概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1959年1月24日(61歳) | ||
出身地 | セラン | ||
身長 | 179cm | ||
体重 | 75kg |
ポジションはゴールキーパー。
利き足は右。
愛称は「鉄の男」。
1980年代のベルギー黄金期のゴールキーパー。
ワールドクラスのゴールキーパーでスタンダール・リエージュなどで活躍した。
獲得タイトル
クラブ
スタンダールリエージュ
- ジュピラー・プロ・リーグ:1981-1982、1982-1983
- ベルギー・カップ:1980–81
- ベルギー・スーパーカップ:1981、1983
- ヨーロピアン・カップウィナーズカップ:1981–82(準優勝)
- インタートトカップグループ優勝:1980 、1982 、1984
KVメヘレン
- ベルギー・ファースト・ディビジョン:1988–89
- ベルギー・カップ:1986–87(優勝者)、1990-91(準優勝)、1991-92(準優勝)
- ヨーロピアン・カップウィナーズカップ:1987–88(優勝)
- 欧州スーパーカップ:1988
- アムステルダム・トーナメント:1989
- ジョアン・ガンペール・トロフィー:1989
- ジュール・パパートカップ:1990
ベンフィカ
- タッサ・デ・ポルトガル:1995–96
代表
ベルギー
- UEFA欧州選手権:1980年(準優勝)
- ベルギースポーツ功労賞:1980
個人
- ベルギー・ゴールデン・シュー 1987, 1989
- ベルギー年間最優秀ゴールキーパー賞 1988, 1989, 1990, 1991
- IFFHS選定年間最優秀ゴールキーパー 1994
- UEFA年間最優秀ゴールキーパー 1994
- ヤシン賞 1994
- ベルギー・フェアプレー賞:1989
- 20世紀ベルギー・ゴールデンシュー(1995):5位
- ベスト・ゴールデンシューチーム(2011)
- バロンドールのノミネート:1988 、1989 、1994
- FIFAワールドカップ・オールスターチーム:1994
- 欧州最優秀ゴールキーパー:1994
経歴
クラブ | |||
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1977-1986 | ![]() |
240 | (0) |
1986-1993 | ![]() |
263 | (0) |
1994-1999 | ![]() |
147 | (0) |
代表歴 | |||
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1979-1994 | ![]() |
58 | (0) |
1977年にスタンダール・リエージュでトップデビューし、1981-82、1982-83シーズンのジュピラーリーグ優勝に貢献。
1986年にKVメヘレンに移籍後、カップウィナーズカップ、UEFAスーパーカップなどのタイトルを獲得。
1988-89シーズンにはジュピラーリーグでチーム41年ぶりとなる優勝に貢献した。
1979年にベルギー代表デビュー。
代表デビューは20歳と早かったが、当時のベルギーが世界に誇る名ゴールキーパーのジャン=マリー・パファフの影に隠れて、控えのゴールキーパーに過ぎなかった。
当初はジャン=マリー・パファフの控えだったが、1980年代後半から正GKとなり、W杯は1990年イタリア大会・1994年アメリカ大会の2回出場。
アメリカ大会では好守を連発してベルギーのベスト16進出に貢献し、大会最優秀ゴールキーパーに与えられるヤシン賞の初代受賞者となった。
W杯後の1994年にポルトガルの名門SLベンフィカに移籍し、1999年に40歳で引退した。
ベルギー代表通算58試合出場。
エピソード
チェルシーなどで活躍した元チェコ代表のゴールキーパー、ペトル・チェフが憧れた選手こそミシェル・プロドームだ。
監督として
2000-01シーズン途中の2001年1月にスタンダール・リエージュの監督に就任したが、2000-01シーズンは3位、2001-02シーズンは5位と、クラブの規模を考えれば不本意な成績しか残せなかった。
2002年夏に監督を辞めて同クラブのテクニカル・ディレクターの職に就くが、2006-07シーズン開幕直後にヨハン・ボスカンプ監督を解任し、自身が監督の座に就任した。
前回の就任から数えると4シーズン目となる2007-08シーズンにジュピラーリーグで優勝を果たし、最優秀監督賞を受賞した。
2008年にKAAヘントの監督に就任、2009-10シーズンにはヘントをリーグカップの優勝に導き、リーグも2位という好成績で終えた。
2010年5月24日、FCトゥウェンテ監督に就任した。
プレースタイル
179cmと体格に恵まれているわけではないが、驚異的な反応速度でシュートを阻み、瞬時の判断で飛び出すと、1対1の絶対絶命のピンチを何度も阻止しチームのゴールを守り続けた。
身長179cmと当時のGkとしても小柄に属するプロドーム。
しかし背が小さいハンデを抜群の反射神経とスピードでカバーしました。