概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1961年11月7日(59歳) | ||
出身地 | ![]() |
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身長 | 182cm | ||
体重 | 75kg |
Sergei Aleinikov
ポジションはミッドフィールダー(ディフェンシブハーフ、センターハーフ)、ディフェンダー(センターバック)。
利き足は右。
1980年代ソ連代表の黄金期に中盤の底でチームをささえたボランチ。
1988年欧州選手権準優勝の立役者の一人。
ディナモ・ミンスク、ユヴェントスなどで活躍した後、日本のガンバ大阪でも活躍した。
獲得タイトル
クラブ
ディナモ・ミンスク
- ソビエトトップリーグ:1982年
ユヴェントス
- コッパ・イタリア:1989–90
- UEFAカップ:1989–90
代表
ソビエト連邦
- UEFA欧州選手権準優勝:1988年
経歴
クラブ
1981シーズンに地元のディナモ・ミンスクでプロ生活のスタートを切ります。
翌シーズンに8得点を挙げてリーグ優勝に多大な役割を果たし、以降中盤に欠かせない絶対的な存在となりました。
クラブにとって唯一となるソ連リーグタイトルでした。
1989シーズン終了後にユヴェントスに入団、後に共にJを盛り上げるFWスキラッチやポルトガル代表ルイ・バロシュらと共に国内カップを制します。
また、UEFA杯でもPSGやハンブルガーなどを下し、同国対決となったフィオレンティーナとの決勝を3-1で制しました。
その後移籍したレッチェでもブラジル代表マジーニョやコンテと中盤を組むものの降格、翌シーズンも昇格に絡めませんでした。
1993シーズンにガンバ大阪に入団して8月4日浦和戦でJデビューし、礒貝と共にゲームを作ります。
2年目には旧ソ連代表の元同僚プロタソフ、山口敏とのホットラインを形成し、自身も6得点を挙げました。
翌シーズンはオランダ代表ヒルハウスも加わり、自らもキャリア最多タイの8得点を挙げるなどチームの攻撃力は上がりますが、2ケタ順位から抜け出せませんでした。
その後はスウェーデンのIKオデヴォルドを経て、イタリアのセリエDのクラブで引退した。
代表
ソ連代表としては、1984年3月28日に西ドイツ代表戦で国際Aマッチにデビューした。
1986 FIFAワールドカップではハンガリー戦で大会のベストゴールのひとつにも数えられるゴールを決めるなど、ソ連の決勝トーナメント進出に貢献、準優勝したEURO1988では、グループリーグのイングランド戦でゴールを決め、決勝トーナメント進出に貢献、決勝ではオランダに敗れたが、全試合に出場した。
ユーロ1992にもCIS代表として出場した。
その後、ベラルーシ代表としては1992年10月28日ウクライナ戦で初出場し、4試合に出ました。
エピソード
引退後は主に育成年代や下位リーグのクラブを指導している。
2003年にロシアのトルペド・メタルルグ・モスクワ監督に就任したが、8試合で解任された。
2004年のUEFAジュビリーアウォーズにおいて、ベラルーシサッカー協会によって同国のゴールデンプレイヤー(過去50年間の最優秀選手)に選ばれた。
2013年、ユヴェントス・レジェンズの一員としてベガルタ仙台との記念試合に出場した。
プレースタイル
中盤の底でのキープとゲームメークでチームの攻撃にリズムをもたらし、パワフルなミドルも兼備します。
パス精度に優れ、効果的な散らしでゲームメイクをした。
また豊富な運動量を誇りピッチを駆け回り攻守に活躍。
守備能力も高くセンターバックをこなせるほど。