概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1904年2月6日 | ||
出身地 | プラハ | ||
没年月日 | 1996年7月20日(92歳没) |
身長・体重 | 172cm、70kg |
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Frantisek Planicka
ポジションはゴールキーパー。
利き足は右。
「プラハの猫」の愛称で呼ばれた。
チェコスロバキア代表が1934年のFIFAワールドカップ・イタリア大会で準優勝した時の正ゴールキーパーにしてキャプテン。
1999年にIFFHSが選ぶ20世紀で最優秀チェコ人GKに選出された。
獲得タイトル
クラブ
- チェコスロバキアリーグ優勝8回(1925、1928-29、1929-30、1930-31、1932-33、1933-34、1934-35、1936-37)
- ボヘミアカップ優勝6回(1926年、1927年、1928年、1930年、1932年、1935年)。
- ミトローパ・カップ優勝(1932年)
代表
- ワールドカップ・イタリア大会準優勝(1934年)
個人
- ユネスコ国際フェアプレー・アワード(1985年)
- チェコ・フェアプレー・アワード(1994年)
- IFFHS選定20世紀最優秀チェコ人GK(1999年)
経歴
クラブ | |||
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年 | クラブ | 出場 (得点) | |
1923-1939 | ![]() |
969 (0) | |
代表歴 | |||
1926-1938 | ![]() |
73 (0) |
クラブ
オーストリア・ハンガリー帝国(当時)のプラハ出身で、1926年にSKスラヴィア・プラハで選手キャリアをスタートすると一貫してスラヴィア・プラハでプレーを続けた。
1925年にチェコスロバキアで初のプロリーグが創設されると優勝に貢献。
リーグ戦では1929年から1931年の三連覇を含む8度の優勝(1925、1928-29、1929-30、1930-31、1932-33、1933-34、1934-35、1936-37)6度のボヘミアカップ優勝(1926年、1927年、1928年、1930年、1932年、1935年)。
国際試合においても1932年のミトローパ・カップで初優勝に貢献するなど、クラブの歴史上において最も成功した時代の一つをもたらした。
代表
チェコスロバキア代表としては、1926年1月17日のイタリア戦で代表デビュー(試合は1-3で敗退)。
1934年のFIFAワールドカップ・イタリア大会準優勝、1938年のFIFAワールドカップ・フランス大会ベスト8進出に貢献するなど国際Aマッチ73試合に出場した。
この記録は1966年にラディスラフ・ノヴァクによって塗り替えられるまで、チェコスロバキア歴代最多出場記録であった。
エピソード
1938年のFIFAワールドカップ・フランス大会準々決勝、対ブラジル戦では、相手の悪質なプレーにより骨折をしたにも関わらずプレーを続けた。
引退後にフェアープレー精神が称えられ、1985年にはユネスコ、1996年にはチェコのフェアープレー・アワードを受賞した。
プレースタイル
172cmとゴールキーパーとしては小柄な体躯ながらボールへの鋭い反応と、勇敢なプレーで精神的な支柱となり、鉄壁の守備を築いた。
歴史に名を残す名ゴールキーパー。