概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1973年2月22日(48歳) | ||
出身地 | ![]() |
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身長 | 181cm | ||
体重 | 73kg |
Shota Arveladze
ポジションはフォワード(センターフォワード)。
利き足は両利き。
ACミランのカハ・カラーゼと共にジョージア代表の中心選手として活躍。
ジョージアの歴代最多得点者でもある。
獲得タイトル
クラブ
ディナモ・トビリシ
- ウマグレシ・リーガ:1990-1991、1991-1992、1992-1993、1993-1994
- グルジアカップ:1990-1991、1991-1992、1992-1993、1993-1994
トラブゾンスポル
- トルコカップ:1994–95
- トルコスーパーカップ:1995
アヤックス
- エールディビジ:1997–98
- KNVBカップ:1997-1998、1998-1999
レンジャーズ
- スコットランドプレミアリーグ:2002-03、2004-05
- スコティッシュカップ:2001-02、2002-03
- スコティッシュリーグカップ:2002–03
個人
- トルコ年間最優秀サッカー選手:1994年
- グルジア年間最優秀サッカー選手:1994、1998、2007
- トルコカップ得点王:1994–95
- シュペルリガ得点王:1995–96
- 今月のSPLプレーヤー:2003年9月
経歴
クラブ
プロデビューを飾ったマルトバ・トビリシ時代から頭角を現し、トラブゾンスポル所属時代の1995-96シーズンに得点王を獲得し、実を結ぶこととなる。
トルコリーグでトルコ人以外の選手が得点王になったのはアルベラーゼが2人目である(1人目はボスニア人のタリク・ホドジッチ)。
トルコリーグ得点王であるアルベラーゼをアヤックス・アムステルダムが獲得すると、ここでも決定力を発揮し、チームをリーグ、カップ戦優勝に導くなどの活躍をみせた。
得点王はフィテッセのギリシャ人ストライカー、ニコス・マフラスに譲ったが、25ゴールを挙げ、リーグ及び国内カップの2冠の立役者となった。
しかし、翌98/99シーズンには、そのニコス・マフラスがチームに加わったため出場機会が激減。
00/01シーズンには、レギュラーの座を奪い返したが、そのシーズンを最後にアヤックスを去った。
様々なチームのオファーから、グラスゴー・レンジャーズFCのオファーを受諾し、2005年までプレー。
ここでもチームをリーグ、カップ戦優勝に導いた。
ここではトーレ・アンドレ・フロー、モルス、カニーヒアらとのターンオーバー制の中で力を発揮。
02/03シーズンには、リーグ優勝を果たしている。
これらの実績・経験を、当時新進気鋭で経験不足または若い選手の多いAZアルクマールを率いるルイス・ファン・ハール監督に見込まれて2005年より加入し、2005-06シーズンはリーグ2位となる22得点をあげて、チームの2位に貢献。
2006-07シーズンは首位で迎えた最終節で得失点差で優勝を逃し、自身もダニー・クーフェルマンスの台頭で(安定はしていたが)前年ほどの活躍はできなかった。
ちなみにこの2年間は、加入間もないのにゲームキャプテンを任されていた。
2007年に、リーガ・エスパニョーラのレバンテUDに移籍するも、膝の怪我で出遅れ出場機会はほとんどなかった。
2008年3月に現役を引退。
代表
ジョージア代表としては、53試合で22ゴールを挙げている。
代表としてメジャー大会に出場できていない。
エピソード
双子の弟アーチルもグルジア代表として32試合出場し、クラブレベルでも活躍したストライカーです。
もう一人の兄弟のレヴァズも代表として11試合出場しています。
現役引退後はAZのコーチングスタッフを経て、2010-11シーズンからトルコリーグカイセリスポルの監督を務めた。
2012年から2015年まではカスムパシャSKの監督を務めた。
2015年にはトラブゾンスポル、2016年にはマッカビ・テルアビブの監督に就任するも、成績不振のためシーズン途中で解任。
2017年からパフタコール・タシュケントの監督を務める。
プレースタイル
スピードタイプのFW。
瞬発力とテクニックを兼ね備えたジョージアが世界に誇る点取屋。
足腰が強く、厳しいマーク付かれていてもバランスを崩さずシュートまで持っていくことができる。
守備もきっちりこなしチームのために誠心誠意働く選手ですが、時間稼ぎのために突如リフティングを始めるなど人を舐めたようなプレーをすることもあります。
ちなみにその際、相手選手にとび蹴りをくらいました。