概略
生年月日 | 1929年12月24日 | ||
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出生地 | ストックホルム、スウェーデン | ||
没年月日 | 1975年7月8日(45歳) | ||
死亡地 | スウェーデンのストックホルム | ||
身長・体重 | 170 cm、68 kg |
ポジションはフォワード(左ウイング)。
利き足は左。
愛称は「ナッカ」、「ワンディッシマ」。
1950年代のスウェーデンを代表する快速ウインガー。
インテル・ミラノなどで活躍し、1950年ワールドカップでは3位、1958年ワールドカップでは準優勝に貢献した。
獲得タイトル
クラブ
- AIK
- スウェーデンカップ:1950
- インテル・ミラノ
- セリエA:1952年-1953年、1953年-1954年
代表
- スウェーデン
- FIFAワールドカップ:1958年(準優勝)、1950年(3位)
経歴
クラブ | |||
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年 | チーム | 出場 | (得点) |
1946〜 1949年 | ハンマルビーIF | 57 | (21) |
1949〜1950 | AIK | 5 | (0) |
1950〜1959 | インテル・ミラノ | 241 | (55) |
1959–1962 | サンプドリア | 78 | (15) |
1962〜1963 | パレルモ | 6 | (0) |
1964〜 1967年 | ハンマルビーIF | 56 | (7) |
1968年 | KärrtorpsBK | 6 | (2) |
合計 | 449 | (100) |
代表歴 | |||
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1950〜1964 | スウェーデン | 11 | (1) |
エピソード
ミラノ中の女性が失神するような美男子で、映画スターワンダ・オシリスにちなんで“ワンディッシマ”と呼ばれたが、彼自身はなによりも酒を愛する男でいつも酔っ払っていた。
もうひとつの愛称の“ナッカ”というののは自分の店の名前で、彼の生まれたストックホルムの地区名でこの地区出身者には変わり者が多いと言われていた。
彼はいつもコーナーキックを蹴っていたが、「スコグルンドはコーナーフラッグの下にコニャックのボトルを隠していて、コーナーキックを蹴る際に靴紐を結ぶふりをして一口飲んだ」といううわさもあった。
また「いつもコーナー周辺をドリブルで行ったり来たりしているのは隠したボトルを探してるんだ」とうわさされたり、とにかく酒に関するエピソードの多い選手であった。
スウェーデン代表としても50、58年ワールドカップに出場し、特に58年の地元大会ではクルと・ハムリン、グンナー・グレン、ニリス・リイドホルムらとともに同国史上最高の準優勝という好成績に大きく貢献した。
晩年はスウェーデンのアルコール中毒患者の更生施設で46歳の若さで孤独に人生を終え、現在ス
トックホルムのナッカ地区には彼を偲ぶ銅像が建っている。
プレースタイル
快速を誇る左ウインガー。
ドリブルの技術も素晴らしく、そのスピードとドリブル技術で幾度も左サイドを突破した。
得点力もありシュート能力も高かった。
またセットプレーの名手としても知られており、その左足から放たれるキックは相手ディフェンスの脅威となった。
利己的なプレーに走る傾向があり、身体的耐久性の欠如、一貫性の欠如、スタミナの欠如といったマイナス材料もある。
ただ、それらを差し引いてもその活躍ぶりからやはりレジェンドといわれるプレーヤーだろう。