概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1964年2月4日(57歳) | ||
出身地 | ドニプロ | ||
身長 | 186cm | ||
体重 | 77kg |
Oleg Protasov
ポジションはフォワード(センターフォワード)。
利き足は右。
1980年代のソ連を代表するストライカーで、クラブではソ連リーグ歴代8位の125ゴール、代表ではオレグ・ブロヒンに次ぐソ連代表歴代2位の29ゴールを挙げた。
「西のファン・バステン」「東のプロタソフ」とまで言われた、欧州屈指のストライカーの1人であった。
獲得タイトル
クラブ
ドニプロペトロフスク
- ソビエトトップリーグ:1983
- ソ連連盟カップ:1986
ディナモキエフ
- ソビエトトップリーグ:1990
- ソビエトカップ:1989–90
オリンピアコス
- ギリシャカップ:1989-1990、1991-1992
代表
ソビエト連邦
- UEFA欧州選手権:1988年準優勝
個人
- ソビエト年間最優秀サッカー選手:1987年
- ソビエトトップリーグ得点王(3):1985、1987、1990
- UEFAシルバーブーツ:1984
経歴
クラブ | |||
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年 | チーム | 出場 | (得点) |
1981–1987 | ドニエプル・ペトロフスク | 145 | (95) |
1987–1990 | ディナ・モキエフ | 71 | (30) |
1990〜1994 | オリンピアコス | 83 | (48) |
1994–1996 | ガンバ大阪 | 55 | (24) |
1996–1998 | ベリア | 62 | (11) |
1998〜1999 | プローデフティキ | 28 | (5) |
1999–2000 | Panelefsiniakos | 2 | (1) |
合計 | 446 | (214) |
代表歴 | |||
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1987-1992 1994 |
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68 (29) 1 (0) |
クラブ
ウクライナの地元チームのドニプロ・ドニプロペトロフシクのユースでサッカーを学び、18歳でトップデビュー。
デビュー翌シーズンの、83シーズンには7ゴールを挙げ、チームのリーグ優勝に貢献する。
その後、エースストライカーとして君臨。
85シーズンには、35ゴールを挙げ得点王に輝くと共に、ヨーロッパのシルバーブーツにも輝いている。
87シーズンにもリーグ得点王に輝くと、同じウクライナの強豪であるディナモ・キエフに移籍。
ここでは、ユーラン、カンチェルスキス、ザバロフ、ベラノフ、サレンコという名手と共にプレー。
90シーズン途中には、ギリシャの名門オリンピアコスに移籍することになる。
このシーズン、プロタソフは移籍するまでに16試合で12ゴールを挙げていた。
結局この12ゴールでシーズンの得点王に輝き、このシーズンのチームの優勝にも大きく貢献したことになる。
90/91シーズンに、オリンピアコスに移籍してからもエースストライカーとして活躍するも、チームは当時、パナシナイコスやAEKアテネらと比べ戦力的に劣っており、タイトルを獲得することはできなかった。
93/94シーズンの途中にはオリンピアコスを去り、日本のガンバ大阪に移籍する。
ガンバ大阪はプロタソフの他に、アレイニコフとツベイバも獲得し、一気に3人の旧ソ連代表を獲得した。
この3人のプレーはレベルの高いものであったが、如何せん当時のガンバ大阪のチーム力が非常に低かったため、タイトルには無縁であった。
96/97シーズンには、ギリシャリーグに復帰し、3シーズンプレーした後に現役を引退した。
代表
代表ではソ連代表として68試合で29ゴール。
ウクライナ代表として1試合に出場している。
ソ連代表での29ゴールというのは、ブロヒンに次ぐ歴代2の記録である。
W杯には86年と90年の出場した。
86年のW杯ではチームは好調であったが、プロタソフはノーゴールに終わっている。
90年のW杯ではグループリーグのカメルーン戦でゴールを挙げたが、チームはグループリーグ敗退となった。
代表でのハイライトは、88年の欧州選手権。
プロタソフはチームのエースとして素晴らしいパフォーマンスを披露。
2ゴールを挙げ、チームを決勝に導いた。
決勝ではファン・バステンのスーパーゴールの前に破れるも、その活躍は高く評価された。
エピソード
引退後は監督に転身。
オリンピアコス、ステアウア・ブカレストを経て、2005年末から2008年初めまでFCドニプロ・ドニプロペトロウシクの監督を務めていた。
同年の途中からFCクバン・クラスノダールの監督に就任し、クバンをプレミア昇格に導いた。
2010年よりFCロストフ監督に就任。
2014年10月、ルーマニア1部所属のFCアストラ・ジュルジュ監督に就任。
プレースタイル
長身で当りに強く、スピードも兼ね備えている。
スピードがありパワフルなのでフィジカルな選手と思いきや、足元の技術もしっかりしている。
ファーストタッチからシュートにもっていく技術も長け決定力も高い。
またダイレクトプレーも上手い。
長身をいかした空中戦でも威力を発揮する万能な能力を有する欧州屈指のストライカーだった。