トーマス・ブローリン

概略

国籍  スウェーデン
生年月日 1969年11月29日(50歳)
出身地 イェヴレボリ県ヒーディクスバル
身長 178cm
体重 74kg

 

ポジションはミッドフィールダー(オフェンシブハーフ)、フォワード(セカンドトップ)。

 

右利き。

 

愛称は「 小さなバイキング」。

 

1990年代のスウェーデンの躍進を支えた中心選手。

イタリアのパルマなどで活躍した。

 

絶頂期に怪我に泣かされた悲運の選手だった。

 

獲得タイトル

クラブ

パルマ

  • UEFAカップウィナーズカップ:1992–93
  • UEFAカップ:1994–95
  • UEFAスーパーカップ:1993
  • コッパ・イタリア:1991–92

代表

スウェーデン

  • FIFAワールドカップ3位:1994

個人

  • Guldbollen:1990、1994
  • UEFAユーロゴールデンブーツ:1992
  • FIFAワールドカップオールスターチーム:1994
  • バロンドール4位:1994年

 

経歴

クラブ
クラブ 出場 (得点)
1984-1986 スウェーデンの旗 ネスビケンIF 36 (10)
1987-1989 スウェーデンの旗 GIFスンツヴァル 55 (13)
1990 スウェーデンの旗 IFKノーショーピング 9 (7)
1990-1995 イタリアの旗 パルマAC 133 (20)
1995-1997 イングランドの旗 リーズ・ユナイテッド 19 (4)
1997 スイスの旗 FCチューリッヒ (loan) 3 (0)
1997 イタリアの旗 パルマAC (loan) 11 (0)
1998 イングランドの旗 クリスタル・パレス 13 (0)
1998 スウェーデンの旗 ヒーディクスヴァルABK 1 (0)
代表歴
1990-1995 スウェーデンの旗 スウェーデン 47 (26)

 

1990年のFIFAワールドカップ・イタリア大会直前にスウェーデン代表に招集されると同年4月25日のウェールズとの親善試合で2得点の活躍、そのまま代表へ定着した。

 

本大会では1次リーグ敗退に終わるが彼自身は2得点を挙げるなど未来のスター候補として一躍脚光を浴びた。

 

クラブでは1990-91シーズンに移籍したACパルマでは中心選手として活躍、1992-93シーズンのUEFAカップウィナーズカップ、1994-95シーズンのUEFAカップを制し、このイタリアの名も無いクラブを1990年代の欧州を代表するクラブへと躍進させた。

 

スウェーデン代表として地元開催の1992年の欧州選手権ベスト4進出と1994年のワールドカップ・アメリカ大会3位入賞に貢献するなど絶頂期にあったが、1994年11月16日の欧州選手権予選ハンガリー戦で足首に重傷を負い、その後は一気に下降線を下った。

 

また本人の太りやすい体質もあってか以前の鋭さを失い、代表からも外れクラブを転々とするようになり1998年に28歳で現役を引退した。

 

エピソード

前述のようにパルマやスウェーデン代表として数多くの成功を収め、選手として絶頂期にあった1994年に負った怪我は、ブローリンの選手生命を左右するものとなった。

 

1995年に移籍したリーズ・ユナイテッドや1998年に移籍したクリスタル・パレスでは殆ど結果を残すことが出来ず、2007年にタイムズ誌が発表したプレミアリーグで最も期待外れに終わった選手50人の第2位にランクされている。

 

また、ブローリンの下降線と連鎖するかのように、代表で共に戦ってきたヨナス・テルンやマルティン・ダーリンなどのスウェーデン人選手も選手としてのピークを過ぎていった。

 

1994年のワールドカップの主力選手の大半は当時24歳のブロリンと前後に大差のない若い年齢構成であり、1996年の欧州選手権や1998年のFIFAワールドカップ・フランス大会では好成績が予想されたが、共に予選で敗退した。

 

結局、スウェーデン代表はフレドリク・リュングベリなど新たな若手が台頭する2000年の欧州選手権まで復活を待たなければならなかった。

 

引退後は彼の兄弟が所属するアマチュアクラブで一度だけプレーした(GKを務めた)後は完全にサッカー界から離れ、ビジネスマンとして『Undici』(背番号11の意、自身のパルマ在籍時の背番号が由来)というレストランの経営に携わっている。

 

プレースタイル

豊富な運動量と機敏な動き、ゴール前へ鋭く飛び出し素早いシュートモーションでゴールを奪う。

 

パスやドリブルなどの基礎技術もしっかりしており、攻撃をクリエイトすることもできた。

 

自ら得点するだけでなくゴールをアシストする能力にも長けていた。

 

得点後に拳を高く挙げスケート選手の様にくるりと回転するパフォーマンスは彼のトレードマークであった。

 

怪我がなければ、もっと輝けたであろう選手。

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