ライコ・ミティッチ

サッカー

概略

 

国籍 セルビアの旗 セルビア
生年月日 1922年11月19日
出身地 ユーゴスラビア王国の旗 ベラ・パランカ
没年月日 2008年3月29日(85歳没)
身長・体重 173cm、74kg

 

ポジションはフォワード(セカンドトップ)、ミッドフィールダー(オフェンシブハーフ)。

 

利き足は右。

 

1940年代から1950年代にかけて活躍したユーゴスラビア代表のアタッカー。

 

レッドスター・ベオグラードの5人の星人のうちの一人。

 

代表でも1948年ロンドンオリンピックの銀メダルと、1952年ヘルシンキオリンピックの銀メダル獲得に貢献。

 

経歴

 

クラブ
クラブ 出場 (得点)
1938-1944
1945-1958
ユーゴスラビア王国の旗 BSK
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 レッドスター
572 (262)
代表歴
1946-1957 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア 59 (32)

 

1922年ベラ・パランカにて出生。

 

1938年BSKベオグラードに入団。

 

ジュニアチームで良績を収め、1940年にトップチームへ昇格した。第2次世界大戦後の1945年3月、設立されたばかりのレッドスター・ベオグラードに主将として迎え入れられる。

 

14シーズンに渡って在籍したレッドスターでは、5回のリーグ優勝と4回のカップ優勝に貢献。

 

1958年に36歳で引退するまで、述べ572試合に出場して262得点を記録した。

 

クラブはその多大な貢献にミティッチへ星人の称号を与えた。

 

ユーゴスラビア代表としては59試合に出場(そのうち主将として34試合)し、3度のハットトリックを含む32得点をあげた。

 

オリンピックでは2個の銀メダル(1948年ロンドン、1952年ヘルシンキ)を獲得したほか、ワールドカップには2度(1950年ブラジル、1954年スイス)出場した。

 

エピソード

Rajko Mitić – Prva Zvezdina zvezda

現役引退後は1960年から4年間ユーゴスラビア代表監督を務めた。

 

2008年3月29日、ベオグラード市内で死去。

 

2014年12月、ベオグラードの主要スタジアムであるレッドスタースタジアムは、彼にちなんで正式に改名されました。

 

プレースタイル

 

テクニックがあり賢い選手であった。

 

またゴールの嗅覚があり、狡猾にゴールを陥れるストライカーでもあった。

 

シュートテクニックと精度も申し分ない。

 

アタッカーながら運動量も豊富で様々な場面に顔を出してはチャンスを作り出す。

 

キャプテンを務めるほどのリーダーシップもある。

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