概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1981年5月29日(39歳) | ||
出身地 | ![]() |
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身長 | 172cm | ||
体重 | 69kg |
Andrei Arshavin
ポジションはフォワード(セカンドトップ、左ウイング)、ミッドフィールダー(左サイドハーフ、オフェンシブハーフ)。
利き足は右。
「ロシアの新皇帝」の異名をとった。
2000年代に活躍したロシア代表のアタッカー。
ゼニトやアーセナルで活躍し、ロシア代表では不動のエースとして一時代を築いた。
獲得タイトル
クラブ
- FCゼニト・サンクトペテルブルク
- ロシア・プレミアリーグカップ: 1 (2003)
- ロシアサッカー・プレミアリーグ:3 (2007、2011-12、2014-15)
- ロシア・スーパーカップ:1 (2008)
- UEFAカップ: 1 (2007-08)
- UEFAスーパーカップ: 1 (2008)
- カイラト
- カザフスタンカップ:2017、2018
- カザフスタンスーパーカップ:2017
代表
ロシア
- UEFA欧州選手権銅メダリスト:2008
個人
- バロンドール6位:2008年
- プレミアリーグプレーヤー・オブ・ザ・マンス:2009年4月
- ロシアの年間最優秀サッカー選手(Futbol):2006
- ロシアの年間最優秀サッカー選手(Sport-Express):2006
- バルト三国と独立国家共同体の年間最優秀サッカー選手:2007年、2008年、2009年
- UEFA欧州選手権チーム・オブ・ザ・トーナメント:2008
- UEFAカップ決勝戦マン・ブ・ザ・マッチ:2008
- カザフスタンプレミアリーグプレーヤー・ブ・ザ・マンス:2016年7月 2016年9月
- カザフスタンプレーヤーオブザイヤー:2016
経歴
サッカーを始めたのは7歳の時。
シメナフットボールスクールを経て、ゼニトユースにて育成される。
ゼニトセカンドチームで多くの経験を積んだ後、2000-01シーズンのUEFAインタートトカップのブラッドフォード戦(2000年8月2日)でトップチームデビューを果たす。
2001-02シーズンよりレギュラーとしての地位を確立。
同年代であるケルジャコフとのコンビでチームを牽引し、2002-03シーズンにはロシアリーグカップを制した。
2005-06シーズンにはUEFAカップベスト8進出に貢献する。
2006-07シーズンには13アシスト7得点でリーグ最優秀選手賞を獲得すると、2007-08シーズンには11アシスト10得点を記録、チームも1984年以来のリーグ優勝を達成した。
同シーズンのUEFAカップでは準決勝でドイツのバイエルン・ミュンヘンに圧勝し、勢いに乗ったまま迎えた決勝でもレンジャーズを破り、ゼニト初優勝の立役者となった。
2008年8月の行われたUEFAスーパーカップでも欧州王者のマンチェスター・ユナイテッドを破りクラブ初の栄冠を手にする。
後述のEURO2008を境に、欧州リーグの多くの強豪クラブが彼の獲得に動き出していたが、多額の移籍金などにより夏の移籍は叶わなかった。
2009年2月、かねてよりアルシャビンへ興味を示していたプレミアリーグのアーセナルFCへの移籍をした(移籍金は未公表)。
2009年2月22日のサンダーランド戦でプレミアリーグデビューを果たす。
強烈なシュートを放ち鋭いクロスを上げるなど、デビュー戦からその実力の片鱗を示した。
3月14日のブラックバーン戦では左サイドの角度のない位置から目の覚めるようなゴールを叩き込みアーセナル移籍後初ゴールを記録する。
ここから更にシーズン終盤へ向けて調子を上げ、4月21日のリヴァプール戦で自身初となる1試合4得点を達成する。
シーズン後半だけの出場、またプレミアリーグ初挑戦ながら公式戦15試合で6得点9アシストという驚異的な数字を残した。
2010-11シーズンでは、リーグでは6得点、アシスト数ではセスク・ファブレガスに次ぐ11を記録した。
次第に出場機会が失われ、2012年2月、古巣のゼニトにシーズン終了までレンタル移籍が決定。
2013年6月5日、デニウソン、セバスティアン・スキラチと共にアーセナルを退団することが発表された。
2013年6月27日、古巣のゼニトへの復帰が決定した。
2015年7月13日、FCクバン・クラスノダールに移籍した。
2016年3月18日、カザフスタン・プレミアリーグのFCカイラトに移籍した。
37歳となった2018年シーズンを以て、現役を引退した。
代表
2002 FIFAワールドカップを目前にした時期に、イゴール・セムショフ、デニス・ラクチオノフとともにロシア代表に初招集された。
2002年5月17日のベラルーシ戦で国際Aマッチ初キャップを記録したが、ワールドカップのメンバーには選ばれなかった。
FW最後の枠はケルジャコフが選ばれている。
代表初ゴールは、2003年2月13日のルーマニア戦(キプロス4か国トーナメント)。
EURO2008予選までは、キャプテンを務めていた。
予選最終戦のアンドラ戦で、暴行により退場処分となり、2試合(EURO2008のグループリーグの最初の2試合)の出場停止処分を科され、ヒディンク監督からキャプテンの座を剥奪された(次期キャプテンは、セルゲイ・セマク)。
しかし、EURO2008グループリーグの第3節スウェーデン戦から復帰すると活躍を見せ、オランダ戦では幾度となく敵陣に侵入し、オランダのDF陣を翻弄した。
さらに1-1で迎えた延長戦、ペナルティエリア内で緩急をつけたドリブルを披露。
一瞬で相手DFを置き去りにすると、タッチラインギリギリからGKファン・デル・サールの頭上を越す高精度のクロスボールを蹴り、ドミトリ・トルビンスキの得点をアシスト。
さらに、運動量の落ち始めていたオランダの隙をつき、相手ゴール付近でのスローインを、トラップせずに素早く反転してシュート。
試合を決定づける3点目のゴールを決めた。
そのプレースタイルから「新皇帝の誕生」と称えられた。
2009年6月のフィンランド戦からキャプテンに復帰している。
エピソード
スペイン、FCバルセロナのファンであり、ゼニト在籍時にバルセロナへの移籍願望をメディアに対し語ったこともある(但し、2008-09シーズン時点では、「今の段階でバルサに行っても(前年アーセナルからバルセロナへ移籍し出場機会が減ってしまった)アレクサンドル・フレブのようにポジションは無いだろう」と語っている)。
子供時代に女性が運転する自動車にひかれる交通事故に遭い、10メートルほど空中に吹き飛ばされたが、奇跡的にかすり傷だけで済んだ。
この経験から「僕に権限があれば、間違いなくすべての女性ドライバーから自動車運転免許を取り上げるだろう」と発言している。
愛車はベンツのGLクラス。
ヘアカットのたびにサンクトペテルブルクからロンドンに専属美容師を呼び寄せている。
リヴァプールFC戦後アルシャビンは(アウェーで4得点と大活躍したにもかかわらず)「まだ自分の実力を出し切れてはいない」と話した。
また、EURO2008でのパフォーマンスについて「あの程度ならいつでもできる」とインタビューで語ったこともある。
ゴールを決めた際には、口に人差し指を当てるパフォーマンスを見せる。
また、試合中に舌を出すこともある。
理由のひとつとしては“マイケル・ジョーダン”である。
舌を出すくせはジョーダンの真似ではないと語ったものの、ジョーダンのプレーが大好きであり、彼との共通点も喜んでいた。
上記のM.ジョーダンの影響によりNBAのシカゴ・ブルズのファンである。
英メディア『SportBible』によれば、現在6歳になる息子のアーセニーは、ロシアにあるバルセロナ・アカデミーに所属しているという。
父アンドレイがアーセナル時代に薫陶を受けたフランス人の名将アーセン・ヴェンゲルへのリスペクトからアーセニーと名付けられたという少年は、その天賦の才を遺憾なく発揮しており、週間ベストプレイヤーに輝いてもいる。
この知らせを聞いたファンが興奮しないはずがない。
『SportBible』によれば、ツイッターでは、次のようなコメントが相次ぎ、大きな反響を呼んでいるようだ。
「この名前でプレーすべきクラブは一つだけ!」
「父親のような偉大な未来が待っている」
「ヴェンゲルへのリスペクトに泣きそうだ」
「面白いことに、名前を読む前にこの子がアルシャビンの子どもだと分かったよ」
「グーナーにならなきゃね」
「アーセナルは早くスカウトすべき」
「そっくり」
まだ6歳の少年で、サッカー選手として大成するかは未知数だ。
しかし、将来的に父が愛し、愛されたアーセナルに入団するようなことがあれば、話題沸騰となることは必至だろう。
プレースタイル
小柄な体格を生かした小回りの良さと敏捷性が持ち味。
また、テクニックとスピードを生かしたドリブルでの突破も得意とする。
スタミナもあり、試合終盤でもスピードが落ちることは殆どない。
左右どちらの足でも正確なボールを蹴れることも大きな魅力。
小柄ながらも強烈かつ正確なシュートを放つことが出来る。
いわゆるトップ下のポジションを得意としており、ゲームメーカーとしてチームをコントロールしつつ自らも得点することが出来る。
ウイングとしてもプレーすることができ、その場合は彼の持つスピードが最大限に生きる。
ロシア代表では絶対的エースの座に位置づけられていた。
ストライカーとチャンスメーカー両方の資質を高い次元で兼ね備えた現代型ファンタジスタといえる。
172cmと小柄で、両足でボールを操ることができたアルシャビンは、巧みな技術の持ち主。
足元の技術に長けており、最終ラインと守備的MFとの間にできるスペースを上手に使う。
スピードがあり切れ味鋭いドリブルがファンの熱狂を誘った。
低身長ながらずっしりとした体格で、何と言ってもスピードディーで小刻みなドリブルが特徴的です。
ポジションは左ウイングは適任で、左右ともに強烈なキック力をもっており、中へ切り込むドリブルも得意ですが、縦に行くプレーも多かったと思います。
低身長ながらフィジカルが強く、プレミアの屈強なDFにも当たり負けしていなかったです。
また、キック力が強くとシュートテクニックも高いためゴールゲッターとしての才能もいかんなく発揮していました。