概略
国籍 | ![]() (旧 ![]() |
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生年月日 | 1958年3月5日(63歳) | ||
出身地 | ハルキウ州ハルキウ | ||
身長 | 180 cm | ||
体重 | 72 kg |
Vladimir Bessonov
ポジションはディフェンダー(右サイドバック)。
利き足は右。
1980年代のソ連を支えたウクライナ人サイドバック。
オレグ・ブロヒン、オレクサンドル・ザバロフらとともに、ディナモ・キエフの黄金期を支えた。
1988年オリンピック金メダル、1980年オリンピック銅メダル、1988年欧州選手権準優勝とソ連の黄金期のメンバーでもある。
獲得タイトル
クラブ
- ソ連選手権:優勝1977、1980、1981、1985、1986、1990
- ソ連カップ:優勝1978、1982、1985、1987、1990
- ソ連スーパーカップ:優勝1980、1985、1986
- UEFAカップウィナーズカップ:1986年優勝
- トロフェオサンティアゴベルナベウ:優勝1986
- 1980年夏季オリンピック:銅メダル
- 1988年夏季オリンピック:金メダル
- UEFA欧州選手権:1988年準優勝
- ソ連選手権:次点1978、1982、1988
- ソ連スーパーカップ:1977年準優勝
- UEFAスーパーカップ:1987年準優勝
- 1986年のWorldSoccer「世界のチーム」:2位になったディナモ・キエフチームの一部。
個人
- 1977 FIFAワールドユース選手権:ゴールデンボール
- ウクライナ年間最優秀選手:1989年優勝
- ウクライナ年間最優秀選手:1988年2位
- ウクライナ年間最優秀選手:1986年3位
- イーゴリ・ネットやワシル・ラッツなどの他の偉大なフルバックよりも、planetworldcup.comのソビエト連邦の「オールタイムワールドカップチーム」に投票されました。
経歴
クラブ | |||
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1976-1990 | ![]() |
277 | (27) |
1990-1991 | ![]() |
5 | (0) |
通算 | 282 | (27) | |
代表歴 | |||
1977-1990 | ![]() |
79 | (4) |
1980 | ![]() |
6 | (1) |
クラブ
1976年のデビューからキャリアのほとんどをFCディナモ・キエフで過ごし、サイドバックとして、ヴァレリ・ロバノフスキー監督の下、オレグ・ブロヒン、オレクサンドル・ザバロフらとともに、キエフの黄金期を支えた。
キエフでの14年間でリーグ優勝6度、準優勝3度、リーグカップ優勝5度のほか、1989年にはウクライナ年間最優秀選手に選ばれている。
クラブキャリアハイライトは1985-86シーズン、アトレティコ・マドリードとの決勝を制しUEFAカップ・ウィナーズ・カップを掲げている。
代表
1977年にチュニジアで開催された第1回ワールドユースでは優勝と大会MVPに輝いたのを皮切りに、A代表でも主軸として活躍。
1980年モスクワオリンピックでは3位に入り、ソビエト連邦の2大会連続銅メダルに貢献した。
ワールドカップには1982年、1986年、1990年と3度出場。
決勝トーナメントには1度しか進めなかったが、西ドイツで開催された欧州選手権1988では準優勝を果たした。
1977年から1990年で通算79試合に出場 (歴代5位) 。
ソビエト代表のベスト・プレイヤーの一人であると考えられている。
エピソード
引退後、CSKAキエフやトルクメニスタン代表の監督を務める。
2008年からはオレグ・プロタソフの後を受け、ドニプロの監督に就任している。
2010年9月に解任された。
なお、妻は元ソビエト連邦代表の新体操選手で世界新体操選手権団体の優勝メンバー、娘のアンナ・ベスソノフは新体操ウクライナ代表として2007年世界新体操選手権で個人総合1位、2008年の北京オリンピックでは銅メダルを獲得している。
プレースタイル
強力なシュートと電光石火のスピードを武器にした攻撃的なサイドバック。
テクニックもあり、ドリブルも長短のパスも得意とした。