ブライアン・ラウドルップ

サッカー

概略

Brian Laudrup, The Prince of Denmark [Goals & Skills]
国籍  デンマーク
生年月日 1969年2月22日(51歳)
出身地 オーストリアの旗 ウィーン
身長 186cm
体重 72kg

 

ポジションはフォワード(右ウイング、セカンドトップ)、ミッドフィールダー(オフェンシブハーフ)。

 

右利き。

 

90年代ヨーロッパを席巻した「ダニッシュダイナマイト」デンマーク代表の中心メンバーの一人。

 

 

同じくサッカー選手であった兄のミカエル・ラウドルップと共に「ラウドルップ兄弟」として知られる。

 

父のフィン・ラウドルップも元サッカー選手で代表キャプテンを務めた。

 

獲得タイトル

クラブ

ブレンビー
  • デンマーク1stデヴィジョン:1987、1988
バイエルン・ミュンヘン
  • DFL-スーパーカップ:1990
ミラノ
  • セリエA:1993–94
  • UEFAチャンピオンズリーグ:1993–94
レンジャーズ
  • スコットランド・プレミア・ディビジョン:1994年-1995年、1995年-1996年、1996年-1997年
  • スコティッシュカップ:1995–96
  • スコティッシュリーグカップ:1996–97
チェルシー
  • UEFAスーパーカップ:1998

代表

デンマーク
  • UEFA欧州選手権:1992
  • FIFAコンフェデレーションズカップ:1995

個人

  • デンマーク年間最優秀選手:1989、1992、1995、1997
  • キッカー ブンデスリーガチームオブザシーズン:1989–90
  • UEFAユーロ1992トーナメントチーム
  • FIFAワールドプレーヤーオブザイヤー(5位):1992
  • バロンドール:1992(6日)、 1996(28日)、 1998(23日)
  • ベストプレーヤー(FIFAコンフェデレーションズカップ):1995年
  • スコットランド・サッカー記者協会年間最優秀選手賞:1994年から1995年、1996年から1997年
  • SPFAプレーヤーズオブザイヤー:1994–95
  • 1998FIFAワールドカップオールスターチーム
  • FIFA 100
  • デンマークの殿堂
  • スコットランドのフットボールの殿堂

 

経歴

ブライアン・ラウドルップのプレイ集【ダニッシュダイナマイト】
Brian Laudrup Skills & Goals
クラブ
クラブ 出場 (得点)
1986-1989 デンマークの旗 ブレンビーIF 68 (18)
1989-1990 ドイツの旗 バイエル・ユルディンゲン 34 (6)
1990-1992 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン 44 (11)
1992-1994 イタリアの旗 フィオレンティーナ 31 (5)
1993-1994 イタリアの旗 ACミラン (loan) 9 (1)
1994-1998 スコットランドの旗 レンジャーズ 133 (44)
1998 イングランドの旗 チェルシー 11 (1)
1998-1999 デンマークの旗 FCコペンハーゲン 12 (2)
1999-2000 オランダの旗 アヤックス 38 (15)
代表歴
1987-1998 デンマークの旗 デンマーク 82 (21)

 

クラブ

 

1986年にブロンビーでトップデビューを果たすと、翌シーズンには11ゴールを挙げる活躍を見せる。

 

翌シーズンからチームは2連覇を果たす、得意のドリブルで活躍はするが、故障もあり充分な活躍はできなかった。

89/90シーズンからは、ドイツのバイヤー・ユルティンゲンに移籍。

 

8月23日のハンブルガーSV戦で移籍後初ゴール(ブンデスリーガ初ゴール)を含む2ゴールを決めた。

 

ここでの活躍が認められ、翌90/91シーズンには200万ポンド当時のブンデスリーガ市場最高額の契約金で名門バイエルン・ミュンヘンに移籍する。

 

1990年9月1日のカイザースラウンテルン戦で移籍後初ゴールと初アシストを記録した。

 

11月24日のヴァッテンシャイト戦では2ゴール3アシストを決め7-0での勝利に貢献。

 

1年目はリーグ戦9ゴールを決めるなど活躍し(同シーズンはバインに次ぎ、第2位タイとなる11アシストを記録した)、スポーツビルド誌の人気投票において、ドイツ国内でプレーする選手の中で最多の票を集めた。

 

また同年のチャンピオンズカップでは準決勝まで進出したが、レッドスターにトータルスコアで1点及ばず、決勝進出はならなかった。

 

バイエルンでの2シーズンの活躍により、ブライアンは「ミカエルの弟」というわけではなく、1人の一流選手として認められていく。

92/93シーズンにはイタリアのフィオレンティーナに移籍する。

 

このシーズン、フィオレンティーナは中心選手であったドゥンガを放出し、エッフェンベルグ、ブライアンらの攻撃的選手を獲得した。

 

シーズン開幕からバティストゥータ、エッフェンベルグ、ブライアンらの攻撃陣は好調を維持し、その攻撃的サッカーでリーグに旋風起こし優勝争いを演じる。

 

しかし、折り返しから一気に下降線をたどり、結局2部に降格してしまう。

 

93/94シーズンにはACミランにレンタル移籍をするが、サビチェビッチ、パパン、ボバンらの外国人枠の関係と、ドナドーニという不動のレギュラーがいたためほとんど試合に出ることはできず、イタリアを後にする。

94/95シーズンからは、スコットランドのグラスゴー・レンジャースに移籍。

 

ここではイタリア時代の鬱憤を晴らすように、グランドを駆け抜ける。

 

開幕からエースとして活躍、見事優勝を飾り、シーズン最優秀選手に選ばれた。

 

FCバルセロナよりオファーを受けたが、残留を選択した。

 

3度のリーグ優勝に貢献、1996年スコットランドカップ決勝では2得点、レンジャースファンからラウドルップファイナルと命名される活躍であった。

 

96/97シーズンには相棒のガスコインの好アシストにも恵まれ、自己最高の16ゴールを挙げ、チームを優勝に導くと共に、2度目のシーズン最優秀選手にも選ばれた。

98/99シーズンにはイングランドのチェルシーに移籍をしたが、ヴィアリ監督によるフロー、ゾラ、M・ヒューズ、カシラギらとのローテーションシステムに不満爆発。

 

シーズン途中で母国のチームに移籍してしまう。

99/98シーズンにはオランダの名門アヤックスでプレー。

 

ここでは再びグラスゴー時代のような活躍を見せる。

 

優勝は逃すが13ゴールを挙げる活躍を見せるが、シーズン終了後、故障を理由に突如引退をしてしまう。

 

代表

 

代表では82試合で21得点を挙げている。

 

デンマーク代表としては1987年11月17日の西ドイツ戦で代表デビューを果たした(試合は0-1で敗退)。

 

1988年に西ドイツで行われたUEFA欧州選手権1988の代表メンバーからは落選したが、大会後は19歳ながら、主力選手の一人として代表メンバーに定着していった。

 

一方で兄のミカエルはこの時期から代表招集に難色を示すようになり、兄弟が揃い踏みする機会は少なくなった。

 

1992年の欧州選手権では、ユーゴスラビアの代役として出場。

 

兄ミカエルは監督の戦術に反発し、代表を一時引退していたため出場しなかったが、ブライアンは高速ドリブルでカウンターを演出。

 

番狂わせを続け、決勝ではドイツにも勝利して、まさかの優勝を果たす。

 

ブライアンは名手シュマイケルと共に、奇跡の優勝の立役者となった。

 

 

また同年のFIFA最優秀選手賞では第5位に選ばれた。

 

ヨーロッパ王者として挑んだ1994 FIFAワールドカップ欧州予選では最終節まで2位につけ、引き分けでも本大会出場が可能であったが、2位を争うスペインとの直接対決でスペインに0-1と負け、予選敗退となったが、1995年のキング・ファハド・カップ1995では、決勝でアルゼンチンを破って優勝した。

 

1996年のUEFA EURO ’96では兄弟揃って出場を果たし、グループリーグ初戦ポルトガル戦で1ゴール、第3戦トルコ戦で2ゴールを決めたが、グループリーグ敗退に終わり大会2連覇は逃した。

 

1998年のW杯には兄ミカエルと共に出場。

 

1998 FIFAワールドカップではグループリーグ、初戦サウジアラビア戦、南アフリカ戦でそれぞれアシストを決め、決勝トーナメント進出に貢献。

 

決勝トーナメント1回戦、ナイジェリア戦では決勝点を決め、各上と見られていたナイジェリアを相手に4対1で圧勝するという番狂わせを起こす。

 

準々決勝のブラジル戦ではヨルゲンセンの先制ゴールをアシストをしただけでなく、50分に2-2の同点に追いつくゴールを決めたが、2-3で敗れベスト8という結果に終わった。

 

優勝候補ブラジルをあと一歩まで追い詰めたが、リバウドの一発で破れた。

 

大会後、FIFAが選ぶ大会オールスターチームの16人に兄弟揃って選ばれた。

 

そして大会終了後に29歳でデンマーク代表から引退を表明した。

 

ミカエルと共に代表を引退した。

 

エピソード

【サッカー】ブライアン ラウドルップ Brian Laudrup プレー集

引退後はデンマークの放送局TV3+でUEFAチャンピオンズリーグなどのコメンテーターを務めている。

 

また元デンマーク代表のラース・ヘグと共に「ラウドルップ&ヘグ・プロキャンプ」(Laudrup & Høgh ProCamp)を設立しユース年代の指導を行っている。

 

2010年9月7日、自身がコメンテーターを務める番組内で、悪性リンパ腫を患っていることを公表したが、後に全快したことが発表された。

 

プレースタイル

Brian Laudrup… The Art of Dribbling

高速スピードのドリブルを武器とするウインガー。

 

重心が低く、スピードに乗った鋭くダイナミックなドリブルを武器とした、デンマークを代表する選手の1人。

 

ミカエル・ラウドルップの弟であり、兄の程の成績は残してはいないが、1流選手であったことに間違いはない。

 

敵陣を縦横無尽に駆け抜ける高速ドリブルを武器に多くの得点を演出した。

 

爽やかな風貌とは裏腹に勝負への情熱を持ったスピードスターだ。

 

足元のテクニックに優れ、ボールコントロールも巧みにこなし、右足の強烈ミドルも装備。

 

また、持ち前のスピードを生かしたドリブル突破は一度スピードに乗られるとなかなか手がつけられないほどの突破力と強引さを兼ね備えている。

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