ドラジャン・イェルコビッチ

サッカー

概略

 

生年月日 1936年8月6日
出生地 シベニク、ユーゴスラビア王国
没年月日 2008年12月9日(没72歳)
死亡地 ザグレブ、クロアチア
身長 186cm
体重 86kg

 

ポジションはフォワード(センターフォワード)。

 

1950年代から1960年代にかけて活躍したユーゴスラビア代表のストライカー。

 

1962 チリ・ワールドカップで4得点を挙げ得点王となった。

 

ディナモ・ザグレブで不動のエースとして活躍した。

 

経歴

 

クラブ
クラブ 出場 (得点)
1954–1965 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ディナモ・ザグレブ 142 (96)
1965–1966 ベルギーの旗 KAAヘント 3 (1)
代表歴
1956 クロアチアの旗 クロアチア 1 (0)
1960-1964 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア 21 (11)

 

クラブ

 

1954年から1965年にかけてディナモ・ザグレブに在籍するとリーグ戦142試合に出場し96得点を記録、1957–58シーズンにはリーグ優勝に貢献し1961-62シーズンにはリーグ得点王となった。

 

1965年にベルギーのKAAヘントへ移籍したが1シーズン限りで現役を引退した。

 

代表

 

ユーゴスラビア代表としては1960年5月11日に行われたイングランド代表との国際親善試合でデビューをした。

 

1962年にチリで開催された1962 FIFAワールドカップで4得点を挙げ、ガリンシャ、ババ、レオネル・サンチェス、アルベルト・フローリアーン、ワレンチン・イワノフと並び得点王となった。

 

1964年9月27日に行われたオーストリア代表戦を最後に代表から退くまで、国際Aマッチ21試合に出場し11得点を記録した。

 

エピソード

 

引退後は指導者となり、ディナモ・ザグレブやNKザグレブといったクラブチームのほか、1990年に発足したクロアチア代表の初代監督を務めた。

 

晩年は糖尿病を患い、2008年12月9日に死去した。

 

プレースタイル

 

典型的なストライカーでペナルティエリアを仕事場とするボックスストライカー。

 

強靭なフィジカルと強烈なヘディングを武器に空中戦で強さを発揮した。

 

両足でも遜色なく強烈なシュートを打て高い決定力を誇った。

 

ゴールの嗅覚が鋭くダイレクトシュートが得意でボックス内で非常に危険だった。

 

またドリブルで持ち込んでシュートを打つこと出きる。

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