概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1943年10月2日(77歳) | ||
出身地 | シント・ピータース・レーウ | ||
身長 | 183cm | ||
体重 | 83kg |
ポジションはフォワード(セカンドトップ、センターフォワード)、ミッドフィールダー(オフェンシブハーフ)。
利き足は右。
ベルギーのアンデルレヒトなどで活躍。
1960年代から1970年代にかけて活躍しベルギー代表のエースストライカーを務めた。
アンデルレヒトに在籍した16シーズンの間、8度の ジュピラーリーグ制覇を始め、457試合出場233得点を記録した。
2003年11月のUEFAジュビリーアウォーズの際には、ベルギーサッカー協会から過去50年間で最も優秀なベルギー人選手に選出された。
獲得タイトル
クラブ
RSCアンデルレヒト
- ベルギー1部:1961年-1962年、1963年-1964年、1964年-1965年、1965年-1966年、1966年-1967年、1967年-1968年、1971年-1972年、1973年-1974年
- ベルギーカップ:1964年-1965年、1971年-1972年、1972年-1973年、1974年-1975年
- ベルギーリーグカップ:1973、1974
- インターシティーズフェアカップ:1969-70(準優勝)
代表
- UEFA欧州選手権:1972年(3位)
個人
- ベルギー・ゴールデンシュー:1960、1961、1965、1974
- ベルギー・ファースト・ディビジョン得点王:1963–64(26ゴール)、1965–66(25ゴール)、1967–68(20ゴール)
- マン・オブ・ザ・シーズン(ベルギー・ファーストディビジョン):1970-71
- ベルギー代表最多出場記録:1973-1989(81キャップ)
- ベルギー国立スポーツ功労賞:1974
- 20世紀のベルギーのサッカー選手(1995)
- 最高のゴールデンシューチーム(2011)
- バロンドール:1964年(5位)、1965年(4位)
- バロンドールのノミネート:1963 、1966 、1967 、1972
- 1966 FIFAワールドカップ予選:グループ1得点王(5ゴール)
- 1966–67ヨーロッパカップ:得点王(6ゴール)
- 1969–1970インターシティーズ・フェアカップ:得点王(10ゴール)
- UEFAジュビリーアワード(2003)
経歴
クラブ | |||
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1959-1975 | ![]() |
457 | (233) |
1975-1976 | ![]() |
21 | (1) |
1976-1977 | ![]() |
代表歴 | |||
---|---|---|---|
1960-1974 | ![]() |
81 | (30) |
クラブ
9歳の時に名門アンデルレヒトのユースに入り、59/60シーズン、弱冠16歳でトップリーグデビューを果たします。
初年度から結果を出すと翌年には早くも13得点を挙げてエースとなり、年間最優秀選手にも選ばれます。
以降3度の得点王に輝き、5連覇を含む8度のリーグ優勝、2連覇を含むカップ優勝3度と、チームに数多くの栄冠をもたらしました。
16シーズンで通算457試合233得点の記録を残した後、モレンビイクやE・アールストでプレー。
76/77シーズンで栄光に包まれたキャリアを終えました。
代表
代表デビューは、1960年10月19日スウェーデン戦。
2年後のW杯出場はならず、クラブに専念するため代表から離れました。
その後代表復帰し1970年のFIFAワールドカップ・メキシコ大会出場に貢献。
1970年メキシコW杯では3試合出場も無得点に終わりました。
続く1972年欧州選手権にも出場し、この大会中に69キャップを刻んで歴代最多出場記録を更新します。
チームもW杯での不振がうそのように、3位入賞を果たしました。
W杯予選は1962年大会から4大会に臨み、19試合で7得点を挙げています。
代表記録 81試合30得点。
エピソード
引退後は指導者に転身し、1982年に古巣アンデルレヒトに就任すると、決勝でベンフィカを下してクラブに初のUEFA杯をもたらします。
翌シーズンも同大会で決勝に進出しましたが、PK戦の末トッテナムに敗れて連覇を逃しました。
1991年にベルギー代表に就任。
1994年W杯ではチームをベスト16に導いています。
プレースタイル
力強いシュートで高い決定力を誇り、ドリブルでチャンスも作るなどアシスト能力にも長けたベルギー屈指のストライカー。
高いテクニックを誇りクラブでも代表でも得点源でキャプテンも務める大黒柱だった。