概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1891年12月25日 | ||
出身地 | コペンハーゲン | ||
没年月日 | 1962年8月9日(70歳没) |
身長178cm、体重75kg。
ポジションはフォワード(センターフォワード)。
利き足は右。
ニックネームは「Tist」。
1910年代から1920年代にかけて活躍したデンマーク代表のストライカー。
デンマーク代表史上最多タイの52得点を挙げた。
獲得タイトル
クラブ
- ケベンハウンBK
- デンマーク・リーグ (6) : 1913, 1914, 1917, 1918, 1922, 1925
代表
- デンマーク代表
- ストックホルムオリンピック : 銀メダル
経歴
クラブ | |||
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年 | クラブ | 出場 (得点) | |
1907-1927 | ![]() |
201 (276) |
代表歴 | |||
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1910-1925 | ![]() |
38 (52) |
選手キャリアを通じて在籍することになるケベンハウンBKでサッカーを始めた。
1910年5月5日、デンマーク代表史上最年少の18歳131日でデンマーク代表デビューし、1908年にヴィルヘルム・ヴォルフハゲンが作った記録を塗り替えた。
1918年、18歳51日でデビューしたヴァルデマル・ラウルセンに塗り替えられた。
ロンドンオリンピック閉幕後初の代表戦で代表デビューし、1912年にはストックホルムオリンピックのメンバーに選出された。
出場機会はオランダ(4-1)戦の1試合に留まったが、代表出場3試合目となったこの試合で代表初得点を挙げた。
デンマークは決勝でイギリスに2-4で敗れたものの、銀メダルを獲得した。
ストックホルムオリンピック後、デンマーク代表では記録的なペースで得点を重ねた。
ケベンハウンでは1913年と1914年にリーグ2連覇を果たした。
1913年から1916年6月にかけて、ストックホルムオリンピック後最初の代表戦から9試合で22得点を挙げた。
スウェーデンを10-0で破った試合ではひとりで6得点を挙げ、ドイツを4-1で破った試合ではひとりで4得点を挙げた。
1916年6月時点では12試合出場23得点の成績を残している。
1917年、1918年、1922年、1925年にはケベンハウンでリーグ優勝し、デンマーク代表でもかなりの得点を挙げた。
1923年10月14日には32試合目の出場を果たし、ソフス・ハンセンが1920年に樹立したデンマーク代表最多出場記録(31試合)を塗り替えた。
1925年9月の試合が代表でのラストゲームとなった。
38試合に出場して52得点を挙げているが、このうち26得点はノルウェーから挙げた得点であり、15得点はスウェーデンから挙げた得点である。
エピソード
ニールセンがまだ子どもの頃、料金を支払わずにスタジアムに入ろうとしたことがあった。
そのことが理由で、彼のニックネームは「ただ乗り」を意味する「Gratist」になり、それが省略されて「Tist」になった。
代表通算52得点はデンマーク代表最多得点記録となり、長らく破られていない。
2010年6月にはヨン・ダール・トマソンが52得点目を挙げてニールセンの記録に並んだ。
最多出場記録(38試合)は、1931年6月にミカエル・ローデによって塗り替えられた。
キャリアを通じてFIFAワールドカップに出場することはできず、世界の舞台に立ったのはストックホルムオリンピックのみである。
プレースタイル
ゴールを奪う嗅覚が鋭くポジショニングセンスに秀でたストライカー。
スピードがありテクニックやドリブルも兼備する。
裏へ抜ける動きも優秀なゴールハンター。