5人目)。

 

ポイントガードとしては史上初となった。

 

これらの活躍によりローズは2010-2011シーズンMVPを史上最年少となる22歳6ヶ月で受賞。

 

1968-69シーズンのウェス・アンセルド以来実に42年振りとなる記録を更新した。

 

プレーオフではNBAタイ記録となる3試合連続30得点7アシスト以上という記録を打ち立てたが、マイアミ・ヒートとのイースタンカンファレンスファイナルにおいて第2戦以降4連敗で敗退した。

 

プレーオフ平均27.1得点の活躍を見せたが、FGは39%と低迷。

 

向上していた3Pも24%の成功率に留まった。

 

2011-12シーズン、再出発となるこの年は、NBA労使交渉の縺れによるロックアウトの影響で66試合の短縮シーズンとなった。

 

新人契約最終年となるローズは、2011年11月に5年総額9480万ドルの契約を締結。
名実共にブルズの顔となった。

 

この契約はブルズのサラリーキャップスペースのおおよそ30%を占めるものであり、労使交渉後の新CBAにおける新人契約更改規定を適用した初めての例となった(これは通称「デリック・ローズルール」と呼ばれ、新人契約からの契約更改の際、一定条件を満たす選手が受けられる最大契約額を規定したもの)。

 

また、同時期にはアディダスと14年総額2億5000万ドルの大型契約を締結した。

 

これだけ長期かつ金額の大きな契約は非常に稀で、事実上の終身契約とも言われている。

 

前年に引き続き、強固なディフェンスと組織力でチームは好調を維持。

 

短縮シーズンとなったこのシーズンも50勝16敗の成績で前年に引き続きリーグ最高勝率を挙げた。

 

一方で、ローズ個人は怪我で苦しみ続けるシーズンとなった。

 

度重なる怪我により出場試合数は39試合にとどまり、個人成績は前年を下回る21.7得点7.9アシスト3.4リバウンドとなった。

 

ただし前年度でMVPを獲得したローズの人気はそれでも衰えず、オールスター投票でドワイト・ハワードに次ぐ2番目の得票数で2度目のオールスター先発の座を手に入れている。

 

プレーオフ1回戦ではフィラデルフィア・セブンティシクサーズと対戦。

 

このシリーズで、ローズは23得点9アシスト9リバウンドという成績で第1戦を勝利に導いたが、試合の残り1分22秒、12点リードして迎えたブルズのオフェンス時にドライブインしたローズはジャンプした瞬間にバランスを崩し、膝を押さえてコートに倒れた。

 

そのままコーチやトレーナーに抱えられ退場したローズは、このシーズンで再びコートに戻ってくることはなかった。

 

試合後のMRI検査により、左膝前十字靭帯断裂と診断された。

 

全治までに8~12ヶ月を要する大怪我であった。

 

チームもローズ抜きでも戦えることを証明しようと奮闘するも、ジョアキム・ノアの捻挫による離脱で徐々に力尽き、第6戦で敗退。

 

第1シードが第8シードに敗れた3例目となった。

 

2012-13シーズン、前述の怪我により、2012年5月22日に手術を受け成功。

 

リハビリを経て2013年1月にコンタクト有りのチーム練習に完全復帰したが、このシーズンでローズが試合に復帰することはなかった。

プライベートでは2012年10月9日、第一子となるデリック・ローズJr.が誕生している。

 

また、同年地元シカゴのGiordano’s Pizzaの共同所有者兼広報担当に就任した。

 

2013-14シーズン、怪我からの完全復活を期したこのシーズン、ローズは2013年10月5日のプレシーズンマッチで待望の復帰を果たした。

 

怪我明けのブランクは残るものの、プレシーズン中に平均20.7得点5アシストを記録し、ファンに復活をアピールした。

 

レギュラーシーズン開幕戦で前年度チャンピオンのマイアミ・ヒートには敗れたものの、2日後のニューヨーク・ニックス戦では試合終了間際に逆転弾となるフローターを決めるなど、勝負強さは健在であった。

 

しかしながら復帰した3試合でFG28.8%、平均5.7ターンオーバーを記録するなど順調とは言い難いスタートとなってしまう。

 

そして2013年11月22日のポートランド・トレイルブレイザーズとの試合中にバランスを崩し、右膝を負傷。

 

試合後のMRI検査により、右膝半月板断裂と診断された。

 

2013年11月に手術することになり、手術終了後にチームよりシーズン全休が発表された。

 

ローズはこのシーズン、合計10試合の出場に止まり、完全復活とはならなかった。

 

2014-15シーズン、2年連続怪我でシーズンを棒に振ってしまったローズであったが、この年のオフにはスペインで開催された世界選手権にアメリカ代表メンバーとして2010年以来の出場を果たした。

 

この大会では再び若手中心となったチームでベンチから全試合に出場し、平均4.8得点3.1アシスト1.9リバウンドを記録。

 

アメリカ代表チームは予選リーグから無敗で金メダルを獲得した。

 

再び大怪我からの完全復活を誓って挑んだこのシーズン、ローズは2010-2011シーズン以来最多となる46試合(2015年3月25日時点)に出場。

 

2015年1月14日のワシントン・ウィザーズ戦ではシーズンハイとなる32得点を記録した。

 

しかし、10月31日の開幕2戦目のクリーブランド・キャバリアーズ戦で右足首を捻挫し、その後もハムストリングを痛めるなど出場と欠場を繰り返す日々を送り、またしても怪我に悩まされることになってしまう。

 

2015年2月24日、チームからローズの右膝に手術が必要であることが発表された。

 

MRI検査により、右膝半月板部分断裂と判明した。

 

2月27日に手術をし無事成功する。

 

その後、リハビリを経て4月8日のオーランド・マジック戦で復帰した。2012年以来の出場となったプレーオフは、セミファイナルのクリーブランド・キャバリアーズ戦の第3戦で、決勝のブザービーターを決めたものの、レブロン・ジェームスの圧巻のパフォーマンスの前になすすべなく、チームは2勝4敗で力尽きた。

 

2016年6月22日、ニューヨーク・ニックスとの間で大型トレードが成立し、8シーズンを過ごした地元シカゴ・ブルズを後にすることになった。

 

2016-2017シーズン、カーメロ・アンソニー、クリスタプス・ポルジンギスとBIG3を形成し、MVP復活という大きな期待を背負って入団したものの、新天地でのローズはニューヨークの環境に苦しみ、自身のプレーがチームの成績に結びつかず、2017年4月に左膝の半月板を断裂する重傷を負い、移籍1年目は不本意な形で終了した。

 

2017-2018シーズン、2017年7月24日、クリーブランド・キャバリアーズと1年210万ドルのベテランミニマムで契約予定であることが報じられた。

 

2018年2月8日、キャバリアーズ、サクラメント・キングスの絡んだ三角トレードでユタ・ジャズに移籍した。

 

同年2月11日、ユタ・ジャズからウェイブされた。

 

2018年3月8日、ミネソタ・ティンバーウルブズと契約した。

 

2018-2019シーズン、2018年10月31日、ユタ・ジャズ戦でキャリアハイとなる50得点を記録。

 

ジャズの最後のシュートもブロックし、チームの勝利に貢献。

 

試合後のインタビューでも涙を見せ、感動と復活を印象付けるシーンとなった。

 

2018年11月7日、ロサンゼルス・レイカーズ戦でキャリアハイとなる7本の3ptシュートを記録。

 

2019年6月24日、キャリアハイとなった50得点の試合で自身初のNBA最優秀モーメント賞を受賞した。

 

2018-2019シーズン終了後にフリーエージェントとなりデトロイト・ピストンズと2年1500万ドルの契約を結んだ。

 

2019-2020シーズン、2019年10月24日の開幕戦では16得点、25日には27得点、27日には31得点で3試合平均25.3得点と全盛期を彷彿とさせる活躍を開幕戦から見せた。

 

2020年1月25日のメンフィス・グリズリーズ戦でキャリアハイとなる11試合連続20得点越えを果たした。

 

2020年2月2日、キャリアハイとなる14試合連続20得点を記録していたがデンバー・ナゲッツ戦で股関節を負傷して途中退場となり記録がストップした。

 

この怪我により地元シカゴ開催の2020NBAオールスターのNBAスキルチャレンジへの出場を辞退した。

 

2020年2月28日、フェニックス・サンズ戦で今季自己最多に並ぶ31得点を記録し113-111で勝利し、連敗を7で止めた。

 

2020年3月1日、サクラメント・キングス戦の第2クォーターの途中、ゴール下に切り込みシュートを放ったローズは、相手選手の足に着地してしまい足首を痛めプレーを続けられなかった。

 

ベンチに歩いて帰ったため軽傷と見られたがMRI検査の結果、最低でも2週間の戦線離脱となった。

 

エピソード

【バスケ】デリック・ローズのあまり知られていない10の事実【解説】Derrick Rose
【NBA】デリック・ローズという漢。数多の大怪我を乗り越え過去の自分を超えた漢の生き様とは。 The Return of the Youngest MVP

漢字で「耐心」というタトゥーも入れている。

 

意味は、Patience(忍耐)。

 

東日本大震災が起こった際、「自分に何かできることはないか」と考え、自身が試合で1点決めるにつき1,000ドルというルールをつけ、自身が決めた点数分東北に寄付をした。

 

2013年9月に来日した際、仙台市のゼビオアリーナ仙台でバスケットボール教室を開いた。

 

ブルズ時代の背番号1のイメージが強いが、ニックス移籍以降は高校時代の背番号である25を好んで背負っている。

 

これは高校の先輩であり、将来を嘱望されながら射殺されたシカゴバスケ界のレジェンドであるベン・ウィルソンへのリスペクトである。

 

シグネチャーシューズ

 

NBAにキラ星のごとく存在するスーパースターのなかでも、自分の名前を冠したシグネチャーシューズを持てる選手はわずか一握り。

 

デリック・ローズは、その数少ない選手の1人である。

 

しかも、スポンサーと複数年契約を結び、シリーズでシグネチャーシューズを提供してもらえる選手はさらに限られる。

 

そんな厳しい世界において、ローズは実にシグネチャーモデルを14作も発表するという、ものすごい実績を持つ。

 

ちなみに、NBAの歴史において連続してシグネチャーモデルを発売しているのはわずか8選手。

 

マイケル・ジョーダン、コービー・ブライアント、レブロン・ジェームズ、カーメロ・アンソニー、クリス・ポール、カイリー・アービング、ケビン・デュラント、そしてデリック・ローズのみである。

 

普段は寡黙なイメージのあるデリック・ローズが、自身のシグネチャーシューズについてのアツい想いを語った。

 

メンフィス大学在学中からスターの頭角を現していたローズは、在学中にすでにナイキとアディダスの大手2社とスポンサードの交渉を開始。

 

そしてより多くのオプションや好条件を出してくれたアディダスと現役生涯契約を2.6億ドルで結んだそうだ。

 

そして誕生するのが『ADIZERO ROSE』や『D ROSE』といったシグネチャーシューズである。

 

『ADIZERO ROSE 1』

2010年、デリックのNBA3シーズン目に発表された。シカゴ・ブルズ期待の星だったデリックはさらなる活躍を期待され、彼自身ももっと完璧に近づいてブルズのOBであるマイケル・ジョーダンのようにならなければと思っていた時期だそうだ。初めてシグネチャーシューズを履いてコートに立った感想を聞かれると「さらなる自信を得られた。誰にでも与えられるものではないから信じられなかったけど、とにかく嬉しかった」と語る。

 

『ADIZERO ROSE 1.5』

2011年のオールスターゲームで初めてお披露目した。「大勢のスター選手の前で、シグネチャーシューズを履けるなんて感激だった」と当時の感動を振り返った。

 

『ADIZERO ROSE 2』

「ファッション性もかねそなえたシューズにしたかった。コートの外でも履けるシューズにね。だってみんながあれもこれも買えるわけではないから」

 

『ADIZERO ROSE 2.5』

2012年のオールスターゲームのタイミングで発表。ブルズとの契約延長がかかる大事な時期だったそうだ。「前作より断然軽くて、より速く走れるんだ。コートでのパフォーマンスを重視して、クッション性、安定感、通気性など、とにかく機能性を重視した」

 

『D ROSE 3』

デリックにとって特別なシューズ。アディダスが主催した同モデルのメディア発表会にはローズの母親や家族も同席していたという。「俺はとにかくカメラや人前に出るのが苦手でね……。心配した家族が会場に駆けつけて励ましてくれたんだ。試合でもないのにね」なお、『D ROSE 3』には母の名前“ブレンダ”が刻印され、赤いカラーリングも母親へのオマージュなのだという。「母は決してスポーツ好きではなかったけど、俺の試合をいつも見に来てくれるんだ。ほかの兄弟はそれに嫉妬しているよ。とにかく母にはとても感謝している。自分も親になって、よりありがたみを感じるようになった」

 

『D ROSE 3.5』『D ROSE 4』

蛍光グリーンのシューズをはじめ、個性的なデザインを発表した時期。「この頃からちょっとクレイジーなデザインになってくるんだよね(笑)」「アディダスのチームが、俺には二面性があるって言うんだ。普段はおとなしくて静かだけど、いざコートに立つとまるで暗殺者のように攻撃的だとね。それをシューズにも反映しようとしたのさ」

 

『D ROSE 5 BOOST』『D ROSE 6 BOOST』

アディダスの新素材「BOOST(ブースト)」を搭載したシリーズ。「“Everybody eats”っていう、俺が信じてるスローガンを細部にしたためてるんだ。みんな平等、上も下もない。だからみんなで支え合わなくてはいけない、って意味が込められてる」。一方で「ブーストのせいでほかのシューズより重いんだ」と、このモデルの難点も指摘している。

 

『D ROSE 7』

ブルズからニューヨーク・ニックスに移籍した2016年。左膝半月板断裂という大ケガを負い不振で終わってしまった年にもかかわらず発表されたモデル。デリック本人はほとんど使用する機会がなく、おそらく苦い思い出の詰まったモデルだと思われるが、「今でもオクラホマシティ・サンダーのスティーブン・アダムスをはじめ多くの選手が愛用してくれている」と誇らしげに語っている。

 

『D ROSE 8』

クリーブランド・キャバリアーズで過ごした2017-18シーズン中に発表された、シンプルさを追求したシューズ。「バスケットボールに限らず、自分自身と深く向き合っていた時期。自分は何者で、どんなタイプのプレイヤーなのかってことをずっと考えていた。とにかく我慢のシーズン。暗闇に引きずり込まれないよう、そして自分自身を保っていられるよう必死に耐えた」と、トレード・契約問題で不本意なシーズンを過ごすなかで発売されたモデルだったと振り返った。

 

『D ROSE 9』

2018年、ケガや契約問題で不遇の数年間を過ごしたデリックがいよいよ復活。ミネソタ・ティンバーウルブズに移籍しキャリアハイの50得点を上げたハロウィンの日は、もちろん『D ROSE 9』を履いていた。「生涯最高のハロウィンになった。最高の夜だった」と、その時の喜びを隠さない。いつもその最高の瞬間と感動を思い出させてくれるシューズだそうだ。

 

『D ROSE 10』

そして最新モデル。感動の復活後に愛用している相棒だ。「シンプルなローカットにしたかった。ソールの衝撃吸収にこだわって安定性を高めた」

 

最後にこれまでの競技人生を振り返り、「とても恵まれていた。アディダスとの出会いが人生とキャリアのすべてを変えてくれた。こんなにケガに悩まされるとは想像していなかったけど、自分を信じ続けることで復活できた」と感慨深そうに語っている。

 

大ケガからの奇跡的な復活を遂げ感動を呼んだデリック。

 

その後の快進撃の裏には、ただならぬ努力と我慢の日々があったのだろう。

 

彼の人となりもさることながら、ケガでなかなか活躍できない時期でもシグネチャーモデルを毎年発表し続けたアディダスも、愛のある会社といえるだろう。

 

今後、新作のシグネチャーモデルも発売される予定とのこと。

 

デリックの活躍を見守るとともに発売を期待して待ちたい。

 

プレースタイル

【全盛期】デリックローズ「永遠のMVP」スーパープレイ集![HD] 【NBA】(デリック・ローズ)
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NBAの2010-11シーズンで弱冠22歳にして史上最年少シーズンMVPに輝いたデリック・ローズ。

 

その後は度重なるケガに襲われ、万全の体調でプレイできることが少なくなっていたが、現在はシーズンを通してプレイできるようになっている。

 

全盛期は非常にスピードが速く、ずば抜けた身体能力を持ち得点能力が高いポイントガード。

 

ペネトレイトからのダンクは誰にも止められないほどの威力でした。

 

特に爆発的な加速とスピードと脅威のジャンプ力は破壊的でした。

 

ジャンプ時の最高到達点は392cm。

 

リングの高さが3m5cmなので87cmもリングから飛びぬけてしまいます。

 

一発でマークマンを抜き去り、自分より大きい選手相手にもひるむことなくペイントエリア内で次々と得点していく姿は見るものを魅了するといって間違いない。

 

いつ、どこにそんな隙間があったのかという二人の間をグッと抜く、ヘルプが寄ってきてもアシスト、ダブルクラッチ、スクープショット、ダンクといくつ選択肢があるだろうという引き出しの中から瞬時に選択し、卓越したボディバランスで時にはかわし、時にはねじ込みリングに沈める。

 

相手選手がヘルプに寄って来た、ブロックに跳んで来たらフリーの選手へさばく、ローズはアシストも得意だが、やはり味方選手のフリーを作り出す起点となるのは自身のペネトレイトであった。

 

とくにその切れ味鋭いクロスオーバーで相手ディフェンスを翻弄し抜き去った。

 

ローズのプレー、実績を見て、多くの人がマイケルジョーダン以来なかなか結果を出せずにいたシカゴ・ブルズの復活を期待した。

 

しかし2011-2012シーズンのプレーオフ一回戦、ドライブインからのプレーで左膝前十字靭帯断裂という大怪我を負ってしまう。

 

以前から足首の怪我に悩まされていたローズだが、その後もハムストリングの負傷や半月板断裂など度重なる怪我や手術で出場と欠場を繰り返し、なかなか思い通りの結果を残せなかった。

 

現在ローズのプレースタイルは以前とは違うものになっており、現在は身体能力頼みのプレーは減り、外からのシュートが増えました。

 

派手さは減りましたが、スキルで補い、よりスマートなプレーになっています。

 

スリーポイントが苦手でしたが、2018-19シーズンでは37%を記録しました。

 

ピック&ロールを上手く利用し、レイアップやフローター、ミドルレンジジャンパーで得点を重ねていきます。

 

以前のプレースタイルはスラッシャー型でスピード頼みのプレーが多く、最初の怪我をした時もドライブインから着地した瞬間でした。

 

このようなプレースタイルのデメリットは怪我をしやすいことです。

 

ドウェイン・ウェイドもこのようなスタイルだったと思います。

 

自らクリエイトするプレーが得意で、プレーメイカーでもあります。

 

決してセルフィッシュというわけではなく、チームのために自らを犠牲にできるプレイヤーです。

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