シニシャ・ミハイロビッチ

サッカー

概略

Sinisa Mihajlovic, Miha [Best Goals]
国籍 セルビアの旗 セルビア
イタリアの旗 イタリア
生年月日 1969年2月20日(51歳)
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア ヴコヴァル
身長 185cm
体重 78kg

 

ポジションはディフェンダー(センターバック、左サイドバック)、ミッドフィールダー(ディフェンシブハーフ)。

 

利き足は左。

 

愛称は「グランシニストラ(偉大なる左足)」。

 

1990年代から2000年代にかけて活躍したユーゴスラビア代表のディフェンダー。

 

史上屈指の歴代No1とも言われるフリーキックの名手でイタリアの複数のクラブで活躍した。

 

ユーゴスラビアの内戦がなければ国際舞台でも活躍できたであろう惜しい選手。

 

獲得タイトル

クラブ

ヴォイヴォディナ
  • プルヴァ・リーガ:1988–89
レッドスター・ベオグラード
  • プルヴァ・リーガ:1990-1991、1991-1992
  • UEFAチャンピオンズカップ :1990–91
  • インターコンチネンタルカップ:1991
ラツィオ
  • セリエA:1999–2000
  • コッパ・イタリア:1999-2000、2003-04
  • スーペルコッパ・イタリアーナ:1998、2000
  • UEFAカップウィナーズカップ:1998–99
  • UEFAスーパーカップ:1999
インテル・ミラノ
  • セリエA:2005–06
  • コッパ・イタリア:2004-05、2005-06
  • スーペルコッパ・イタリアーナ:2005

代表

ユーゴスラビア
  • 1990 UEFA European Under-21 Football Championship(準優勝)

個人

  • ESMチームオブザイヤー:1998–99、1999–00
  • FRユーゴスラビア年間最優秀選手:1999年

 

経歴

シニシャ ミハイロビッチ(Siniša Mihajlović)
Sinisa Mihajlovic – 38 goals in Serie A (Roma, Sampdoria, Lazio, Inter 1992-2006)
クラブ
クラブ 出場 (得点)
1986-1988 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ボロヴォ 41 (5)
1988-1990 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ヴォイヴォディナ 73 (19)
1990-1992 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 レッドスター 38 (9)
1992-1994 イタリアの旗 ローマ 54 (1)
1994-1998 イタリアの旗 サンプドリア 110 (12)
1998-2004 イタリアの旗 ラツィオ 126 (20)
2004-2006 イタリアの旗 インテル 25 (5)
通算 467 (71)
代表歴
1991 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア 4 (0)
1994-2002 ユーゴスラビアの旗 ユーゴスラビア 58 (9)
2003 セルビア・モンテネグロの旗 セルビア・モンテネグロ 1 (0)

 

ユーゴスラビアのクラブチーム・ヴォイヴォディナでデビュー。

 

1990-91シーズン途中にレッドスター・ベオグラードへ当時の国内移籍金最高額で移籍、主力選手として活躍を見せ、1991年5月16日の対フェロー諸島戦でユーゴスラビア代表デビューを果たした。

 

UEFAチャンピオンズカップ 1990-91準決勝のバイエルン・ミュンヘン戦セカンドレグでは得意のフリーキックで先制ゴールを挙げ、後半ロスタイムにはクロスでクラウス・アウゲンターラーのオウンゴールを誘発し土壇場で決勝進出を決め、決勝のオリンピック・マルセイユ戦でもPK戦でキックを成功させ優勝に貢献した。

 

また同年12月に開催されたトヨタカップでもダルコ・パンチェフのゴールをアシストし優勝に貢献した。

 

1992-93シーズンにはセリエA・ローマへ移籍、3月28日、ブレシア戦でセリエA初ゴールを奪った。

 

1994-95年から移籍したサンプドリアではレッドスター時代のチームメート、ヴラディミール・ユーゴビッチと再びチームメートとなった。

 

スヴェン・ゴラン・エリクソンの指揮の下で、はじめてリベロでのプレーをするようになる。

 

1998-99シーズンからはエリクソンの後を追う形でラツィオへ移籍した。

 

1998年のフランスW杯では内戦による混乱から久々に国際舞台に復帰したユーゴスラビア代表としてプレーし、イラン戦でフリーキックを決め、ベスト16入りに貢献した。

 

1998-99シーズン、12月18日のサンプドリア戦ではフリーキックのみでのハットトリックを達成、同シーズンは決勝でマヨルカを2-1と破りUEFAカップを優勝、翌シーズンはセリエA制覇、コッパ・イタリアの2冠に貢献する活躍をみせた。

 

2000年にはEURO 2000に出場した。

 

引退直前・インテル時代の2006年4月のアスコリ戦では、セリエA史上最多(28得点目)の直接フリーキックによるゴールを挙げている。

 

現在はこの記録をアンドレア・ピルロと分け合う形で記録を保持している。

 

エピソード

Sinisa Mihajlovic ➤ Stay Strong Champion ● Best Goals Ever
【サッカー】ミハイロヴィッチ FK

レッドスター時代には女性ファンからの人気を集め、アパレルメーカーのモデルを務めていた。

 

引退後、2019年骨髄性急性白血病を発症し闘病生活をしている。

 

指導者として

 

現役引退後はインテルでロベルト・マンチーニのアシスタントコーチとして2年間を過ごした。

 

2008年11月にボローニャの監督に就任したが、成績不振により2009年4月に解任された。

 

2009年12月からはカターニアの監督に就任した。

 

2010年5月末にカターニアの監督を辞任、続く6月3日にはフィオレンティーナがチェーザレ・プランデッリの後任として就任すると発表。

 

2011年11月、成績不振により解任された。

 

2012年5月、セルビア代表監督に就任。しかし、2014年ワールドカップ予選突破に失敗し、2013年11月辞任。

 

その後、サンプドリアの監督に途中就任すると、チームを残留に導く。

 

そして2014-15シーズンはサンプドリアをUEFAヨーロッパリーグ出場権を勝ち取るほどの躍進へと導いた。

 

2014-15シーズン終了後、サンプドリア監督を辞任。

 

2015年6月16日、2年契約にてミランの監督に就任することが発表された。

 

2016年4月12日、ミランの監督を解任された。

 

2016年5月25日、トリノの監督に就任し、2016-17シーズンは9位、コッパ・イタリアは16強で終えた。

 

2018年1月4日成績不振で解任された。

 

2018年6月18日、サポーターによる襲撃及び選手の退団といった混乱が続くスポルティングCPの監督として招聘されたが、9日後に解任となることが発表された。

 

2019年1月29日、ボローニャFCの監督に就任した。

 

プレースタイル

Siniša Mihajlović | Best Serie A Goals | Throwback | Serie A

強烈で精度の高いロングキックを最大の武器とし、ユーゴスラビア時代にはMF、その後は攻撃的なCBとしてプレーした。

 

FKの精度と得点力の高さにおいては史上最高のプレーヤー。

 

セリエAでは通算28本の直接FKゴールを決めており、これはアンドレア・ピルロ氏と並んで歴代最多タイ。

 

ラツィオ所属時の1998年にはFKのみでのハットトリックを達成したことも伝説となっている。

 

サッカー界史上最高のFKキッカーの一人として称えている。

 

ゴール正面はもちろん、ペナルティーエリアの横からであれ遠距離からであれ自由自在に左足からのシュートをゴールに突き刺す。

 

GKにとってはまさに悪夢でしかない存在だった。

 

若い頃は、長身でしたが、身軽でサイドハーフをする程のサイドアタッカーでもありました。

 

走力や運動量、対人能力に長けていて足元もスピードの中で無難にボールを捌ける選手でもありました。

 

ただ、器用にゴールに迫るまでの攻撃的な選手ではなかったです。

 

ダイナモ+サイドアタッカー、強烈なシュート、高さもあるので逆サイドからヘディングでゴールを狙うことも出来ました。

 

かつてのスペイン代表のSBカプデビラのようなパワフルでもあり、尚且つ組み立てにも加えるので何より違いを生み出せる。

 

中盤での起用の場合、テクニシャン揃いのユーゴでは重宝されたと思います。

 

サンプドリア、ラツィオ、インテルと晩年になり、よく知るスタイルになりましたが、かつてユーティリティ性を発揮した経験からかCBとしては、一際ビルドアップ、FKから何まで器用な選手であると評価されてましたし、既に近代的なCBであったと思います。

 

フィジカルは他の選手に比べそんなに強くなくボールを持った相手FWになぎ倒されることを何回か見ましたが頭がよく相手にボールを持たさないようにうまくカバーリングをしていたイメージが強かったです。

 

あとキックの精度が高いため後方からの攻撃の起点となったり、ロングフィードもありました。

 

後方からのロングフィードも脅威でした。

 

ただし、守備は汚かったです。 (荒かったし、ずるかった)

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