ジョニー・ベンチ

概略

Johnny Bench Highlights
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 オクラホマ州オクラホマシティ
生年月日 1947年12月7日(73歳)
身長
体重
185.4 cm
94.3 kg

ポジションは捕手(キャッチャー)。

 

右投げ右打ち。

 

ニックネームは「Little General(リトル・ジェネラル)」。

 

1970年代にビッグレッドマシンと言われたシンシナティ・レッズの黄金時代を支えた。

 

MLB史上最高の捕手とも称され、史上唯一、捕手で本塁打王タイトルを獲得している。

 

史上有数の強豪チーム・ビッグレッド・マシーンの攻守の中心であったベンチは、捕手をこなしながらも、本塁打王・打点王など数々のタイトル獲得や、ワールドシリーズ制覇に大きく貢献した。

 

タイトル

  • 本塁打王:2回(1970年、1972年)
  • 打点王:3回(1970年、1972年、1974年)

 

表彰

 

  • シーズンMVP:2回(1970年、1972年)
  • 新人王:1968年
  • ゴールドグラブ賞:10回(1968年 – 1977年)
  • ハッチ賞:1回(1980年)
  • MLBオールスターゲーム選出:14回(1968年 – 1980年、1983年)
  • アメリカ野球殿堂:1989年

 

経歴

[MLB]最強捕手ジョニー・ベンチ全ストーリー
クラブ
  • シンシナティ・レッズ (1967 – 1983)

1965年の第1回ドラフト会議でレッズに指名され、入団。

 

約2年のマイナーでのプレイを経て、1967年8月28日にメジャーデビューを果たした。

 

その年はシーズン終盤26試合に出場し、打率.163に終わったが、1968年のスプリングキャンプの際に出会ったテッド・ウィリアムズがベンチのバッティングとフィールディングに非凡さを感じ、自らのサインを渡す際に「将来の野球殿堂入りが確実なジョニー・ベンチ君へ」と書き添えた逸話がある。

 

その1968年には初めてフルシーズンをメジャーで過ごし、154試合に出場して打率.275、15本塁打、82打点の活躍でナ・リーグ新人王に選ばれた。

 

1970年にはいずれも自己最多の45本塁打、148打点を記録し、本塁打王・打点王の二冠に輝き、最優秀選手(MVP)を受賞。

 

1972年にも40本塁打・125打点で再び二冠に輝き、MVPを受賞した。

 

1974年は129打点で3度目の打点王を獲得。

 

1972年のワールドシリーズ第3戦の8回表、ランナーを二人置いてベンチに打席が回った。

 

フルカウントになったところで、監督のディック・ウィリアムズとバッテリーが集まって話し合った。

 

プレーが再開されると捕手のジーン・テナスが立ち上がって一塁を指差した。

 

ベンチは敬遠されると思ってボールを待った。

 

投手のローリー・フィンガーズが振りかぶると、テナスは突然座ってボールを待ち構えた。

 

ベンチは騙され、見逃し三振に打ち取られてしまった。

 

レッズは名将スパーキー・アンダーソン監督の下、1975年・1976年に二年連続でワールドシリーズを制し、ベンチはピート・ローズ、ジョー・モーガンらとともにBig Red Machineと言われた1970年代最強チームの一つを牽引した。

 

守備力にも優れ、ゴールドグラブ賞は1968年から10年連続で受賞。

 

オールスターには通算14回出場した。

 

他にも、1975年にはルー・ゲーリッグ賞、1976年にはワールドシリーズMVPとベーブ・ルース賞、1981年にはハッチ賞を受賞。

 

1978年秋にはレッズ単独チームの一員として日米野球で来日。

 

1981年以後は一塁手、そして三塁手にコンバートし、現役最後の3シーズンで捕手を務めたのは13試合のみであった。

 

1983年のシーズン途中に同年限りでの現役引退を発表。

 

打撃三冠王経験者のカール・ヤストレムスキー(ボストン・レッドソックス)もシーズン後の引退を表明したため、当時のMLBコミッショナーだったボウイ・キューンは二人の功績を称え、同年のオールスターゲーム出場枠を特別に1名ずつ増やして二人を出場させた。

 

9月17日の本拠地リバーフロント・スタジアムの試合は「Johnny Bench Night」と銘打たれ、現役最後となる通算389号本塁打を放つ。

多くの選手がフリーエージェント等で高給を求めて移籍する中、17シーズンをレッズ一筋に過ごし、通算389本塁打、1376打点を記録。

 

打撃タイトルは延べ5回だが、捕手獲得タイトル数としては歴代1位で捕手という負担の大きなポジションにあってその打力は特筆すべきものであった。

 

通算389本塁打中、捕手としての本塁打は327本で当時のMLB記録たったが、後にカールトン・フィスク、更にマイク・ピアッツァに更新された。

 

引退の翌1984年にベンチの背番号『5』はレッズの永久欠番に指定された。

 

また、存命選手としてチーム初の永久欠番だった。

 

エピソード

 

Cincinnati Reds' Johnny Bench Highlights!

 

オクラホマ州ビンジャー、人口500人位の小さな村に3人兄弟の末っ子として誕生。

 

ベンチは暇ができると、よくここに帰る。

 

面倒をみてくれた隣人たちに会いに行くのだ。自伝「本塁の後方から」によると、

 

「地の塩のような人々のなかで暮らした。なにかするのに、自分を殺さないし、持てるものは少なくても感謝の気持は大きい。せっかちに子供をそだてないし、プレッシャーもかけない…」

 

父親は、アメリカ先住民であるチョクトー族の血をひいている。

 

マイナー時代、1968年のスプリングキャンプの際に、かの天才打者テッド・ウィリアムスに早くも才能を見いだされたのだ。

 

ベンチがサインをねだると、バッティングとフィールディングに非凡さを感じたのか、自らのサインを渡す際に、

 

「将来の野球殿堂入りが確実なジョニー・ベンチ君へ」

 

と、書き添えたエピソードもある。

 

ベンチは現役最晩年の1982年から1985年にかけて、NBCテレビで放送された”The Baseball Bunch”という子ども向け教育番組で、当時人気のあったマスコットフェイマス・チキンと共に番組の進行役を務めている。

 

また引退後には、ゴルフのチャンピオンズ・トーナメントに何度か出場したこともある。

 

現在はテレビ・ラジオの解説者を務めている。

 

1989年には資格初年度で96.42%という高い得票率で野球殿堂入りを果たし、21年前のウィリアムズの予言は現実のものとなった。

 

1999年には捕手としては最高得票でMLBオールセンチュリーチームに選出された。

 

息子は高校で主にアメフトで活躍したが、父の後を追ってメジャーのトライアウトに2度挑戦したことがある。

 

プレースタイル

 

Johnny Bench 1976 World Series MVP highlights

 

史上有数の強豪チーム・ビッグレッド・マシーンの攻守の中心であったベンチ(Johnny Bench)は、MLB史上最高の捕手との呼び声も高い。

 

捕手をこなしながらも、本塁打王・打点王など数々のタイトル獲得や、ワールドシリーズ制覇に大きく貢献した。

 

闘志の男であったベンチは、大試合にも無類に強かった。

 

ワールド・シリーズの打率ランキングでも、第4位にくいこんでいる。

 

トップは、ベーブ・ルースだ。

 

むろん傑出していたのは打撃だけでなく、守備はそれをうわまわり、史上最強の肩を持つとさえいわれた。

 

68年から10年連続で、ゴールドグラブを受賞。

 

オールスターには、通算14回出場した。が、ことバッティングに関してはいい年、悪い年がはっきりと出る。

 

「ビンテージ・プレーヤー」といわれるゆえんだ。

 

いわゆる周期的にいい年がくる選手なのだ。

 

ベンチの評価を一気に高めたのは、『片手捕り』である。

 

もともと鉄砲肩でありながら、二塁送球をより早くするために当時としては画期的といえる
新技術を開発した。

 

また、これまでの分厚いアンパン型のミットではなく、当時流行したファーストミット・タイプの薄くて軽いミットを使い、片手捕りから二塁に素早く送球した。

 

またパスボールも、非常に少なかった。

 

1968年には18個でリーグ最多だったが、動きを磨き、1975年には121試合に出場してパスボール0を記録した。

 

当時、キャッチャーは右手をミットに添える、両手取りが当たり前だったが、ベンチは右手を背中に回し、左手のみで投手からの投球を受ける、『片手取り』を確立した。

 

「ジョニー・ベンチ、その捕手術とパワー打点」によると、

 

「この方が機動的に動ける。グラブから球をだすにも、拾うにも都合がいい。裸の手を負傷することも少ない。ツー・ハンデッド・キャッチャーだと、裸の手はグラブ近くにそえなければならない。このため、親指を突き指したり、骨折したりする…」

 

このワンハンドキャッチを実現するために必要だったのが、グローブのようにしっかりとミットを閉じることができること、そして操作性を良くするために軽くなっていることだった。

 

牽制や盗塁阻止などの際、ミットの中のボールをつかむまでに時間がかかる….などと、この捕球法を否定する選手もいたが、その機敏な動きと、強いリスト・強肩が生む正確な送球はそういった否定組を逆に唸らせた。

 

また、座ったまま牽制球を投げる技や、球界初のキャッチャー専用のヘルメットの使用など、ベンチは、現在のキャッチャー像の始祖ともいえる偉大な選手である。

 

ピート・ローズ(通算安打数4256本)、トム・シーバー(通算勝利数311勝、通算奪三振
3640)らと形成した「ビッグ・レッド・マシン」の全盛期においても、他のビッグネーム
を従えて、打線では不動の4番打者として、守りでも要の捕手として、まさしく中核として
働いた。

 

晩年は、守備の負担を軽くするために一塁や三塁を守ったが、しっくりこず成績は下降線を
たどった。

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