トマシュ・ロシツキー

概略

The best of Tomas Rosicky | Goals, assists and more

 

国籍  チェコ
生年月日 1980年10月4日(40歳)
出身地 チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア プラハ
身長 178cm
体重 65kg

 

ポジションはミッドフィールダー(オフェンシブハーフ、左サイドハーフ、センターハーフ)。

 

利き足は右。

 

ピッチの中盤を統制するその能力から、「リトル・モーツァルト」の愛称で親しまれた。

 

地元のスパルタ・プラハでキャリアを始め、3シーズンを過ごした後の2001年に当時のブンデスリーガ記録となる2,500万マルクの移籍金でボルシア・ドルトムントへ移籍した。

 

その後2006年にアーセナルへ移籍し、公式戦に200試合以上出場した。

 

チェコ代表では、2006年から2016年まで10年間キャプテンを務めた。

 

3度のUEFA欧州選手権と2006 FIFAワールドカップのメンバーに選出され、100キャップを記録した。

 

獲得タイトル

 

クラブ

 

ACスパルタ・プラハ
  • ガンブリヌス・リガ:2回 (1998-99, 1999-2000)
ボルシア・ドルトムント
  • ブンデスリーガ:1回 (2001-02)
アーセナルFC
  • FAカップ:2回 (2013-14, 2014-15)
  • FAコミュニティ・シールド:2回 (2014, 2015)

 

個人

 

  • チェコ年間最優秀選手:3回 (2001, 2002, 2006)
  • アーセナル月間最優秀選手:3回 (2012年3月, 2012年4月, 2014年3月)

 

経歴

 

TOMAS ROSICKY BEST GOALS FEINS AND SKILLS
クラブ
クラブ 出場 (得点)
1998-2001 チェコの旗 ACスパルタ・プラハ 41 (8)
2001-2006 ドイツの旗 ボルシア・ドルトムント 149 (20)
2006-2016 イングランドの旗 アーセナルFC 170 (19)
2016-2017 チェコの旗 ACスパルタ・プラハ 12 (1)
代表歴
1995-1996  チェコ U-15 10 (0)
1996  チェコ U-16 12 (5)
1997-1998  チェコ U-17 16 (6)
1998-1999  チェコ U-18 9 (3)
1999  チェコ U-21 2 (0)
2000-2016 チェコの旗 チェコ 105 (23)

 

クラブ

 

かつてスパルタ・プラハに所属していたサッカー選手である父イジーと卓球選手であった母エヴァの間にプラハで生を受けた。

 

ČKDコンプレソリー・プラハでサッカーを始め、兄イジーとともに1987年にスパルタ・プラハに加入した。

 

1999年4月14日に行われたカップ戦の1.FCブルノ戦でトップチームデビューを果たすと、5月16日に行われたFKヤブロネツ97戦でリーグデビューを飾り、その後の2試合もスターティングメンバーとして出場した。

 

翌シーズンからは多くの出場機会を与えられ、9月11日に行われ7-0で勝利したSKディナモ・チェスケー・ブジェヨヴィツェ戦で2得点を挙げ、初得点を記録した。

 

スパルタ・プラハでレギュラーとして活躍し、1998-99シーズンと1999-2000シーズンは2シーズン連続で国内リーグのタイトルを獲得した。

 

1999年にはチェコサッカー協会による表彰で「タレント・オブ・ザ・イヤー」を受賞し、UEFAチャンピオンズリーグ 2000-01のシャフタール・ドネツク戦とアーセナル戦でゴールを記録するなどチャンピオンズリーグでも印象深い活躍を見せ、インテル、ラツィオ(ともにセリエA)、バイエルン・ミュンヘン(ブンデスリーガ)、アーセナル(プレミアリーグ)などのビッグクラブから獲得のオファーが来る中、クラブは2001年1月にボルシア・ドルトムントからのオファーを受け入れた。

 

2001年1月9日にボルシア・ドルトムントと5年間の契約を結び、背番号は10番を与えられた。

 

移籍金の2,500万マルクは当時ブンデスリーガ史上最高額となる移籍金額であり、チェコの選手が国外のクラブに移籍する際に支払われた金額としても史上最高額であった。

 

ドルトムントでは2001年1月14日に行われたDFBハレンポカールでドルトムントデビューを飾り、2001年2月2日に行われた1860ミュンヘン戦に60分から出場し、ブンデスリーガデビューを果たした。

 

2001年8月11日のVfLヴォルフスブルク戦で初得点を挙げ、2001-02シーズンは中心選手としてマイスターシャーレ獲得に貢献し、フェイエノールトに敗れはしたが、チームはUEFAカップの決勝にも進出した。

 

ロシツキーは加入してから始めの2シーズン半の間にリーグ戦75試合に出場し、9ゴールと20アシストを記録した。

 

2003年7月にはクラブと2008年までの契約延長に合意し、シーズン終了後にはチェコの記者投票により選出されるゴールデン・ボール賞を受賞した。

 

2003年のDFLリーガポカールではHSVに2-4で敗れたものの決勝戦に進出したが、ロシツキーは2003-04シーズンを「最悪のシーズン」だったと振り返り、クラブはチャンピオンズリーグ本戦への出場を逃し、自身も2004年2月28日のブレーメン戦で腕を骨折するなど苦しみ、チームは2004-05シーズンのチャンピオンズリーグ出場権も逃す結果に終わった。

 

チームの財政難から移籍話が絶えず、自身も2005-06シーズン終了後にはドルトムントからの移籍を希望し、一時はアトレティコ・マドリードと合意間近と見られていたが、最終的にアーセナルへ移籍が決定した。

 

2006年5月23日にアーセナルと契約を結んだ。

 

移籍金の額は公表されていないが、1000万ユーロだと言われている。

 

アーセナルではセスク・ファブレガスやロビン・ファン・ペルシ、アレクサンドル・フレブらと共闘した。

 

8月8日に行われたチャンピオンズリーグ予備予選3回戦のディナモ・ザグレブ戦でデビューを飾り、9月13日に行われたハンブルガーSV戦でロングレンジからシュートを決め、初得点を記録した。

 

リーグ戦初得点は、2007年2月11日に行われたウィガン・アスレティック戦で決めたものである。

 

2008年1月26日に行われたFAカップのニューカッスル・ユナイテッド戦でハムストリングを負傷。

 

当初は数週間で復帰する見込であると伝えられていたが、最終的に残りのシーズンを欠場することとなった。

 

オフに手術を受け、9月に復帰する予定であるとされていたが怪我は完治せず、11月に2度目の手術を受けた。

 

長いリハビリを経て2009年5月14日に全体練習に復帰したが、アーセン・ヴェンゲル監督の判断により、2008-09シーズンは一試合も出場することなくシーズンを終えた。

 

2009年7月18日に行われたバーネットとのプレシーズンマッチにキャプテンマークを巻いて前半の45分間に出場し、18ヶ月ぶりにピッチに立った。

 

復帰戦となった9月12日に行われたマンチェスター・シティ戦には52分から出場し、2-4で敗れたものの、1ゴール、1アシストの活躍を見せた。

 

2015-16シーズンの最終日に2016年7月の契約満了に伴い、10年間在籍したアーセナルを退団することが発表され、2015年5月15日にアーセナルがアストン・ヴィラに4-0で勝利した試合後にはロシツキーの7番のユニフォームを着た多くの選手たちに拍手で迎えられピッチに入場した。

 

2016年8月30日にプロデビューを飾ったスパルタ・プラハに加入することが発表され、背番号は10番に決まった。

 

2016年9月10日に行われ、2-2で引き分けたムラダー・ボレスラフ戦に72分から交代で出場し、国内リーグにおける再デビューを果たした。

 

このシーズンは怪我の影響で一試合の出場のみにとどまった。

 

翌シーズンには加入後初得点を記録したが、 2017年12月20日、現役引退を発表した。

 

理由について、「引退が近づいていることは知っていた。試合への準備がどんどん難しいものになっていった。私の心はプレーしたがったが、体がそれを拒否した。最近は私の心も体と同じように拒否したんだ。」と語っている。

 

2018年6月9日に行われた引退記念マッチでは古巣アーセナルやドルトムントの選手を含め、ロシツキーに縁のある選手が集まり、父・兄弟・息子もピッチに登場。

 

締めとなる最後のゴールは息子が決めた。

 

代表

 

各年代の代表を経た後、2000年2月23日に行われた親善試合のアイルランド代表戦でA代表デビュー。

 

同年に開催されたUEFA EURO 2000のメンバーに選出され、出場停止処分を受けていたパトリック・ベルゲルに代わりグループリーグの2試合に出場したが、チームは2連敗を喫した。

 

3戦目のデンマーク代表戦はベルゲルがメンバーに復帰したため、出場機会は与えられなかった。

 

2002 FIFAワールドカップ予選では6-0で勝利したブルガリア代表戦で2ゴールを記録した。

 

チームはデンマーク代表に次いで予選を2位で終え、ベルギー代表とのプレイオフに進んだ。

 

ロシツキーは出場停止処分を受けていたため、1戦目は出場することは叶わず、チームは0-1で敗れた。

 

2戦目には出場することができたが、1戦目と同様0-1で敗れ、本大会に出場することはできなかった。

 

UEFA EURO 2004では10番を背負い準決勝まで進んだ代表チームにおいて5試合中4試合に出場した。

 

2006 FIFAワールドカップ予選では12試合に出場し、6ゴールを挙げた。

 

チームはノルウェー代表とのプレイオフに進み、2戦目ではその試合唯一のゴールを記録し、2試合合計2-0で本大会への出場権を獲得した。

 

2006 FIFAワールドカップでは2006年6月12日に行われた緒戦のアメリカ代表戦で27メートルの距離から決めたミドルシュートを含む2ゴールを記録し、3-0の勝利に貢献したロシツキーはその試合のマン・オブ・ザ・マッチに選出された。

 

2戦目のガーナ代表戦と3戦目のイタリア代表戦の2試合にもフル出場したが、両試合ともに0-2で敗れ、グループリーグで敗退が決定した。

 

2006年8月、パベル・ネドベドの代表引退に伴い、史上最年少でチェコ代表のキャプテンに指名された。

 

2007年3月に行われ、1-2で敗れたUEFA EURO 2008予選のドイツ代表戦後にはホテルに売春婦を招いてパーティーを行ったとして、チェコサッカー協会からロシツキーを含めた参加者たちに合わせて100万チェコ・コルナの罰金を科され、後に謝罪会見を行った。

 

予選では2007年11月に行われたスロバキア代表戦が最後の出場であり、UEFA EURO 2008の本大会はシーズン中に負った膝の怪我が完治せず、招集は見送られた。

 

2009年9月9日に行われ、7-0で勝利した2010 FIFAワールドカップ予選のサンマリノ代表戦にスターティングメンバーとして56分間出場し、復帰まで20ヶ月を要した怪我から回復して初めて公式戦のピッチに立った。

 

キャプテンとして臨んだUEFA EURO 2012では、2-1で勝利した2戦目のギリシャ代表戦でアキレス腱を負傷し2試合の出場に終わり、チームは準々決勝でポルトガル代表に敗れた。

 

2015年6月12日に行われ、1-2で敗れたUEFA EURO 2016予選のアイスランド代表戦で100キャップを記録した。

 

2016年6月1日にロシツキーはUEFA EURO 2016に出場するチェコ代表のメンバーに選出された。

 

35歳でグループリーグ初戦のスペイン代表戦に出場したロシツキーはチェコ代表史上最年長でUEFA欧州選手権に出場した選手となったが、UEFA EURO 2000に19歳で出場した際には最年少の選手であり、最年長と最年少で出場した両方の記録を持つことになった。

 

エピソード

Tomáš Rosický • Ultimate Skills 2011-15

 

ロシツキーのキャリアは怪我との闘いだった。

 

怪我による戦列離脱でピッチで過ごせる時間はあまり多くなかった。

 

18ヶ月間怪我でピッチから離れていた時にギターの腕を磨き、チェコのロックバンドである「トゥリ・セストリィ」のコンサートで演奏を披露した。

 

ロシツキーには、現役時代で一つだけ後悔していることがあるそうだ。

 

その内容とは…

 

トマーシュ・ロシツキー

「代表としてなんとか100試合に出場できたことは嬉しかった。

しかし唯一後悔があるのは、私たちはEURO2004で優勝すべきだったということだ」

 

 

チェコ代表の黄金期である、ペトル・チェフやパベル・ネドベド、ヤン・コレルらを擁した2004年のチームで欧州選手権を制覇できなかったことを今でも悔やんでいるようだ。

 

この大会でチェコはオランダやドイツに競り勝ち決勝トーナメントに進出するも、準決勝でギリシャに敗れベスト4敗退となっている。

 

プレースタイル

Tomas Rosicky Skills ★

 

長短のパスを自在に操り、パスセンスに長けた司令塔型のMF。

 

運動量も豊富で前線に飛び出しては得点を決める決定力も持ち合わせている。

 

優雅なボールさばきとチームの攻撃を操る能力から「リトル・モーツァルト」と称される一方で、果敢なチェイシングでファンの心を掴んだ。

 

全盛期は素晴らしいボールテクニックとパスセンスはもちろん、運動量に加えてスピードもあり、激しいプレスや異様に上手いスライディング、スピードを活かした1対1での守備の強さまで備えていました。

 

ゴールに直結するプレーはそこまで多くなかったりしますが、厳しい位置でボールを引き出し、そこから上手く前を向いて相手組織を崩していくプレースタイルは観ていて最高に楽しい選手でした。

 

パス出しはとにかく判断が早い上、ダイレクトプレーでも精度が高く、アウトサイドを多用したり、1テンポずらしてみたりとボールを離すタイミングを読まれ辛い為、チームに大きな変化をもたらす事が出来ました。

 

テクニシャンにありがちな、走らずに足元ばかりで受けたがるタイプではなく、動きながらボールを引き出し、そこからのファーストコントロールも素晴らしく、 当時はこういった選手が少なかったこともあり非常に魅力的でした。

 

さらに、ドリブル中にほとんどボールを見ずに顔を上げていて、味方の動き出しを見逃す事が少ない為、見ていてほとんどストレスを感じない選手でした。

 

味方との連動、特に攻守共にサイドバックとの連携は素晴らしく、ロシツキーがいるチームのサイドバックは軒並み評価を上げる印象があります。

 

また、サッカーIQが高く、途中出場する際にはその試合の問題点を解決するようなプレーを積極的に行う選手でした。

 

仕掛ける選手がいなければ積極的に仕掛け、パスが回っていない試合では積極的にボールホルダーをサポートして潤滑油になり、逆にだらだらパスが回っているだけの試合では縦パスを連発してみたり、自らが積極的にスペースに走ったりとアーセナルが劣勢の試合ではロシツキーが出てくると試合が変わるイメージが強かったです。

 

こういうのは技術はもちろん選手としての引き出しの豊富さがあって出来る業です。

 

短所としては「怪我が多過ぎる」この一言に尽きる選手でした。

 

ドルトムント時代中期から完全に怪我が慢性化し、数試合おきに細かな離脱を繰り返し、素晴らしいプレーを見せていたアーセナル時代の07-08シーズンに2年近い超長期離脱を経験。

 

復帰後も持ち前のテクニックや戦術眼を武器に長く第一線でプレーしましたが、スピードや運動量、キックの質の低下は否めず、この怪我がキャリアに大きな影を落とす事になりました。

 

評価

 

EURO2000を前にBBCはロシツキーについて、「本物のプレイメイカー」であると紹介した。

 

アーセナルの監督であるアーセン・ベンゲルは2006年にロシツキーを獲得した際に、「ボールコントロールと鋭いパスを送る点について素晴らしい技術を持っている」と話した。

 

2010年に契約を延長した際にベンゲルはロシツキーについて「特別な才能」があり、「視野の広さとボールを扱う技術について卓越したものがある」と話し、2012年の契約延長の際には「技術的にはトップクラスの選手」だと話した。

 

ロシツキーはパスやシュートの際にアウトサイドキックを好んで用いることで知られており、ドイツでプレイしていた際には試合を統制するその能力から「リトル・モーツァルト」の愛称で親しまれた。

 

デイヴィッド・ハイトナーは『ガーディアン』の記事の中でロシツキーについて、「チームにバランスをもたらし、組織化させるオールラウンドなミッドフィールダーだ」と述べた。

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