概略
国籍 | ![]() |
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出身地 | ニュージャージー州バインランド |
生年月日 | 1991年8月7日(29歳) |
身長 体重 |
188 cm 106.6 kg |
ポジションは中堅手(センター)。
右投げ右打ち。
愛称はキーッド(Kiiiiid)。
オールスター出場8回、MVP3回、シルバースラッガー賞7回を獲得。
200本塁打200盗塁を達成。
MLB現役最高の選手である。
現在のメジャーリーグを代表するスーパースターであり、日本では大谷翔平の同僚としてもおなじみ。
セイバーメトリクスのWARで毎年高い値を残しており5シーズンでリーグ1位を取っている。
2019年には当時北米スポーツ史上最高額となる12年総額4億2650万ドルで契約延長した。
2020年現在はNFLのパトリック・マホームズに次ぐ北米スポーツ2位 。
獲得タイトル
- 打点王:1回(2014年)
- 盗塁王:1回(2012年)
表彰
- MiLB
- ベースボール・アメリカ・マイナーリーグ年間最優秀選手賞:1回(2011年)
- MLB
- シーズンMVP 3回:(2014年、2016年、2019年)
- 新人王:(2012年)
- シルバースラッガー賞(外野手部門):8回(2012年-2016年、2018年 – 2020年)
- プレイヤーズ・チョイス・アワーズ優秀新人:(2012年)
- 月間新人MVP:4回(2012年5月 – 8月)
- フィールディング・バイブル・アワード(中堅手部門):1回(2012年)
- ハート&ハッスル賞:1回(2012年)
- MLBオールスターゲーム最優秀選手:2回(2014年 – 2015年)
- ハンク・アーロン賞:2回(2014年、2019年)
- 月間MVP:4回(2014年6月、2015年7月、2017年4月、2018年9月)
- 週間MVP:5回(2012年6月4-10日、2014年7月7-13日、2015年7月6-12日、2019年3月30日-4月6日、6月14-22日)
記録
- MiLB
- オールスター・フューチャーズゲーム選出:2回(2010年 – 2011年)
- MLB
- MLBオールスターゲーム選出:8回(2012年 – 2019年)
- シーズン30本塁打&30盗塁:1回(2012年) ※MLB最年少記録、新人の達成も初
- 15試合連続得点(2012年7月5日-23日)※ア・リーグ新人記録
- 200本塁打&200盗塁(2019年8月31日)※28歳24日での達成はMLB最年少記録
- トリプルスリー:1回(2012年)
- サイクルヒット:1回(2013年5月21日) ※ア・リーグ最年少記録
経歴
クラブ | |
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2009年のMLBドラフト1巡目(全体25位)でロサンゼルス・エンゼルスから指名を受け入団。
2010年はA級シーダーラピッズ・カーネルズとA+級ランチョクカモンガ・クエークスで合計131試合に出場し、打率.341、10本塁打、56盗塁を記録。
フューチャーズ・ゲームのアメリカ代表に選出される。
2011年のシーズン開幕前、ESPN選定の有望株ランキングTOP100と、MLB公式サイト選定の有望株ランキングTOP50の両方で1位に選ばれた。
開幕時はAA級アーカンソー・トラベラーズで迎えた。
その後、7月8日のシアトル・マリナーズ戦で19歳11カ月という若さでメジャーデビュー。
10代でのデビューは2007年のジャスティン・アップトン(アリゾナ・ダイヤモンドバックス)以来となった。
AA級アーカンソーでは91試合で打率.326・11本塁打だったが、メジャーでは40試合で打率.220・5本塁打と結果を残せなかった。
初安打は7月9日のシアトル・マリナーズのマイケル・ピネダから内野安打、初本塁打は7月24日のボルチモア・オリオールズ戦でマーク・ウォーレルから記録した。
オフにベースボール・アメリカが選定するマイナーリーグ年間最優秀選手賞を受賞。
メジャーリーグでの打数は130をわずかに下回り、翌年の新人王資格を残した。
2012年はAAA級ソルトレイク・ビーズで開幕を迎えるが、ボビー・アブレイユの自由契約に伴い、4月28日にメジャー昇格。
最初の2試合はヒットなしに終わるが、5月に打率.324・5本塁打・16打点・8盗塁、6月に打率.372・3本塁打・16打点・14盗塁を記録し、2ヶ月連続で月間新人MVPを受賞。
7月には打率.392・10本塁打・23打点・9盗塁とさらに上の成績を残し、リーグ史上初となる月間MVPと月間新人MVPの同時受賞。
7月10日のオールスターゲームにはアメリカン・リーグ最年少で出場。
初打席となる代打でヒットを放ち、この試合両チームで唯一となる盗塁も記録した。
8月にも月間新人MVPに選出されるが、月間打率は3割を下回った。
9月30日のテキサス・レンジャーズ戦でダルビッシュ有から30号本塁打を放ち、史上最年少、新人初の「30本塁打・30盗塁」を達成。
10月1日のマリナーズ戦で4得点を記録し、ブラディミール・ゲレーロが持っていたシーズン得点数の球団記録を更新。
10月3日のシーズン最終戦で盗塁を試みるも失敗したが、これがもし成功すれば史上3人目となる「30-50」となっていた。
首位打者は逃したが、49盗塁で盗塁王を獲得。
打率.326・30本塁打・83打点・OPS.963と打撃でも大活躍した。
11月12日に満票でアメリカンリーグの新人王に選出された。
総合指標のWARでは1900年以降のア・リーグでは歴代13位、過去20年ではバリー・ボンズが2001年と2002年に記録した11.6に次いで3番目に高い10.7を記録。
この数値は三冠王のミゲル・カブレラを大きく上回っており、トラウトをMVPに推す声も多かった(仮に受賞ならフレッド・リン、イチロー以来の史上3人目の新人王とMVPの同時受賞となるところだった)。
MVPの投票では1位票が6票、2位票が21票、3位票が1票に留まり、1位票を22票、2位票を6票獲得したカブレラに及ばず次点に終わった。
セイバーメトリクスでの傑出度よりも三冠王のインパクトとプレーオフ進出の有無が影響したという見方が強い。
2013年5月21日のマリナーズ戦で、サイクル安打を達成。
21歳9ヶ月16日での達成はリーグ史上最年少記録で、チームでは2006年のショーン・フィギンズ以来7度目(6人目)の快挙。
最終打席に本塁打を放っての達成だった。
この年は2年連続「30本塁打・30盗塁」は逃したが、打率.323・27本塁打・97打点・33盗塁・OPS.988。
オフに2年連続のシルバースラッガー賞を受賞した。
2014年2月26日にエンゼルスと100万ドルの1年契約に合意した。
3月28日にエンゼルスと総額1億4450万ドルの6年契約に合意した。
6月は打率.361、7本塁打、21打点、5盗塁(失敗なし)、OPS1.230などの活躍により、自身2回目の月間MVPを受賞した。
7月15日のオールスターゲームでは3打数2安打(二塁打・三塁打各1本)、2打点の活躍でMVPを受賞した。
8月27日のフロリダ・マーリンズ戦では、2年ぶり自身2度目となるシーズン30本塁打に到達。
最終的に本塁打は36本でリーグ3位タイ、打点は111で打点王となったが、打率は.287、184三振(マーク・トランボと並んで球団タイ記録)と悪化した。
自身初のポストシーズンではカンザスシティ・ロイヤルズとのディビジョンシリーズで打率.083と打撃不振に陥り、エンゼルスが3連敗で敗退した一因となった。
2012年から引き続いて3年連続のシルバースラッガー賞、そして自身初のア・リーグMVP、ハンク・アーロン賞を受賞した。
MVP投票では全米野球記者協会会員30人の1位票を独占して選ばれたもので、また史上5番目の若さでの受賞となった。
2015年4月17日のヒューストン・アストロズ戦でロベルト・ヘルナンデスから通算100本塁打を記録し、史上最年少となる23歳253日で100本塁打・100盗塁を達成した(従来の記録はアレックス・ロドリゲスの23歳309日)。
前半戦を打率.312、26本塁打、55打点、OPS1.019という好成績により7月14日に行われたオールスターゲームに4年連続で出場し、ナ・リーグの先発のザック・グレインキーから先頭打者本塁打を放ち、3打数1安打(本塁打1本)で2年連続のMVPを獲得し、史上初の二年連続のMVPを受賞した選手となった。
後半戦は、8月の月間成績が打率.218、1本塁打、7打点と絶不調の時期が影響して前半戦に比べやや打撃成績が落ちたが、9月17日の対ミネソタ・ツインズ戦にて3打数2安打2本塁打5打点の結果を残し、この日の2本塁打でシーズン38号として前年の自己記録 (36本) を更新。
そして同月9月22日の対ヒューストン・アストロズ戦で本塁打を記録したが、これはトラウトにとって2015年シーズン40本目のアーチであり、自身初のシーズン40本塁打以上となった。
チームは最終戦のテキサス・レンジャーズ戦で敗戦し、自身二度目のポストシーズン進出は叶わなかった。
シーズン成績は打率.299と3割を超えることができなかったが、出塁率は.402とリーグ2位の高出塁率を記録して本塁打も41本と数を昨年よりも増やした。
打点に関しては敬遠数14というリーグ3位タイの数字の他、勝負されない場面が多かったため90打点にとどまった。
実際にトラウトがチャンスに弱かったために打点が伸びなかったわけではないという事は、得点圏で.352・OPS1.201と非常によく打ち、30四球に対して26三振に留めている事からも裏付けられる。
2016年も前半戦から安定した成績で、リーグ4位の打率.322、18本塁打を記録し、ファン投票で5年連続のオールスターに選出された。
最終的なシーズン成績は、29本塁打と3年連続となる30本塁打を逃したが、4年ぶりとなるリーグ2位の30盗塁と2014年以来の100打点を記録。
その他にも得点、四球、出塁率の三部門でリーグ1位に輝いた。
この年エンゼルスは地区4位に低迷したが、自身はムーキー・ベッツらを抑え、2014年以来2度目となるシーズンMVPの栄冠を手にした。
2017年5月14日のデトロイト・タイガース戦で通算150盗塁に到達し、史上最年少となる25歳280日で150本塁打・150盗塁を達成(従来の記録はアレックス・ロドリゲスの26歳54日)。
開幕から好調だったが、5月28日のマイアミ・マーリンズ戦で二盗を試みた際に、ヘッドスライディングをして左手親指をベースに打ち付け負傷。
左手親指の靭帯断裂と診断され、自身初の故障者リスト入りとなった。
約6週間後の7月14日に復帰した。
8月7日のオリオールズ戦でディラン・バンディから通算1000安打を達成した。
9月29日のマリナーズ戦で通算200号本塁打を記録し、同日中に通算201号本塁打も記録した。
9月は月間打率が.237に留まるなど不調だったが、それ以外の月は好調を維持した。
シーズン全体では故障の影響で114試合の出場に留まったが、規定打席をわずかに上回り、リーグ6位の打率.306、33本塁打、72打点、22盗塁を記録。
自身初めて出塁率・長打率の両方でリーグ1位となった。
2018年5月26日のニューヨーク・ヤンキース戦で自身初の1試合5安打(うち1本塁打3二塁打含む)を記録するなど前半戦から好調で、オールスターゲームでファン投票の外野手部門2位となり7年連続7度目の選出となった。
8月に入り右手首の故障でDL入りした影響もあって出場試合数を減らしたが、9月には打率.329 8本塁打 16打点の活躍で自身5度目となるア・リーグプレイヤー・オブ・ザ・マンスに選ばれた。
最終的には140試合に出場し打率.312 39本塁打 79打点 24盗塁 OPS1.088であった。
敬遠25個を含む四球122個を記録し、敬遠と四球がリーグ1位。
出塁率とOPSもリーグ1位であった。
この年のMVP投票では2位に入り、自身7度目となるMVP投票トップ5入りを果たしてミゲル・カブレラと並んで現役最多となった。
2019年は開幕前の3月20日に保有していた2020年までの2年総額6650万ドルの契約に10年総額3億6000万ドルを上乗せする形で北米スポーツ史上最高額となる12年総額4億2650万ドルで契約延長した。
またオプションとして表彰による出来高、全球団へのトレード拒否権が含まれている一方でオプトアウトは含まれておらず、事実上の「生涯契約」となった。
同年は3月の4試合でOPS.971を記録すると、その後は毎月1.0を超える安定感。
夏場にも勢いは衰えず、7月には13本塁打、29打点、OPS1.214を記録した。
夏場から加速した本塁打数は、2015年に記録した41本を超えてキャリアハイの45本に到達し、110個の四球を選んだ選球眼とともに驚異的な武器となった。
8月31日のレッドソックス戦で今季11個目の盗塁で通算200盗塁に到達し、283本放っている本塁打と合わせて200本塁打&200盗塁を達成した。
28歳24日での達成はアレックス・ロドリゲスの29歳31日を大幅に更新し、史上最年少での記録達成となった。
また、盗塁成功率は84・7%で200盗塁以上の選手では歴代3位となった。
しかし、9月9日に右足に神経腫である「モートン病」を発症し、しびれや疼痛、灼熱痛などを生じる同病を除去するための冷凍アブレーション治療を受けたが、同月15日には同部位を手術することを発表し、シーズンを終了することになった。
134試合に出場し、打率.291、キャリア最多となる45本塁打、104打点、11盗塁、出塁率.438、長打率.645の成績を残した。
2年連続7度目のシルバースラッガー賞、2度目のハンク・アーロン賞を受賞、11月14日には自身3度目となるア・リーグMVPを受賞した。
3度のMVPは同球団のアルバート・プホルスに並んで現役最多(歴代2位)となった。
2020年9月5日、対ヒューストン・アストロズ戦でブランドン・ビーラックから放った本塁打で球団史上5人目の通算300本塁打を達成。
この本塁打でティム・サーモンが持っていたエンゼルスの球団記録299本も塗り替えられることになった。
エピソード
2019年6月、アメリカの経済誌フォーブスは2019年版の世界のスポーツ選手の年収ランキングを発表した。
トラウトの年収は5060万ドルであり、17位にランクインした。
野球選手では首位となった。
身長188センチ、体重106キロというトラウト。
プロレスラーやアメフト選手みたいなガッチリとした体格です。
気象オタク
現役最強打者は「お天気オタク」。
エンゼルスのマイク・トラウトがシーズンオフに気象専門の米有線局ウェザー・チャンネルで特派員を務める交渉を行っている。
米複数メディアが伝えた。
幼少時から気象情報のチェックが大好きで、特に雪嵐に目がないという。
昨春はキャンプ地のアリゾナ州近郊に雪嵐が接近中と知り、休日だったために2時間半かけて車を運転し、一日中吹雪を眺めていたほどだ。
スマートフォンには世界の気象情報を網羅する複数のアプリをインストール。
同僚らも、試合が雨天中止か微妙なときは、真っ先にトラウトに尋ねるとか。
「特派員ができれば最高だ。大型の雪嵐をリポートするのなら、申し分ないね」とトラウト。
球界に嵐を呼ぶ男は、違いますね。
トラウトは珍獣
現在のMLBでは最高のスターであるマイク・トラウトがなぜ『珍獣』なのか? と思った方も少なからずいるだろう。
すでにMVPを3度獲得した球界最高のスターながら、バリー・ボンズのように強烈なエゴをむき出しにして嫌われることもなければ、トレバー・バウアーのように歯に衣着せぬ発言でメディアを騒がせることも、ヤシエル・プイーグのように激動すぎる人生を送ってきたわけでもない。
トラウトの場合はむしろ、スーパースターに似つかわしくない「過剰なまでのフツーさ」が珍獣たるゆえんだ。
プレーも言動も派手で、ファッションにもうるさいブライス・ハーパー(フィリーズ)とはまさに好対照だ。
ただ、その「フツーさ」がカリスマ性の欠如にもつながっている。
本来ならNBAのレブロン・ジェームズ、NFLのトム・ブレイディと同じ人気を誇ってもおかしくないのに、アメリカでも知名度がいまひとつ低い状態が続いている。
もっとも、本人は有名になることにはまったく興味を示していないようで、コミッショナーから「球界の顔としてもう少しプロモーションを積極的にやってほしい」と苦言を呈されたことすらある。
出身はフィラデルフィアから南へ車で約1時間の場所に位置するニュージャージー州ミルヴィル。
人口3万人足らずのスモールタウンで、かつては工場町として栄えたが、アメリカの他の多くの地方都市と同様、1990年代頃から工場閉鎖などの影響で景気が悪化。
トラウトが高校生だった頃までは犯罪率が全米平均の約2倍と高く、「地域最大の雇用主は刑務所」とまで言われていたという。
そんな環境の中でも、トラウト少年はすくすく育った。
父は元マイナーリーガーで教師。
母親によると、トラウト家の家訓は「良き人になりなさい。そうすれば何があっても大丈夫」。
トラウトは今も両親の友人を呼ぶ時に必ず「ミスター」「ミセス」という敬称を必ずつけるのだという。
16年、あるニュースが一部で話題になった。
見出しはこうだ。
「マイク・トラウトがようやく両親の家から引っ越し」。
アメリカでは、成人すると実家を出るのが普通。
しかも、そこらのニートならともかく、すでに6年1億4450万ドルの超大型契約を結んでいたスーパースターが、いくらオフの間だけとはいえ、まだ親と一緒に暮らしているなんて……と驚きを呼んだ。
結局、トラウトは森と牧場に囲まれた300エーカーの広大な土地に引っ越したのだが、そこも実家のすぐ近くだったというオチもついている。
地に足が着いている、いや、着きすぎていると言えば母親もそうで、MLB史に残るルーキーイヤーを過ごした12年オフに『GQ』誌の取材で家を訪れた記者に「どうしてそんなにマイキーに話を聞きたいの?」と言ってのけたという逸話が残っている。
常に太陽が降り注ぐカリフォルニアでプレーしているにもかかわらず、トラウトの心はいつもホームタウンにある。
オフは最新設備が整った施設で自主トレを行うメジャーリーガーが大半だが、トラウトは地元ミルヴィルで旧知のトレーナーと汗を流す。
行きつけのダイナー(日本で言う定食屋)『Jim’s Lunch』の店主いわく、トラウトのことは「おむつを履いていた頃から知っている」。
トラウトはスプリング・トレーニングに旅立つ前、必ずここに立ち寄るのが習わしになっているという。
母校ミルヴィル高校では、トラウトがメジャーデビューしてから、ある伝統が始まった。
毎年、チームのキャプテン(複数が選ばれることもあるという)に、トラウトがつけていた背番号1を継承していくというものだ。
しかも、本人自ら母校を訪れて新キャプテンに背番号1のユニフォームを手渡す。
ちなみにこれまで背番号1を継いだ選手も、トラウトの同級生の弟だったり、小学校でトラウトを教えていた先生の息子だったりと、何かしら縁のある選手が多いのだという。
背番号1には悲しいエピソードもある。
最初に背番号1を引き継いだのはアーロン・コックス。
彼の姉ジェスがトラウトの恋人だった縁もあり、コックスとトラウトはすぐに意気投合し、17年にジェスとトラウトが結婚したことで義理の弟にもなった。
だが、コックスはエンジェルス傘下でプレーしていた18年に24歳の若さで自殺してしまったのだ。
このつらい経験から、トラウトとジェスは自殺防止の社会活動に携わるようになった。
故郷を愛し、家族を愛し、地元のNFLチーム、フィラデルフィア・イーグルスを愛するごく普通の青年が、とんでもない野球の才能に恵まれていた。
それがトラウトの本質だろう。
彼を表現する言葉が一つあるとしたら、それは「loyalty」(忠誠心)ではないか。
19年シーズン開幕直後にエンジェルスと12年4億2650万ドルで延長契約を交わした際、トラウトはこう言っていた。
「別の勝てるチームに移るのは正しくない気がしていた。チームには浮き沈みがあるものだ。僕はすべてのプロセスに関わりたい」。
ミルヴィルへの愛着も、エンジェルスへの愛着も、トラウトが金や名声より「忠誠心」を重視していることの表れなのだと考えれば分かりやすい。
今どき、こんな選手は滅多にいない。
ということは、やっぱりトラウトは“珍獣”なのだ。
プレースタイル
打撃
打撃面ではコンパクトなスイングながら長打を量産している。
特に引っ張った打球のスピードは凄まじい。
「MLB最後の4割打者」であるテッド・ウィリアムズ、「史上最高のスイッチヒッター」と呼び声高いミッキー・マントルと比べられる逸材。
また筋肉質の体系を見てわかる通りパワーもありホームランを量産できる。
デビューから圧倒的な活躍を見せていたトラウト選手。
それでも継続的に進化を続けているのがトラウト選手の凄さ。
それが如実に表れているのがボール、ストライクのスイング率。
ルーキーシーズンからボールのスイング率は下がり続け、ストライクのスイング率は上がり続けている。
つまり、選球眼が確実に改善されていて、よりスキの無い打者に進化していることになる。
- 走塁
盗塁王に輝いたこともあるほどの快足の持ち主。
「ベースボール・アメリカ」誌実施の監督アンケートでは「もっとも足の速い選手」「もっともベースランニングのいい選手」の走塁に関する2部門でア・リーグ1位に輝いた(2013年夏実施分)。
- 守備
快足を活かした守備範囲の広さがあり、ゴールドグラブ賞の受賞こそありませんが、守備にも定評がある。
ただ、肩はあまりよくないようでアームレーティングに関して当初からマイナスを記録し、スカウトから「肩はfringe-average(やや平均未満)」と評されるなど肩があまり強くないが、守備範囲などの指標もカバーする生涯UZRは、ポジティブであり、リーグ平均を上回っている。
日本時間2019年7月24日、ドジャース戦にてセンターからホームへ158km/hの送球をする。
総合力
トラウトのすごいところは打撃だけではない。
守備と走塁も超一流だ。
特に走塁に関しては、新人王に輝いた2012年に49盗塁で盗塁王に輝くなどセンス抜群。
選手の総合的な価値を示す「WAR」と呼ばれる指標がある。
代替可能な選手(平均的なマイナーリーガーと考えてOK)と比べて、何勝をチームにプラス出来るかを示す。
つまり、WARは高ければ高いほど良いということ。
ここで2012年以降のトラウト選手とリーグ1位のWARを示す。
現役最強と呼ばれるのはこの総合力の高さが所以だ。