スヴァトプルク・プルスカル

概略

Svatopluk Pluskal vs Brasile Finale Mondiali 1962
国籍  チェコ
生年月日 1930年10月28日
出身地 ズリーン
没年月日 2005年5月29日(74歳没)
身長・体重 182cm、79cm

 

Svatopluk Pluskal

 

ポジションはミッドフィールダー(ディフェンシブハーフ、センターハーフ)、ディフェンダー(センターバック、右サイドバック、左サイドバック)。

 

利き足は右。

 

1950年代から1960年代にかけて活躍したチェコスロバキア代表のミッドフィールダー。

 

1962年のチリ大会ではヨゼフ・マソプストと共に中盤を構成すると共に4-2-4システムを採用した同国の中心選手として活躍し、準優勝に貢献した。

 

経歴

 

クラブ
クラブ 出場 (得点)
1943-1948 チェコスロバキアの旗 SKレトナ・ズリーン
1948-1951 チェコスロバキアの旗 FCチェコマ・ズリーン
1951-1966 チェコスロバキアの旗 FKデュクラ・プラハ
1966-1968 チェコスロバキアの旗 LIAZヤブロネツ
代表歴
1952-1965 チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア 56 (1)

 

クラブ

 

プルスカルは故郷のSKレトナ・ズリーンで選手経歴を開始した。

 

FCチェコマ・ズリーンを経て1951年に新たに創設された軍隊のサッカークラブ、ATKプラハ(FKデュクラ・プラハの前身)に移籍すると、プルスカルはそれまでの攻撃的なポジションから守備的MFにコンバートされた。

 

デュクラ・プラハでは中心選手として16年間で8度のリーグ優勝(1953年、1956年、1958年、1961年、1962年、1963年、1964年、1966年)に貢献した。

 

また1960年代にアメリカ合衆国で開催されたアメリカン・カップ(世界のサッカー先進国のクラブチームが参加した大会)では三連覇に貢献。

 

1962年大会の決勝、ブラジルのアメリカFC戦では決勝点を決めた。

 

プルスカルは膝の怪我により1968年に現役を引退した。

 

チェコスロバキアリーグ通算282試合に出場し37得点を記録した。

 

代表

 

チェコスロバキア代表としては、1952年に代表デビューを飾ると、1954年のFIFAワールドカップ・スイス大会、1958年のFIFAワールドカップ・スウェーデン大会、1962年のFIFAワールドカップ・チリ大会に3大会連続で出場した。

 

特に1962年のチリ大会ではヨゼフ・マソプストと共に中盤を構成すると共に4-2-4システムを採用した同国の中心選手として活躍し、準優勝に貢献した。

 

チリ大会での活躍により世界的な知名度を獲得したプルスカルは1963年に世界選抜に選出され、1963年10月23日にイングランド・ウェンブリー・スタジアムで行われたFA創設100周年記念試合に出場した。

 

また、翌年にはヨーロッパ選抜にも選出され、ユーゴスラビアのベオグラードで行われた試合に出場した。

 

その後、1965年のFIFAワールドカップ・イングランド大会予選で敗退すると、この年を最後に代表から退いた。

 

プルスカルは国際Aマッチ56試合に出場し1得点を記録した。

 

エピソード

 

引退後は指導者の道へ進み、ボヘミアンズ・プラハを始めとした国内のクラブや、キプロスのエノシス・ネオン・パラリムミの監督を務めた。

 

2005年5月29日、脳梗塞により死去。

 

74歳没。

 

プレースタイル

 

様々なポジションをこなすユーティリティープレイヤーであると共に、スライディングタックルの名手であった。

 

脅威のスタミナを武器にピッチを駆け回り、攻守に貢献した。

 

本来は攻撃的MFであったことからもわかるようにパス精度にも定評がある。

 

センターバックも務められるくらい高い守備力も大きな武器で、当たり負けしないフィジカルとジャンプ力を武器に空中戦も得意。

 

鋭い読みを活かした守備もできる万能選手。

タイトルとURLをコピーしました