エドガル・マヌチャリアン

概略

Edgar Manucharyan in Cup Tournaments
国籍 アルメニアの旗 アルメニア
生年月日 1987年1月19日(34歳)
出身地 ソビエト連邦の旗 エレバン
身長 177cm
体重 74kg

 

Edgar Manucharyan

 

ポジションはフォワード(セカンドトップ)、ミッドフィールダー(右ウイング、オフェンシブハーフ)。

 

利き足は左。

 

2000年代から2010年代にかけて活躍したアルメニア代表のアタッカー。

 

獲得タイトル

クラブ

FCピュニク・エレバン
  • アルメニア・プレミアリーグ : 2002, 2003, 2004, 2010
  • アルメニア・インデペンデンスカップ : 2002, 2004, 2010
  • アルメニア・スーパーカップ : 2003, 2004
アヤックス・アムステルダム
  • KNVBカップ : 2005-06, 2006-07
  • ヨハン・クライフ・スハール : 2005, 2006, 2007
FCウラル・スヴェルドロフスク・オブラスト
  • ロシア・ナショナル・フットボールリーグ : 2012-13

個人

  • アルメニア・プレミアリーグ得点王 : 2004
  • アルメニア年間最優秀選手賞 : 2004

 

経歴

Edgar Manucharyan's goals in Armenian National Team
クラブ
クラブ 出場 (得点)
2002-2005 アルメニアの旗 ピュニク・エレバン 53 (40)
2005-2010 オランダの旗 アヤックス 9 (0)
2009-2010 オランダの旗 ハールレム 17 (6)
2010 オランダの旗 AGOVV 12 (8)
2010-2012 アルメニアの旗 ピュニク・エレバン 28 (13)
2011-2012 ロシアの旗 ウラル 12 (6)
2012-2017 ロシアの旗 ウラル 72 (17)
2017 タイ王国の旗 ラーチャブリー 0 (0)
2018 ロシアの旗 ウラル 6 (0)
2018-2019 アルメニアの旗 アラシュケルト 21 (3)
2019- アルメニアの旗 ピュニク・エレバン 0 (0)
代表歴
2002-2004 アルメニアの旗 アルメニア U-17 9 (8)
2003-2004 アルメニアの旗 アルメニア U-19 15 (9)
2002-2008 アルメニアの旗 アルメニア U-21 7 (1)
2004-2017 アルメニアの旗 アルメニア 53 (9)

 

クラブ

 

FCピュニク・エレバンの下部組織を経て、リザーブチームで得点を量産していたことにより、2002年シーズンに同クラブのトップチームへ昇格を果たす。

 

翌2003年シーズンは、12得点を記録する。

 

2004年シーズンには、ガルスト・ペトロシャンとのコンビで22試合21得点と得点王に輝く活躍を見せ (ペトロシャンも得点王) 、チームの優勝に大きく貢献し、更に年間最優秀選手賞を受賞すると、注目を集め、同年12月にアヤックス・アムステルダムからトライアルに招待される。

 

14日のFCバルセロナとの親善試合中に足を骨折する不運に見舞われ、トライアルを途中で終了することを余儀なくされたものの、それまでのプレーが認められ、7月1日からの3年契約を勝ち取ることに成功した。

 

2005年9月18日のAZアルクマール戦 (2-4) でライアン・バベルとの交代から84分に初出場を飾り、以来、リーグ戦4試合に出場し、翌2006-07シーズンは、相次ぐ負傷に悩まされたことで、昨季同様に下部組織のヨング・アヤックスでのプレーが主戦場となる中、2006年11月2日、UEFAカップ2006-07のFKアウストリア・ウィーン戦で公式戦初得点を挙げた。

 

2007年3月16日、2008年までの契約が2011年6月30日まで延長された。

 

なお、2006年7月22日には、アヤックスとアーセナルFCに在籍したデニス・ベルカンプの引退試合に出場した際、新設されたエミレーツ・スタジアム史上初めて得点を挙げたクラース・ヤン・フンテラールのゴールをアシストしている。

 

2007-08シーズンにアドリー・コスター監督が新たに就任すると、トップチームでは未出場が続き、今まで以上に下部組織でのプレーが主戦場になっていた為、2008年5月にアヤックスからの退団を望む。

 

6月には、5人の選手と共に放出リストに掲載されたと報じられた。

 

2009年8月6日にエールステ・ディヴィジ (2部) のHFCハールレムへ1年間の期限付き移籍に出される。

 

翌日のSCフェーンダム戦 (1-6) において、フランク・カレマンとの交代で早速初出場を飾り、9月26日のFCデン・ボス戦で初得点を挙げる等で半年間に主力として17試合6得点を記録した。

 

だが、シーズン中の2010年1月25日にハールレムが破産を宣言し、新たな投資家を発見出来なかったことにより、アヤックスから期限付き移籍で加入していた自身を含む6人は復帰することになった。

 

2010年2月3日にジョン・ファン・デン・ブロム監督率いるエールステ・ディヴィジのAGOVVアペルドールンへシーズン終了までの期限付き移籍に出される。

 

FCフォレンダム戦で初出場及び初得点を記録し、それから1週間後の2月19日のSBVエクセルシオール戦ではハットトリックを達成した。

 

2010年7月にアヤックスとの2011年夏まで契約を双方合意で解除、ハールレムで17試合6得点、アペルドールンで10試合7得点を挙げたが、アヤックスでは9試合無得点に終わる。

 

19日に古巣FCピュニク・エレバンと半年の契約で復帰し、UEFAチャンピオンズリーグ 2010-11予選2回戦のパルチザン・ベオグラードとの第2戦で初出場を飾る。

 

リーグ戦で5得点を挙げて、チームの優勝に貢献した後、契約満了に伴い退団したマヌチャリアンに対し、FCカルパティ・リヴィウから関心を示されると、契約交渉の為にウクライナへ渡ったものの、実現せず、最終的に2011年1月26日にピュニク・エレバンと3年契約で再加入をした。

 

2011年8月中旬にFCピュニク・エレバンからロシア・ナショナル・フットボールリーグ (ロシア2部) のFCウラル・スヴェルドロフスク・オブラストへ1シーズンの期限付き移籍に出され、2012年7月17日には同クラブと2年契約で完全移籍を果たす。

 

2013年4月1日のFCトム・トムスク戦 (2-0) において、完全移籍後初にして2得点を挙げた。

 

2018年7月25日、アラシュケルトFCに移籍した。

 

2018-19シーズンの最終日である、2019年6月5日にアラシュケルトから放出され、翌日、古巣FCピュニク・エレバンへの2度目の復帰を果たした。

 

代表

 

アルメニア代表としては、まず、2002年からU-17代表でプレーすると共に同年はU-21代表としてもプレーしており、その後、U-19代表として参加したUEFA U-19欧州選手権2005の予選において8得点、特にハンガリー戦 (5-1) で4得点を挙げる活躍を見せた。

 

2004年からはA代表でプレーする。

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