概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1973年3月30日(47歳) | ||
出身地 | スメタノヴァ・ルホタ | ||
身長 | 202cm | ||
体重 | 106kg |
Jan Koller
ポジションはフォワード(センターフォワード)。
利き足は右。
「チェコの巨人」、「恐竜(ディノ)」の愛称で親しまれた。
2000年代のチェコを代表する巨漢ストライカー。
ベルギーのロケレンやドイツのドルトムントで活躍。
チェコ代表の歴代最高得点者であり、1999年からの10年間のキャリアで91回の出場で55ゴールを記録しました。
彼は3回のUEFA欧州選手権と2006年のFIFAワールドカップで国を代表し、EURO2004のベスト4進出に貢献した。
獲得タイトル
スパルタプラハ
- チェコファーストリーグ:1994–95
- チェコカップ:1995–96
アンデルレヒト
- ベルギー1部リーグ:1999-2000、2000-01
- ベルギースーパーカップ:2000、2001
ボルシア・ドルトムント
- ブンデスリーガ:2001–02
個人
- ベルギープロリーグの最高得点者:1998–99
- チェコ年間最優秀サッカー選手:1999年
- ベルギーゴールデンシュー:2000
経歴
クラブ
1991年にZVVZミレフスコでプロ生活をスタート。
1994年にチェコの強豪クラブスパルタ・プラハへ移籍し、リーグとカップ制覇を果たす。
ただ、スパルタ・プラハではその巨体に見合わず存在感は希薄だった。
失意の内にベルギーのロケレンに移籍するが、異国の地でコレルは自身の確固たるスタイルを確立する。
味方選手が苦し紛れに出したようなパスをきっちりとキープし、周りの上がりをじっくりと待つ。
そして正確でソフトなパスを供給し、自分の得点だけで無く味方の得点をアシストする事にも長ける最高のポストプレーヤーへと成長を遂げた。
身長202cmの長身を生かし、得点源として活躍し始めたのは1996年にベルギー・ジュピラーリーグのロケレンへ移籍してからで、1998-99シーズンには27得点を挙げて得点王に輝き、1999年にはアンデルレヒトへ移籍すると同時に同年のチェコ最優秀選手にも選ばれた。
2001年にはボルシア・ドルトムントに加入。
ここでも得点を量産し、2001-02シーズンのリーグ制覇に貢献した。
移籍初年度よりすっかりチームに馴染み、マルシオ・アモローゾとの抜群のコンビネーションで得点を量産。
2001/02シーズンにリーグ優勝を果たしたドルトムントだったが、コレル無しでは考えられない栄光だったことは誰の目にも明らかだった。
2005-06シーズンは左膝の十字靱帯断裂で長期間の戦線離脱を余儀なくされるが、シーズン終了間際に復帰。
驚くべきことに、コラーは2006年にフランスのASモナコと契約したが、そこそこの得点力があったにもかかわらず、2シーズンに渡って不本意な成績に終わったため、2008年ドイツに戻ってニュルンベルクでプレーすることになった。
2008年1月ドイツ・ブンデスリーガのニュルンベルクに移籍した。
2008年6月23日、コラーは100万ユーロでロシアのクリリア・ソヴェトフ・サマラに移籍した。
2009年12月5日、コラーはフランスに戻り、2011年6月までの契約でチャンピオンナショナルチームのASカンヌに加入した。
2011年8月17日に現役引退を表明した。
代表
コレルは、1999年2月9日にブリュッセルのボードゥアン王スタジアムで行われたベルギーとの親善試合でチェコ代表としてデビューし、73分にこの試合唯一のゴールを決めた。
UEFAユーロ2000の予選では、リトアニアでの4-0の勝利で2ゴールを挙げるなど、6試合で6ゴールを挙げ、チェコはグループ首位に立ちました。
EURO2000本戦ではフランス、チェコ、デンマーク、オランダと、ユーロで優勝したことのある国ばかりという超激戦グループになってしまいました。
そのチェコの前線で張ってたのがコレル。
ベルギーとオランダで行われた試合では、チームがグループステージで敗退する中、各試合に先発出場した。
2002年FIFAワールドカップ予選では、コレルは8試合中2回しか得点できなかったが、これはテプリツェでのアイスランド戦で4-0で勝利したときのものである。
メジャー大会での彼の最高のパフォーマンスは、準決勝に進出したEuro2004で、彼は2ゴールを挙げ、同じくストライカーのミラン・バロシュと抜群のコンビを形成しベスト4に貢献した。
2005年6月8日に行われたマケドニア戦では、わずか11分間で4ゴールを決めて6-1で勝利し、チェコの歴代最多得点記録を更新した。
2006年のワールドカップでは、コレルは初戦のアメリカ戦で3-0の勝利の起点となるゴールを決めたが、その後、太ももに軽傷を負った。
ニュルンベルクに移籍して3ヶ月目、コレルはユーロ2008を最後にチェコ代表から引退することを発表した。
コレルは、ユーロ2008グループAの決戦となったトルコ戦で決定的なヘディングゴールを決めるなど活躍したが、彼のゴールは十分ではなく、チェコは最後の15分で3ゴールを許し、3-2で敗れ、ノックアウトステージに進むことができなかったため、コラーは代表チームからの引退を発表した。
2009年7月、2010年ワールドカップ予選での成績不振を理由に、再び代表チームに参加することを発表した。
スロバキア戦には出場したが、2009年9月6日、再び国際サッカーからの引退を発表した。
チェコ代表におけるゴール数は55で歴代1位、キャップ数は91で歴代3位となっている。
エピソード
現役引退後は、ASモナコのCチームの監督を務めていた友人に誘われ、2012年からディヴィジョン・ドヌール・レジオナル(フランスの地域リーグ。7部に相当)に所属するモナコのCチームでプレーイングマネージャーとなった。
2016年に退団した後も引き続きモナコに在住し、現在は古巣スパルタ・プラハのフランス担当スカウトに就いている。
プレースタイル
2メートルを超す長身を活かし、空中戦で無類の強さを発揮。
足元の技術にも定評がある巨漢FW。
キャリアをスタートしたての頃は高さだけの単純な選手だったが、年を追う事に技術も格段に進歩。
正に努力によって成り立っている典型的な選手である。
202cmの巨体を活かしてのポストプレーは、迫力がありました。
その体から、ディノ(恐竜)という愛称がついているそうです。
圧倒的な体格を武器に空中戦を制してゴールを量産した凄い選手でした。
競り合いでもビクともしない強靭な身体が凄かった。