ブルックス・ロビンソン

概略

The Brooks Robinson Collection
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 アーカンソー州リトルロック
生年月日 1937年5月18日(83歳)
身長・体重 185 cm, 81 kg

 

ポジションは三塁手(サード)。

 

右投げ右打ち。

 

守備の達人でニックネームは“ヒューマン・バキューム・クリーナー”(人間掃除機)。

 

23年間にわたるキャリアを一貫してボルチモア・オリオールズでプレーしたフランチャイズ・プレーヤー。

 

史上最高のサード守備を誇ったボルチモア・オリオールズ最盛期の主力選手です。
通算で、2896試合、2838安打、268本塁打、打率267、OPS723を記録。
シーズン成績では、MVP1回、打点王1回、オールスター選出15回を記録しました。

タイトル

  • 打点王:1回(1964年)

表彰

  • シーズンMVP:1回(1964年)
  • ゴールドグラブ賞:16回(1960年 – 1975年)
  • ワールドシリーズMVP:1回(1970年)
  • オールスターMVP:1回(1966年)
  • ルー・ゲーリッグ賞(1966年)
  • ベーブ・ルース賞:1回(1970年)
  • ロベルト・クレメンテ賞(1972年)
  • フランチャイズ・フォー(2015年)
  • アメリカ野球殿堂:1983年

記録

  • オールスター:15年連続出場(1960年 – 1974年)
  • 通算刺殺数(三塁手):2697(歴代1位)
  • 通算補殺数(三塁手):6205(歴代1位)
  • 同一球団所属年数:23(カール・ヤストレムスキーと並び歴代最長タイ記録)

 

経歴

Brooks Robinson 1970 World Series MVP Highlights
クラブ
  • ボルチモア・オリオールズ (1955 – 1977)

 

1955年、高校卒業と同時にボルチモア・オリオールズと契約し、同年9月17日にメジャーデビュー。

 

以来オリオールズ一筋に23年間プレーした。

1966年にシンシナティ・レッズから移籍してきたフランク・ロビンソンと共に「ロビンソン・コンビ」として大活躍した。

 

フランク・ロビンソンは移籍してきた1年目に三冠王に輝き、ブルックス・ロビンソンも23本塁打、100打点を挙げ、チームはボルチモア移転後初となるリーグ優勝。

 

ワールドシリーズでもロサンゼルス・ドジャースを4連勝で破り、球団初の世界一に輝いた。

 

1970年のワールドシリーズでは攻守にわたる活躍でレッズを4勝1敗で破って2度目の世界一に輝き、シリーズMVPに選出された。

 

レッズのスパーキー・アンダーソン監督をして「ロビンソン一人に負けた」と言わしめた。

 

BALは今は比較的弱いチームですが、1970年前後は強力投手陣を誇った強豪チームで、BALの最盛期にチームの野手陣をF・ロビンソンやB・パウエルと支えた選手でした。

 

WSでも1969年&70年に二連覇を経験しています。

 

PSでも何度も好成績を残しているロビンソンですが、1番すごかったのは1970年のCINとのWSでした。

 

4勝1敗でこのシリーズをBALは勝利しましたが、ロビンソンは打撃で打率429、9安打、2本塁打、OPS1.238の好成績を残しました。

 

更に凄かったのは三塁守備。

 

CINがサードに打球を飛ばせば、多くのヒット性の当たりがロビンソンの餌食になりました。

 

特に第1試合目に見せた、3塁線を破りそうな打球をファールゾーンでキャッチし、体制が崩れている中、ロングスローで打者をアウトにしたプレーは、今でもハイライトとして目にします。

 

文句無しでWS・MVPに輝きました。

 

ロビンソンは三塁手としてはその守備が高く評価され、「人間掃除機」と呼ばれた。

 

ゴールドグラブ賞は16年連続で受賞。

 

受賞回数16回は、ジム・カート(投手)と並び、通算18回のグレッグ・マダックス(投手)に次いで、歴代二位タイの記録。

 

野手としては最多受賞である。

 

日本でも長嶋茂雄がロビンソンのフィールディングを手本にしていたといわれる。

 

1975年から成績が低迷し始め、1977年は開幕から絶不調で、シーズン途中の8月13日の試合を最後に現役を引退した。

 

同年、自身の背番号『5』がフランク・ロビンソンの『20』に続きオリオールズ2番目の永久欠番に指定された。

 

エピソード

The Brooks Robinson Collection

ロビンソンの最大の趣味の1つは読書です。

 

彼がオリオールズにいる間、彼は複数の読書クラブの一員でした。

 

「南北戦争と第二次世界大戦についての本は私にとって特に魅力的です」と彼は1974年の自伝に書いています。

 

彼はカントリーウエスタンミュージックも好きなようです。

 

性格は良く温厚、さらに、BALで23年間プレーしたフランチャイズ・プレーヤーだったこともあり、多くのファンに愛された選手でした。

 

ロビンソンの名を一躍高めたのは、間違いなく1970年のワールド・シリーズであろう。

 

ビッグ・レッド・マシーンと呼ばれる前のレッズを相手に戦ったこのシリーズ、ロビンソンはレッズ打者のヒットをことごとく凡打に変えた。

 

ライナー性の当たりに飛びつき、難しいゴロを併殺打に変え、二塁打になってもおかしくない打球を
単なる三塁ゴロにしてしまった。

 

レッズの強打者ジョニー・ベンチは『これから左打ちの練習をするよ、三塁の方へは打球を飛ばしたくないからね』と語り、監督のスパーキー・アンダーソンは、『アイツが夢にまで出てきやがる!守備でも打撃でもレッズはコテンパンにやられたからな!』と語った。

 

そう、このシリーズ、ロビンソンは守備だけでなく打撃でも打率.429、2ホーマー、6打点の大活躍を見せ、シリーズMVPに輝いているのである。

 

ブルックス・ロビンソンは「守備の人」とされがちだが、打撃においても充分実績を残した。

 

62年には打率.302、23本塁打、86打点。

 

64年は打率.317、28本塁打、118打点で打点王とシーズンMVPに輝いている。

 

結局6度の20本塁打以上と8度の90打点以上をマーク、通算2848本のヒットと1357打点をたたき出した。

 

23年の選手生活の全てwpオリオールズに捧げその間、オールスターに16回出場、MVPと打点王を各1度づつ、ゴールドグラブに至っては史上最多の16回、栄冠に輝いている。

 

メジャーリーグの歴史において史上最高の三塁手は誰であろうか??

 

この答えは最終的には二人に絞られるであろう。

 

フィリーズのマイク・シュミットとオリオールズのブルックス・ロビンソンである。

 

二人とも殿堂入りを果たした名選手だが、打力ではシュミット、守備でロビンソン…..こういう意見は多いであろう。

 

しかし、シュミットは10度のゴールドグラブに輝き、ロビンソンはシュミットを600本以上も上回るヒットを放っている。

 

ただ、シュミットはこう言っている。

 

「ブルックス・ロビンソンがいる限り、俺は最高の三塁手にはなれないんだ。」

 

プレースタイル

 

打撃は全盛期はシーズンで28本塁打、118打点(打点王)、OPS889を記録したことがありますが、目を引くのは20本塁打を6回記録したことがあるくらい。

 

打率270前後、本塁打15本程度の成績が普通でした。

 

OPSでも8割以上を記録したのは2回だけ。

 

wOBAも330程度でした。

 

それを補っているのが守備力。

 

三塁守備に関しては史上最高の選手に選ぶ人がほとんどでしょう!

 

ロビンソンは三塁手としてはその守備が高く評価され、「人間掃除機」と呼ばれた。

 

ゴールデングラブ賞は野手史上最多の16回受賞(16年連続)。

 

多くの守備指標で史上最高の成績を残しています。

 

内野選手全般でもオージー・スミスと並ぶ守備のスーパースターでした。

 

通算打率.267は、殿堂入りを果たした内野手および外野手の中では後に殿堂入りするオジー・スミス(.262)に次いで低く、守備力への評価が高い選出であると言える。

 

「テッド・ウィリアムスの打撃理論を本人から聞いたが全く理解できず、守備を重視するプレイスタイルになった」とロビンソンはコメント。

 

ただ、守備の割には鈍足で盗塁はたったの23個。

 

盗塁死は25個もありました。

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