概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1963年11月18日(56歳) | ||
出身地 | グラッドサクセ | ||
身長 | 193cm | ||
体重 | 96kg |
ポジションはゴールキーパー。
利き足は右。
愛称は「グレート・デーン」、「白い巨人」。
90年代最高のゴールキーパーと評されたデンマーク代表の守護神。
バロンドール投票では1992年に自身最高の5位を記録し、それを含みキーパーとしての最高位を4度経験している。
どう控え目に言っても、レフ・ヤシン、ゴードン・バンクス、ディノ・ゾフ、ジャンルイジ・ブッフォンと並んで歴代No.1 と評価されるに相応しい選手の一人であるのは間違いないでしょう。
獲得タイトル
クラブ
ブレンビー
- Danish 1st Division/Danish Superliga: 1987, 1988, 1990, 1991
- Danish Cup: 1988–89
マンチェスター・ユナイテッド
- Premier League: 1992–93, 1993–94, 1995–96, 1996–97, 1998–99
- FA Cup: 1993–94, 1995–96, 1998–99
- Football League Cup: 1991–92
- FA Charity Shield: 1993, 1994, 1996, 1997
- UEFA Champions League: 1998–99
- European Super Cup: 1991
スポルティング・リスボン
- Primeira Liga: 1999–2000
- Supertaça Cândido de Oliveira: 2000
アストン・ヴィラ
- UEFA Intertoto Cup: 2001
代表
デンマーク
- UEFA European Championship: 1992
個人
- Det Gyldne Bur (Danish Goalkeeper of the Year): 1987, 1988, 1990, 1992
- Danish Football Player of the Year: 1990, 1993, 1999
- UEFA European Championship Team of the Tournament: 1992
- UEFA Goalkeeper of the Year: 1992, 1993, 1998
- IFFHS World’s Best Goalkeeper: 1992, 1993
- PFA Team of the Year: 1992–93 Premier League
- Premier League Player of the Season: 1995–96
- UEFA Club Goalkeeper of the Year: 1997–98
- UEFA Champions League 10 Seasons Dream Team (1992 to 2002): 2002
- English Football Hall of Fame: 2003
- PFA England League Team of the Century (1907 to 2007): 2007
- Premier League 10 Seasons Awards (1992–93 to 2001–02):
- Overseas and overall Team of the Decade
- Save of the Decade (vs. Newcastle, 21 December 1997)
- Premier League 20 Seasons Awards (1992–93 to 2011–12):
- Fantasy Teams of the 20 Seasons public and panel choice
- FIFA 100
- Danish Football Hall of Fame
- World Soccer: The 100 Greatest Footballers of All Time
- Football League 100 Legends
経歴
代表歴 | |||
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1987-2001 | ![]() |
129 | (1) |
クラブ
ヴィドヴルにてストライカーとしてプロデビューを果たし、過去にハンドボールのゴールキーパーを努めた経験が買われコンバートされる。
デビュー当初から主力として活躍し1986年に名門ブロンビーへ引き抜かれると通算4度のリーグ優勝に大きく貢献、1989年にはデンマーク最優秀選手選出。
1991年よりファーガソン監督のラブコールを受けマンチャスター・ユナイテッドへ加入、当時イングランド国内ではほとんど無名に近い存在であったが移籍初年度から42試合に出場し37失点と素晴らしい活躍を見せその実力を証明する。
翌シーズンに26年振りのリーグ優勝に貢献するとその後の黄金期を支え、通算5度のリーグ優勝、3度のFAカップ優勝等に貢献して見せた。
マンチェスター・ユナイテッドFCでは1991年から8年間プレーし、リーグ5回、FAカップ3回、チャンピオンズリーグとリーグカップの優勝に貢献した。
特に所属最終年の1999年にはキャプテンとしてUEFAチャンピオンズリーグ、リーグ、FAカップの三冠(トレブル)を果たした。
チャンピオンズリーグ決勝でバイエルン・ミュンヘンに勝利した試合を最後に退団した 。
見事CL制覇を成し遂げ、完璧なるエンディングを演じて見せた。
自身の希望での退団であったが、後に退団したことを後悔していると語った。
99-00シーズンよりポルトガルリーグへ移り、移籍初年度に18年振りとなるリーグ優勝に多大なる役割を果たした後01-02シーズンよりプレミアへ復帰。
アストン・ヴィラを経て2002年にマン・Uのライバルであるマン・Cへ加入し話題となった。
2003年にプレミア10周年を記念してさまざまな部門を設けてファン投票が行われたが、ベスト11選出と同時に1997年10月21日のニューカッスル戦でスチュワート・ピアースのシュートを止めたシーンが10周年ベストセーブ賞に選出されている。
代表
代表でデビューは1987年5月20日ギリシャ戦。
翌年の欧州選手権を経験し、1992年欧州選手権ではユーゴスラビアの代替え出場ながら見事優勝を成し遂げ、自身も大会最優秀GKに選出された。(この大会、決勝でのクリンスマンのシュートに対するセービングは生涯最高のセービングと自身が語っている。)
その後1996年、2000年の欧州選手権まで不動の守護神として君臨、W杯とは巡り合わせが悪かったが1998年フランス大会にて出場を果たしチームをベスト8へ導いた。
代表通算129試合(デンマーク最多記録)1得点。
エピソード
元々ハンドボールのキーパーだったが、スカウトされてサッカーに転向した。
息子のカスパー・シュマイケルもゴールキーパーとしてプレミアリーグのレスターシティで活躍し、デンマーク代表にも選出されている。
またイケル・カシージャスはシュマイケルを模範としていた。
マンチェスター・ユナイテッド時代の監督アレックス・ファーガソンは、「世界最高のGKであり、代役を探すのがとても難しかったと。」と著書に記した。
マンチェスター・ユナイテッドを去る際、ファーガソン監督は言った。
「数年前、『ユナイテッドはカントナのおかげで1-0の勝利を収めてるんだ』と言われた時期があった。でも、そのスコアはシュマイケルがいたから保てたんだ。今後歴史上史上最高のGKを論議する時は、是非彼の名を入れてほしい」。
マンチェスター・ユナイテッドのGKとして圧倒的な存在感を放っていたため、彼が退団した後のマンチェスター・ユナイテッドのGK達は彼の亡霊に苦しむことになる。
ロイ・キーンは自叙伝の中でシュマイケルとの間に確執があったこと、1998年夏に行われたアジアツアーで殴り合いのケンカをしたことを明かしている。
「ピーター(シュマイケル)は当時、チームメートに対してやたらと怒鳴っていた。
そして、 私はピーターがまるで『俺を見てくれ』とばかりに観衆の気を誘っているように感じていたんだ。おそらく、彼は集中するためにそれをしていたと思うが、私に は観客へのアピールのように思えて仕方がなかった」
「そういったお互いへの不満もあって、我々は白黒付けるためにケンカを始めた。ピーターは身体が大きく、私は彼に掴まれた。だから、私は頭突きをかましてやった。その後も我々は長い間、戦い続けた」
プレースタイル
90年代世界最高のゴールキーパーとして君臨した元デンマーク代表守護神。
広い守備範囲、反応力、判断力、統率力、足下の巧さと、現代ゴールキーパーに必要な資質をすべて兼ね備える。
そのセービングは「美」と言葉が最も相応しく最後方でチームを鼓舞する姿は稀にみる存在感を示した。
190cmを越す巨漢で、足元でのプレーやゴールエリア外に飛び出すプレーはあまり得意ではないが、ゴールライン上での圧倒的な存在感を放ち、ハイボールや至近距離からのシュートに抜群の反応を見せる。
また、リードしている試合以外のロスタイム時のセットプレイには果敢にも相手ゴールまで上がりゴールを狙うことが多くアストン・ヴィラ在籍時に1得点、代表でも1得点挙げている他、練習試合などでは見事なボレーシュートを決めていたりした。
シュマイケルは大柄で存在感がまず際立っていました。
さらに俊敏性もあり、ボールへの反応も抜群に早いハイレベルの能力を持ったゴールキーパー。
ただ、それだけではなくて彼には他のGKと違うバックボーンがあり、それが彼独特のプレースタイルをはぐくむことになるのです。
というのも子供の頃のシュマイケルはサッカーのGK以外にも「ハンドボールのGK」としても活躍していたのです。
なぜかというとデンマークは雪国で冬の間はほとんどサッカーができません。
そのため冬はハンドボールをし、あたたかくなって来たらサッカーをするという2つの種目を掛け持ちするスタイルになっていたというわけです。
このシュマイケルの経験は吉と出ます。
ハンドボールのGK時代に相手の動きを読むことを学んだり、相手との接近戦にも強くなることができたのです。
そうしたハンドボールでの経験が彼独特の強みとなり、サッカーにも大いにいかされていました。
前後左右の動きもめちゃめちゃ速かったです。
あれだけ大柄な選手なのに全く鈍さを感じませんでしたから。
セーブしてすぐに立ちあがる立て直しの速さも素晴らしい。
またボールへの反応も抜群に優れていました。
元々ハンドボールのキーパーだったが、そのためか、センターラインを超えるほどのスローイングを放つことができた。
また、度々ハンドボールのようなセービングも見せている。
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