概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1969年11月29日(50歳) | ||
出身地 | イェヴレボリ県ヒーディクスバル | ||
身長 | 178cm | ||
体重 | 74kg |
ポジションはミッドフィールダー(オフェンシブハーフ)、フォワード(セカンドトップ)。
右利き。
愛称は「 小さなバイキング」。
1990年代のスウェーデンの躍進を支えた中心選手。
イタリアのパルマなどで活躍した。
絶頂期に怪我に泣かされた悲運の選手だった。
獲得タイトル
クラブ
パルマ
- UEFAカップウィナーズカップ:1992–93
- UEFAカップ:1994–95
- UEFAスーパーカップ:1993
- コッパ・イタリア:1991–92
代表
スウェーデン
- FIFAワールドカップ3位:1994
個人
- Guldbollen:1990、1994
- UEFAユーロゴールデンブーツ:1992
- FIFAワールドカップオールスターチーム:1994
- バロンドール4位:1994年
経歴
代表歴 | |||
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1990-1995 | ![]() |
47 | (26) |
1990年のFIFAワールドカップ・イタリア大会直前にスウェーデン代表に招集されると同年4月25日のウェールズとの親善試合で2得点の活躍、そのまま代表へ定着した。
本大会では1次リーグ敗退に終わるが彼自身は2得点を挙げるなど未来のスター候補として一躍脚光を浴びた。
クラブでは1990-91シーズンに移籍したACパルマでは中心選手として活躍、1992-93シーズンのUEFAカップウィナーズカップ、1994-95シーズンのUEFAカップを制し、このイタリアの名も無いクラブを1990年代の欧州を代表するクラブへと躍進させた。
スウェーデン代表として地元開催の1992年の欧州選手権ベスト4進出と1994年のワールドカップ・アメリカ大会3位入賞に貢献するなど絶頂期にあったが、1994年11月16日の欧州選手権予選ハンガリー戦で足首に重傷を負い、その後は一気に下降線を下った。
また本人の太りやすい体質もあってか以前の鋭さを失い、代表からも外れクラブを転々とするようになり1998年に28歳で現役を引退した。
エピソード
前述のようにパルマやスウェーデン代表として数多くの成功を収め、選手として絶頂期にあった1994年に負った怪我は、ブローリンの選手生命を左右するものとなった。
1995年に移籍したリーズ・ユナイテッドや1998年に移籍したクリスタル・パレスでは殆ど結果を残すことが出来ず、2007年にタイムズ誌が発表したプレミアリーグで最も期待外れに終わった選手50人の第2位にランクされている。
また、ブローリンの下降線と連鎖するかのように、代表で共に戦ってきたヨナス・テルンやマルティン・ダーリンなどのスウェーデン人選手も選手としてのピークを過ぎていった。
1994年のワールドカップの主力選手の大半は当時24歳のブロリンと前後に大差のない若い年齢構成であり、1996年の欧州選手権や1998年のFIFAワールドカップ・フランス大会では好成績が予想されたが、共に予選で敗退した。
結局、スウェーデン代表はフレドリク・リュングベリなど新たな若手が台頭する2000年の欧州選手権まで復活を待たなければならなかった。
引退後は彼の兄弟が所属するアマチュアクラブで一度だけプレーした(GKを務めた)後は完全にサッカー界から離れ、ビジネスマンとして『Undici』(背番号11の意、自身のパルマ在籍時の背番号が由来)というレストランの経営に携わっている。
プレースタイル
豊富な運動量と機敏な動き、ゴール前へ鋭く飛び出し素早いシュートモーションでゴールを奪う。
パスやドリブルなどの基礎技術もしっかりしており、攻撃をクリエイトすることもできた。
自ら得点するだけでなくゴールをアシストする能力にも長けていた。
得点後に拳を高く挙げスケート選手の様にくるりと回転するパフォーマンスは彼のトレードマークであった。
怪我がなければ、もっと輝けたであろう選手。