ダボル・シュケル

概略

国籍 クロアチアの旗 クロアチア
生年月日 1968年1月1日(52歳)
出身地 オシエク
身長 183cm
体重 78kg

 

ポジションはフォワード(センターフォワード)。

 

利き足は左。

 

トマホークの愛称で知られる。

 

1990年代に活躍したクロアチア史上最高のストライカー。

 

1998年フランス・ワールドカップでクロアチアを3位に導き自身は大会得点王を獲得。

 

クロアチア代表の歴代最多得点記録保持者。

 

通算45得点を挙げている。

 

クラブレベルではレアル・マドリードやアーセナルで活躍した。

 

 

獲得タイトル

クラブ

レアル・マドリード

  • ラ・リーガ:1996–97
  • スーペルコパ・デ・エスパーニャ:1997
  • UEFAチャンピオンズリーグ:1997–98
  • インターコンチネンタルカップ:1998

アーセナル

  • UEFAカップ準優勝:1999–2000

代表

ユーゴスラビア・ユース

  • FIFAワールドユース選手権:1987
  • UEFA European Under-21 Championship準優勝:1990

クロアチア

  • FIFAワールドカップ3位:1998

個人

  • 1998 FIFAワールドカップ:ゴールデンシュー
  • 1998 FIFAワールドカップ:シルバーボール
  • 1998 FIFAワールドカップ:オールスターチーム
  • オンゼ・ド・ブロンズ:1998
  • バロンドール準優勝:1998年
  • FIFAワールドプレーヤー・オブ・ザ・イヤー・ブロンズアワード:1998
  • 1987 FIFAワールドユース選手権:シルバーシューズ
  • ユーゴスラビアファーストリーグ得点王:1988-89
  • UEFA European Under-21 Championship 1990:ゴールデンプレーヤー
  • UEFA European Under-21 Championship 1990:ゴールデンブーツ
  • UEFAユーロチーム・オブ・ザ・トーナメント:1996
  • ESMチーム・オブ・ザ・イヤー:1996–97
  • クロアチア年間最優秀選手:1992、1994、1995、1996、1997、1998
  • フラニョブチャル州スポーツ賞:1998
  • クロアチア・スポーツマン・オブ・ザ・イヤー:1998
  • 20世紀の世界サッカー100人の偉大な選手:1999年
  • UEFAジュビリーアワードクロアチアのゴールデンプレーヤー:2004
  • FIFA 100:2004
  • オシエクの名誉:2008
  • クロアチア代表チーム史上最高得点者

 

経歴

クラブ
クラブ 出場 (得点)
1984-1989 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 オシエク 91 (40)
1989-1991 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 D・ザグレブ 60 (34)
1991-1996 スペインの旗 セビージャ 153 (76)
1996-1999 スペインの旗 R・マドリード 86 (40)
1999-2000 イングランドの旗 アーセナル 22 (8)
2000-2001 イングランドの旗 ウェストハム 11 (2)
2001-2003 ドイツの旗 1860ミュンヘン 23 (5)
通算 446 (205)
代表歴
1990-1991 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア 2 (1)
1992-2002 クロアチアの旗 クロアチア 69 (45)

 

クラブ

 

ユーゴスラビアリーグのNK Osijekでトップデビューをする。

 


シーズンごとに着実にゴール数を伸ばし、88/89シーズンには得点王に輝く。

 


89/90シーズン、リーグ屈指の強豪チーム、D・ザグレブに移籍する。

 


90/91シーズンには22ゴールを挙げ、ユーゴスラビア屈指のタレントとして、海外にも名が知れるようになる。

 

91/92シーズンにはスペインにセビージャに移籍する。

 


1シーズン目は環境の変化からか、結果を残せなかったが、92/93シーズンから本領を発揮する。(このシーズンにはマラドーナと共にプレーしている)

 

移籍初年度は22試合で6ゴールだったものの、翌年には開幕戦でアルバセテ相手にハットトリックを記録するなど33試合で13ゴールを挙げた。

 

1993-94シーズンはロマーリオに次ぐリーガ24得点を挙げた。

 


決して強豪とは言えないチームで毎年のようにゴールを量産。

 


92/93シーズン~95/96シーズンの4シーズンで合計70ゴールという数字を残し、この頃にはシュケルの名はスペインだけでなく、世界的に知れ渡るようになる。

 

96/97シーズンには、名門レアル・マドリードに引き抜かれる。

 


ボスマン判決により、超豪華多国籍チームに生まれ変わったチームでエースストライカーとして君臨。

 


開幕から順調にゴールを重ね勝利に貢献していく。

 

3度のハットトリックを含む再び24ゴールを挙げ、リーグ優勝に貢献した。

 

FCバルセロナのロナウドとの得点王争いは熾烈を極めた。

 


しかし、シーズンの後半にスランプに陥り、チームは優勝するも、得点王はロナウドに奪われてしまう。(アルフォンソ 24ゴール にも抜かれて、得点ランキングは結局3位)



97/98シーズンは開幕からしばらくレギュラーとしてプレーするが、サラゴサから加入したモリエンテスの活躍により次第にベンチに追いやられるようになる。
(この頃、女性の噂がいろいろあって忙しかったみたいです・・・)

 

結局このシーズン10ゴールで終わり、リーグ優勝を逃す。

 


CLでは優勝するも活躍したとは言い難い。

 

当時のレアル・マドリードはラウール・ゴンサレス、フェルナンド・モリエンテス、プレドラグ・ミヤトヴィッチらフォワードの選手層が厚く、なかなか出場機会を得られなかった。

 

98/99シーズンには、ワールドカップの得点王でありながら、チームではモリエンテスに完全にレギュラーを奪われ、交代要員としてベンチに座り続ける。

 

翌シーズンにはアーセナルに移籍する。

 

8月22日のマンチェスター・ユナイテッド戦で途中出場という形でプレミアリーグデビューを飾り、アストン・ヴィラにてリーグ初得点を含む2ゴールを挙げた。

 

2000年のUEFAカップ決勝では途中出場、PK戦まで縺れ込むも第1キッカーを務めたシュケルは失敗。

 

その後、第3キッカーであるパトリック・ヴィエラも失敗し、ガラタサライに敗退してしまった。

 

アーセナルでは結局アンリ、ベルカンプ、カヌというレギュラー陣から、スタメンの座を奪うことができなかった。

 


それでも8ゴールという成績はさすがと言える。

 


その後、ウエスト・ハム、ドイツの1860ミュンヘンとチームを移るが、結果を残せず、02/03シーズンを最後に引退する。

 

代表

 

1987年ワールドユースでは全6試合6得点の活躍で優勝に大きく貢献した。

 

1988年には、ソウルオリンピックに出場。

 

1991年2月27日のトルコ戦でユーゴスラビア代表としてデビューし、1990年のワールドカップ・イタリア大会の代表メンバーにも選出された。

 

1992年にクロアチアが独立すると同国代表として活躍。

 

内戦によりクラブチームこそ海外に移籍したものの、UEFA EURO ’96では当時世界最高のゴールキーパーと言われたピーター・シュマイケルの頭上を越す鮮やかなループシュートを決めるなど3得点を挙げ、同国をベスト8に押し上げた。

 

初のワールドカップ出場となった1998年のワールドカップ・フランス大会では対日本戦で得点を挙げるなど大会得点王となる6得点を挙げ、同国の3位入賞に貢献するなど、同年のバロンドール投票では第2位となった。

 

2002年のワールドカップ・日韓大会にも出場しワールドカップ2大会連続出場を果たしたが、メキシコ代表1試合のみの出場に留まり(無得点)、チームもグループリーグ敗退に終わった。

 

エピソード

彼の妹のクラウディアは、日本でも御馴染みの格闘家ミルコ・クロコップと結婚した。

 

引退後は、首都ザグレブでサッカースクール「ダボル・シュケル サッカーアカデミー」を発足させ、若手選手の成長を見守っていた。

 

しかし、裕福な家庭の子供を相手にしたアカデミーはクロアチアの人に受け入れられず、現在は閉鎖している。

 

2012年7月5日、クロアチアサッカー連盟会長に就任した。

 

プレースタイル

クロアチアが生んだ最強のゴールゲッター。

 

テクニックと得点力、そして気さくな人柄で名を残したゴール前のマエストロ。

 

生粋の点取り屋。

 


スピードがあり、当りにつよく、テクニック抜群。

 

 

強烈なシュート、巧みなシュート、ドリブルでかわしてのシュートができ、ヘディングも強く、ポジショニングも抜群。

 


まさになんでもありのストライカーである。

 

狙撃手のライフルのような左足を持ちながら、右足や頭でも得点できた。

 

ファーストタッチのボールコントロールは抜群で、見事なフェイントと切り返しを織り交ぜたドリブルを得意とした。

 

キレのある動きと抜群の得点感覚。

 

その正確で強力なシュートは相手プレーヤーに恐怖を与えた。

 

シュケルの伝家の宝刀は左足をダイレクトボレー。

 

歴史に名を刻む点取り屋だが、ただ守備は全くしない。

 

シュケルがレアル・マドリードに移籍した時の監督はカペッロだったんだけど、今思うと、自己中で守備をしないシュケルをよく使ったものだなと思う。

 


それだけすごい点取屋なんだなって思います。

タイトルとURLをコピーしました