ヨギ・ベラ

概略

Yogi Berra's Fascinating Career
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ミズーリ州セントルイス
生年月日 1925年5月12日
没年月日 2015年9月22日(90歳没)
身長
体重
172.7 cm
88 kg

 

ポジションは捕手(キャッチャー)。

 

右投げ左打ち。

 

ビル・ディッキー、エルストン・ハワード、サーマン・マンソン、ホルヘ・ポサダなど名捕手が多いニューヨーク・ヤンキースの歴史の中で最高のキャッチャーです。

 

野球研究家のビル・ジェームスは史上最高のキャッチャーに彼を選んでいるなど、史上最高のキャッチャーに推す声も少なくはありません。

 

ヨギは14回ワールドシリーズ出場を果たしワールドシリーズ優勝の証であるチャンピオンリングを10個獲得しているが、これはメジャー史上最多である。

 

アメリカンリーグMVPも3度受賞した。

 

また主にメジャー定着当初の1947年と1948年、そして現役後半、後輩のエルストン・ハワードにポジションを譲る形で1958年から1962年のシーズンを中心に外野手(主にレフトとライト)としても260試合の出場経験がある。

表彰

  • シーズンMVP:3回、1951年、1954年、1955年
  • アメリカ野球殿堂表彰:1972年
  • 永久欠番:8(ニューヨーク・ヤンキース)
  • MLBオールスターゲーム選出:15回、1948年-1962年
  • ワールドシリーズ優勝:10回(歴代1位)

 

経歴

Yogi Berra Highlight Video
クラブ
  • ニューヨーク・ヤンキース (1946 – 1963)
  • ニューヨーク・メッツ (1965)

 

はじめマイナーリーグでプレーした後、1946年にニューヨーク・ヤンキースと契約、最初はキャッチャーとしては今一つだったためヨギの前にヤンキースの正捕手を務めていたビル・ディッキーに1年間、徹底的に仕込まれた逸話がある。

 

ヨギの現役時代のヤンキースは主力にジョー・ディマジオ、ミッキー・マントルらの強力スラッガー、エースにはホワイティ・フォードを擁しており、正に黄金時代であった。

 

自身も巧打者として活躍し、「ヘリコプター・スイング」と呼ばれた独特の打撃スタイルから引退までに打った358本塁打は、当時キャッチャーとして最多の本塁打であり、1430打点は捕手の選手では2019年も歴代一位である。

 

またヨギは14回ワールドシリーズ出場を果たしワールドシリーズ優勝の証であるチャンピオンリングを10個獲得しているが、これはメジャー史上最多である。

 

アメリカンリーグMVPも3度受賞した。

 

また主にメジャー定着当初の1947年と1948年、そして現役後半、後輩のエルストン・ハワードにポジションを譲る形で1958年から1962年のシーズンを中心に外野手(主にレフトとライト)としても260試合の出場経験がある。

 

エピソード

Yogi Berra Baseball Career Highlights

引退後

 

引退後はヤンキースのコーチ・監督のほか、ニューヨーク・メッツのコーチ・監督などを歴任。

 

監督として、ヤンキースでは1964年に、メッツでは1973年にワールドシリーズ進出を果たした(いずれも敗退)。

 

1985年シーズン途中にヤンキースのオーナーであるジョージ・スタインブレナーと大ゲンカを起こし、監督を退任。

 

「もう二度とヤンキー・スタジアムには来ない」と長らくヤンキースから身を引いたが、ディマジオらの尽力で1998年にスタインブレナーと和解。

 

1999年にディマジオが没した後、彼が務めていたヤンキー・スタジアムでの始球式をヨギが引き継いだ。

 

2004年のヤンキース日本開幕戦にも来日し、読売ジャイアンツとのオープン戦での始球式では金田正一の球を受けるキャッチャーも務めた。

 

晩年、アメリカで放映されていた保険会社・Aflacの広告で、ヨギイズムを披露していた(”They give you cash, which is just as good as money”など)。

 

1972年にアメリカ野球殿堂入り。背番号8は殿堂入りを記念して古巣ヤンキースの永久欠番に同年、先輩であり前に「8」をつけていたディッキーとともに指定された。

 

また、2人連名の永久欠番は史上初だった。

 

息子のデール・ベラもメジャーリーガー(内野手)で、1977年 – 1987年にわたってピッツバーグ・パイレーツ(1977年 – 1984年)、ヤンキース(1985年 – 1986年)、ヒューストン・アストロズ(1987年)でプレイし通算853試合に出場し、打率.236、本塁打49を記録。

 

1985年にはヨギが監督をつとめていたヤンキースに移籍したが、開幕から16試合でヨギが解任(前述)。

 

親子が同一チームにいたのはわずかな期間のみであった。

 

2015年9月22日、90歳で逝去。

 

逝去時ではヤンキースの永久欠番選手の中でもっとも長く生きた人物だった(その後同じチームメイトで、ベラとバッテリーを多く組んだホワイティー・フォードが2019年10月にベラの享年を超えて91歳になり、その後2020年10月8日まで生きた。)。

 

本名はローレンス・ピーター・ベラだが、子供の頃に友人のボビー・ホフマン(後のニューヨーク・ジャイアンツでプレー)が映画で見たインドの蛇使いに歩き方がそっくりだったことから、同じインドのつながりで「ヨギ」と呼ぶようになったのが始まりという。

 

彼の発言は独特の言い回しから、ヨギイズムと呼ばれた。

 

ヨギイズム

 

ヨギは奇妙な発言をすることで有名で、それらの言葉(と彼独特の思想)はYogiisms (ヨギイズム)と呼ばれている。

 

一見諺のようなウイットに富んだ言葉が多いが、よく考えれば意味をなさないものや単に同じ事を繰り返し述べているだけのものが多い。

 

ユーモアがあるそれらの発言は野球に興味のない人々にも親しまれている。

 

息子のデール・ベラが小学校に入り、「エンサイクロペディア(百科事典)を買ってよ」とせがまれた時に「何だ、そのサイクル、サイクルに何とかいうのは。自転車のニューモデルか」と言ったり、文豪のアーネスト・ヘミングウェイを紹介された時には「いつも読ませていただいています。ところでお宅はどの新聞に書いていらっしゃるんでしたっけ?」と言ったとかいう逸話が数多く残っている。

 

漫画本を好み、移動中の車中でもよくコミック雑誌を読みふけっていた。

 

有名な漫画『ヨギ・ベア』はベラの名にならって、のちに名付けられた(1958年)。

 

ヨギイズム名言1

 

「ぼくはいつも、1時から4時までの2時間、昼寝するんだ」

 

いきなり時空を超越するヨギ・ベラ。

 

1時から4時まで2時間昼寝をすると言いますが、一般人より1時間少ないという驚異の時間感覚を持っています。

 

空白の1時間はどこへ行ったのか? ヤンキースを世界一に導いたヨギ・ベラにとっては、時空を超えることなど朝飯前であることがわかります。

 

ヨギイズム名言2

 

「今じゃあ、5セントは10セントの価値もないんだ」

 

物価が上がると、昔は100円もあれば買えていたジュースが、130円、150円と値上がりしていくことになります。

 

ヨギ・ベラはそういった物価の上昇を語り、「今では、5セントは10セントの価値もない」と言いますが、そもそも最初から5セントは10セント以上になりません。

 

日本でも5円が10円以上になったら、誰でも5円を集めて売りさばくでしょう。

 

時間を超越し、通貨の観念すらも超越し始めたヨギ・ベラ。

 

彼の発言に多くの野球ファンは、「すごい! そしてもっと算数を勉強しろ!」というエールを寄せています。

 

ヨギイズム名言3

 

「ベースボールにおいて必要なものの90%は精神。残りの50%は体力だ」

 

ベースボールは常に140%の力が必要とされるという、とんでもない新理論を打ち出したヨギ・ベラ。

 

常時140%の力を解放していたならば、当時のキャッチャー最高峰の358ホームランも納得がいきます。

 

考えられないほどのかっこよさ。それと同時に、もうあまり数字でかっこいいことを言わないようにしてほしいと切実に願うファンの姿も目に浮かぶようです。

 

ヨギイズム名言4

 

「ピザは4つに切ってくれ。6切れだと食べられないから」

 

ピザを小さく6つにカットするととても食べられないが、大きく4つにカットすると食べられるというヨギ・ベラ。

 

ヨギ・ベラさん、もう数字に関することは言うんじゃない!!

 

おかしなことになるから!!

 

彼はカット方法によって満腹度合いが変わるのでしょうか?

 

何のことを言いたいのか、原型が意味不明な発言です。

 

ヨギイズム名言5

 

「じっと見ることで、たくさん観察できる」

 

ヤンキース最高のキャッチャーとして活躍した後、監督にも就任した天才ヨギ・ベラ。

 

彼が残した言葉、「じっと見ることで、たくさん観察できる」は、これ以上ないほど当たり前の言葉であり、得られる情報がほとんどないアドバイスであることから、野球界の迷言リストに入っています。

 

逆に、じっと見もせずに観察している人がいるのでしょうか?

 

ヨギ・ベラのセンスが世界を困惑の渦へ巻き込みます。

 

ヨギイズム名言6

 

「試合は――終わるまで、終わらない」

 

たくさん観察できている人のセリフとは思えない当たり前のセリフ、第2弾。

 

おそらく、「試合は終了まで分からない」ということを言いたかったのだと思いますが、「終わるまで終わらない」という言い回しを使ったせいで、それは当たり前だろうと誰もが言いたくなる結末になっています。

 

こうして見ると数字だけでなく言葉のチョイスも壊滅的であり、なにも発言しないほうが逆にかっこよかったケースもあると言えるでしょう。

 

ヨギイズム名言7

 

「電車を乗り間違えるってわかってたから、早く家を出たんだ」

 

なんとヨギ・ベラ、時空を超越した後には未来予知までも行い、事前に電車を乗り間違えることを予測して早く家を出たと言い始めます。

 

しかし乗り間違うことが分かっているなら、なぜ乗り間違わないようにしなかったのか?

 

自らタイム・パラドックスを起こし始め、ここにきて完全に野球選手という枠を超え始めていることが分かります。

 

ヨギイズム名言8

 

「考えながら打つなんて同時にできない」

 

ヤンキース最高のキャッチーであり、バッターとしても当時のキャッチャー最高の記録を残したヨギ・ベラ。

 

しかしなんと、すべての打席でなにも考えずに打っていたことが明らかになります。

 

ふつうは誰でも、「次はストレースかな?カーブかな?」と考えながら打つはず。

 

ヨギ・ベラはなんと、バッターボックスに立った瞬間に無と化し、当時の世界最高記録を出していたことが明らかになったのです。

 

何も考えずにホームラン記録を出したという無の巨人、ヨギ・ベラ。少しくらいなにか考えてるはずだろ!

 

ヨギイズム名言9

 

「スランプなんかじゃない。バットにボールが当たっていないだけだ」

 

スランプかと問われたヨギ・ベラが、スランプではなく、バットにボールが当たっていないだけだと言い放ったセリフ。

 

じゃあいったいスランプとは…!?

 

そしてそんな理屈が通用するなら、たとえホームランを打たれても、「ホームランなんかじゃない、ボールがフェンスを越えただけだ」とごねることが可能であり、もはや大乱闘必至だと言えるでしょう。

 

ついにヨギ・ベラは野球そのものの観念までも変え始めました。いち野球選手にさせておくには惜しい存在です。

 

ヨギイズム名言10

 

「言ったことの全部を、言ったわけじゃない」

 

どう考えても、「思ったことのすべてを言ったわけじゃない」と言おうとして、舌が大ドリフトしたのだろうと思わせますが、妙な言い違いのせいで、「言ったことは全部言ったはずだろう」とまったく何の含みもない言葉になっています。

 

ヨギ・ベラの活躍から数十年を経ても、こうして言ったことの全部が記録され続けているヨギ・ベラ。

 

彼こそは、ヤンキースの歴史上でも類稀なる才能を持った選手であり、最もおかしな発言を続けた迷選手でもあるのです。

 

ヨギイズムその他

 

・その1

 

セントルイスにあるレストラン”Ruggeri’s”に行かなくなった理由について。

 

「もう誰もあそこにはいかないよ。混み過ぎなんだもの」

 

・その2

 

ジョー・ガラジオーラ・シニアにニュージャージー州の自宅への道順を教える時に。

 

到達可能な経路が2つあった。

 

「分かれ道に来たらとにかく進め」

 

・その3

 

1960年代前半のヤンキースでミッキー・マントルとロジャー・マリスが続けて本塁打を放つのを見て言った。

 

「デジャヴの繰り返しだ」

 

・その4

 

「他の人の葬式には必ず出ないとね。そうしないと彼らが自分の葬式に来てくれないから」

 

「彼らが」の部分が「誰も」であれば普通の処世訓だが、代名詞の「彼ら」が「先に死んだ他の人」のことを指すため、意味のおかしな文となっている。

 

プレースタイル

Eight great moments from No. 8 Yogi Berra's career

5フィート7インチと小柄な選手で、見た目はずんぐりしておりとても野球選手とは思えない体格でした。

 

この体格で30歳代になっても捕手として活躍したのは素晴らしいことです。

 

巧打者として活躍し、「ヘリコプター・スイング」と呼ばれた独特の打撃スタイルから引退までに打った358本塁打は、当時キャッチャーとして最多の本塁打であり、1430打点は捕手の選手では2019年も歴代一位である。

 

通算で、打率285、2150安打、358本塁打、1430打点、OPS830を記録。

 

シーズン成績でも、MVP3回を獲得、MVP投票2位2回、3位1回、4位1回に入りました。

 

特に50年~56年の7年連続でMVP投票4位以内に入りました。

 

捕手としては最高級の打撃力を持ち、引退当時358本塁打は捕手記録でした。

 

毎年安定して好成績を残し、10年連続20本塁打80打点を記録、勝負強い打者として恐れられました。

 

「メジャーリーグ屈指のバッドボールヒッター(悪球打ち)」と呼ばれていたほどで、日米野球では金田正一が投じた頭の上の高さの悪球をバットを立てて大根切りで右翼スタンドへ叩き込んでいる。

 

悪球打ちでストライクゾーンを大きく外れた球でもヒットにする技術力がありました。

 

その為四球は多くはありませんが、三振は8359打席で414個と少ないことにバッティング・コントロールの良さがうかがえます。

 

守備も高レベルで盗塁阻止率49%を記録していて、インサイドワークにも長けていました。

 

バント処理やゴロ処理も上手く、技術力のある選手でした。

 

さらに、リードの技術も最高級でヤンキースの投手を何度も救いました。

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