ヘンリフ・ムヒタリアン

概略

Henrikh Mkhitaryan | Skills and Goals | Highlights
国籍 アルメニアの旗 アルメニア
生年月日 1989年1月21日(32歳)
出身地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 エレバン
身長 177cm
体重 75kg

 

Henrikh Mkhitaryan

 

ポジションはミッドフィールダー(オフェンシブハーフ)、フォワード(右ウイング、左ウイング)。

 

利き足は右。

 

アルメニア史上最高の選手。

 

2009年から合計5回アルメニア年間最優秀選手賞を受賞した。

 

2011-12シーズンにウクライナ・プレミアリーグ得点王でチームの優勝に貢献したことで、ファンからチームの最優秀選手に選出されるだけにとどまらず、ウクライナ・プレミアリーグ年間最優秀選手賞にも輝いた。

 

アルメニア代表としては、史上最多得点となる25得点を記録した。

 

獲得タイトル

クラブ

ピュニク・エレバン

  • アルメニアプレミアリーグ:2006、2007、2008、2009
  • アルメニアカップ:2009
  • アルメニアスーパーカップ:2007、2008

シャフタール・ドネツク

  • ウクライナプレミアリーグ:2010-11、2011-12、2012-13
  • ウクライナ・カップ:2010-11、2011-12、2012-13
  • ウクライナスーパーカップ:2012

ボルシア・ドルトムント

  • DFL-スーパーカップ:2014

マンチェスター・ユナイテッド

  • EFLカップ:2016–17
  • FAコミュニティシールド:2016
  • UEFAヨーロッパリーグ:2016–17

個人

  • アルメニア年間最優秀サッカー選手:2009、2011、 2012、 2013、 2014、 2015、2016、2017、2019、2020
  • バルト三国と独立国家共同体の年間最優秀サッカー選手:2012年、 2013年
  • ウクライナプレミアリーグベストプレーヤー:2012–13
  • ウクライナプレミアリーグ とく添付:2012–13
  • ウクライナプレミアリーグ年間最優秀サッカー選手:2012
  • CISフットボール選手オブザイヤー:2012、2013
  • 今月のブンデスリーガ選手:2016年4月
  • ブンデスリーガアシストリーダー:2015–16
  • ブンデスリーガチームオブザシーズン:2015–16
  • DFB-ポカール得点王:2015–16
  • キッカーブンデスリーガ選手の今シーズンの選手:2015–16
  • 今月のプレミアリーグゴール:2016年12月
  • EFLカップトップアシストプロバイダー:2016–17
  • マンチェスター・ユナイテッドのシーズンゴール:2016–17(vs。サンダーランド、2016年12月27日)
  • UEFAヨーロッパリーグ今シーズンのチーム:2016–17 

 

経歴

Henrikh Mkhitaryan – Top 5 Goals
クラブ
クラブ 出場 (得点)
2006-2009 アルメニアの旗 ピュニク・エレバン 70 (30)
2009-2010 ウクライナの旗 メタルルフ・ドネツク 37 (12)
2010-2013 ウクライナの旗 シャフタール・ドネツク 72 (38)
2013-2016 ドイツの旗 ボルシア・ドルトムント 90 (23)
2016-2018 イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッドFC 39 (5)
2018-2020 イングランドの旗 アーセナルFC 39 (8)
2019-2020 → イタリアの旗 ASローマ (loan) 22 (9)
2020- イタリアの旗 ASローマ
代表歴
2006 アルメニアの旗 アルメニア U-17 5 (1)
2006-2007 アルメニアの旗 アルメニア U-19 6 (1)
2006-2010 アルメニアの旗 アルメニア U-21 13 (9)
2007- アルメニアの旗 アルメニア 86 (29)

 

クラブ

 

1995年にフランスから帰国した後は、生まれ故郷のFCピュニク・エレバンの下部組織に入団する。

 

15歳の若さで給与を受け取る等、周囲の期待は大きく、サンパウロFC への数ヶ月の練習参加を経て、ピュニク・エレバンのトップチームに昇格を果たし、2006年の17歳の時にプロデビューを飾った。

 

以来、在籍3年半でリーグ戦70試合30得点含む公式戦89試合35得点を記録し、アルメニア・プレミアリーグ3連覇 (2006、2007、2008)、アルメニア・スーパーカップ2回 (2007、2009)獲得に貢献しており、最後のシーズンとなった2009年シーズンでの得点力に、アルメニア代表と同クラブの双方を率いるヴァルダン・ミナシアン監督から、より大きなリーグでの飛躍を期待された。

 

そして、同シーズンのプレーによって、シーズン途中で移籍することになった。

 

2009年6月20日にメタルルフ・ドネツクと3年契約を締結する。

 

7月16日にUEFAヨーロッパリーグ 2009-10のFCパルチザン・ミンスク (ベラルーシ1部)戦 (3-0)で公式戦初出場及び初得点、19日のFCドニプロ戦 (0-0)でウクライナ・プレミアリーグ初出場、26日のFCカルパティ・リヴィウ戦 (2-2)でリーグ初得点を挙げ、以降、リーグ戦29試合9得点を含む公式戦38試合14得点を記録した。

 

翌2010-11シーズンは、2010年7月14日にクラブ史上最年少の21歳で主将に就任し、重要な役割を担うことになったが、8月30日のドニプロ戦 (2-1)が最後の試合となった。

 

メタルルフでの2季目で8試合3得点を挙げ、リーグ戦通算37試合12得点を含む公式戦46試合17得点とした。

 

2010年8月30日、メタルルフと同じくドネツクを本拠地とするFCシャフタール・ドネツクと5年契約を締結する

 

移籍金は一部で600万ユーロとも伝えられているが、シャフタールの公式サイト上で750万ユーロと発表された。

 

9月10日のFCオボロン・キエフ戦 (0-1)で初出場、本拠地での最初の試合となった19日のSCタフリヤ・シンフェロポリ戦 (4-1)で初得点、それから3日後のウクライナ・カップでのFCクリヴバス・クリヴィー・リフ戦 (6-0)で2得点目を記録。

 

25日のFCメタリスト・ハルキウ戦 (2-1)では決勝点を挙げた。

 

28日のUEFAチャンピオンズリーグ 2010-11でのSCブラガ戦 (3-0)が、UEFAチャンピオンズリーグ初試合だった。

 

2011年5月26日のFCディナモ・キエフとのカップ戦決勝において、ジャジソンに代わって81分から出場し、優勝に貢献。

 

同シーズンは、トップ下のジャジソンの存在に加え、センターハーフを務めるフェルナンジーニョの負傷離脱から、トップ下やセンターハーフの控えとして起用され、リーグ戦とカップ戦優勝を経験した。

 

2011-12シーズンはリーグ戦とカップ戦の2冠を2シーズン連続で達成した。

 

シーズン途中に家庭の事情でジャジソンが移籍すると、ミルチェア・ルチェスク監督の施行する4-2-3-1のフォーメーションにおいて、1トップを務めるルイス・アドリアーノのトップ下に専念しており、2011年7月11日のオボロン・キエフ戦 (4-0)でのシーズン初得点を皮切りに、3月4日のドニプロ戦 (1-1)での同点ゴール、4月11日のFCメタルルフ・ザポリージャとの国内カップ戦 (1-0)での決勝点といった重要な場面でも得点を挙げ、リーグ戦28試合10得点を含む公式戦36試合11得点を記録する活躍から、クラブの公式サイト上で行われたファンのオンライン投票で総投票数の約38%の支持を集めてチームの年間最優秀選手賞を受賞した。

 

2012-13シーズン、古巣メタルルフとのウクライナ・スーパーカップを2-0で制すと、昨季に引き続きトップ下のレギュラーとして起用されたムヒタリアンは、開幕戦のFCアルセナル・キエフ戦 (6-0)で2得点2アシストを決める好調なスタートを切っており、8月10日のFCチョルノモレツ・オデッサ戦 (5-1)ではハットトリックを達成して6試合10得点という得点力を見せ、サイドのウィリアンやアレックス・テイシェイラらと共に開幕戦から10月までの12試合で12連勝と勢いにのるチームの攻撃を牽引。

 

UEFAチャンピオンズリーグ 2012-13においては、9月19日のデンマーク・スーペルリーガ王者FCノアシェラン (2-0)相手にCL初得点を含む2得点を挙げてマン・オブ・ザ・マッチ、そして同大会の週間最優秀チームにも選出された。

 

2013年3月16日のオデッサ戦でリーグ通算100試合を達成した。

 

2013年5月11日のSCタフリヤ・シンフェロポリ戦 (5-0)でリーグ戦23得点目、24得点目を挙げ、クラブ史上となる1シーズンでの最多得点記録を樹立した。

 

最終的に攻撃的ミッドフィルダーながら25得点で得点王に輝き、その技術と献身性は称賛された。

 

シャフタールでの活躍が認められ、リヴァプールFC等が獲得に動き、その内の1つドイツ・ブンデスリーガ (ドイツ1部)のボルシア・ドルトムントから2013年6月25日に移籍金2500万ユーロが提示された。

 

当初、シャフタールの最高経営責任者は3000万ユーロを望んでいたが、その一方で移籍を想定してSCインテルナシオナルから移籍金1500万ユーロでフレッジを獲得しており、そして、7月5日には、ドルトムントのメディカルチェックを受け、8日に4年契約で同クラブへの移籍が決定した。

 

背番号は前シーズンにマリオ・ゲッツェが着ていた10番になった。

 

なお、推定移籍金2500万ユーロと報じられているが、移籍が決定した翌日にシャフタールの公式サイト上において移籍金は2750万ユーロと記載され、これはシャフタール史上最高額だった。

 

2013年7月10日、2013-14シーズン前に行われたザンクト・ヤコブ・パルクでのFCバーゼルとの親善試合 (3-1)で初出場を飾ると、マルコ・ロイスへのアシストと自身初得点を記録する好調なスタートを切ったが、別の親善試合において負傷したことでDFLスーパーカップは欠場している。

 

3週間の負傷離脱を経て、8月18日にヴェストファーレンシュタディオンで行われたリーグ戦第2節のアイントラハト・ブラウンシュヴァイク戦が公式戦初出場、9月1日のアイントラハト・フランクフルト戦で公式戦初得点を含む2得点を挙げた。

 

UEFAチャンピオンズリーグ 2013-14の敵地でのアーセナルFC戦 (1-2)においても得点した。

 

リーグ戦9得点10アシストでシーズンを終了し、一定の数字を記録してリーグ戦とDFBポカール準優勝に貢献する。

 

しかし、レアル・マドリードとのチャンピオンズリーグ準々決勝第2戦 (2-0)においては、ロイスからのパスをゴール目前に貰うも、決定機を外してしまい、チームは2試合合計2-3で敗退した。

 

2014-15シーズン最初の公式戦であるバイエルン・ミュンヘンとのスーパーカップ (2-0)において、シーズン初得点を挙げて優勝を成し遂げる。

 

最高のスタートを切ったものの、9月と12月に負傷で約1ヶ月離脱したことや、かつてクラブで活躍した香川真司の復帰に伴う不慣れなサイドハーフでの起用も影響し、リーグ戦で得点に絡めない状況が続き、チーム低迷の一因と見られ、移籍金の高さも相まって批判された。

 

12月の負傷から復帰後暫くは途中出場が続いていたが、2月18日に先発復帰したシャルケ04とのルールダービー (3-0)でシーズン初得点を挙げると、4月18日のSCパーダーボルン07戦 (3-0)で1得点1アシスト、5月9日のヘルタ・ベルリン戦 (2-0)では全得点に絡む2アシストを決めた。

 

2015-16シーズンはトーマス・トゥヘル監督になり、システムも4-3-3にかわって右ウイングとしてプレー。

 

2016年7月2日、ドルトムントのハンス=ヨアヒム・ヴァッケ会長はムヒタリアンのマンチェスター・ユナイテッド移籍について、来夏に契約満了で放出することを避けるためには致し方ないことだと述べた。

 

それから4日後に4年間の契約を結び、移籍金額は2700万から3000万ポンドと報じられ 、契約には1年間の延長オプションが付いた。

 

背番号は22番。

 

2016年7月15日に行われ、2-0で勝利したプレシーズンマッチのウィガン・アスレティック戦でユナイテッドデビューを飾り、8月7日に行われたFAコミュニティ・シールドのレスター・シティ戦で公式戦デビューを果たした。

 

8月14日に行われたボーンマス戦にフアン・マタと75分から交代で出場し、プレミアリーグでプレイした初めてのアルメニア人選手となった。

 

9月10日に行われたマンチェスター・ダービーにおいて初めてスターティングメンバーに名を連ねたが、ハームタイムに交代となった。

 

UEFAヨーロッパリーグ 2016-17決勝ではゴールを決め、チームの優勝に貢献した。

 

開幕戦のウェストハム・ユナイテッドFC戦と第2節のスウォンジー・シティ戦では2試合で4アシストの活躍を見せた。

 

2018年1月22日、アレクシス・サンチェスとのトレードでアーセナルFCへの移籍が決定。

 

背番号はアレクシス・サンチェスが着用していた7番。

 

かつてトマシュ・ロシツキーやロベール・ピレスが着用していた番号でもある。

 

2018-19シーズンのUEFAヨーロッパリーグの決勝に進出したが、ムヒタリアンの母国アルメニアと決勝戦の開催地アゼルバイジャンは国交を断絶していることから、ムヒタリアンはチームに帯同せず決勝戦を欠場した。

 

2019年9月2日、ASローマに1年間のローンで移籍した。

 

ローン料は300万ユーロで最大10万ユーロのボーナスが付随している。

 

9月15日、セリエA第4節のサッスオーロ戦で移籍後初出場を果たすと、この試合で移籍後初ゴールを挙げた。

 

2020年8月31日、所属元のアーセナルとの契約解消に合意し、ローマに完全移籍したことが発表された。

 

代表

 

アルメニア代表として各年代で代表招集を受け、2007年1月14日にパナマとの親善試合でA代表デビューを果たした。

 

以来、定期的に招集され、2009年3月28日のエストニア戦で代表初得点を挙げ、UEFA EURO 2012予選のグループBではチーム最多の6得点を挙げたようにチームの得点源としても活躍しており、2013年10月15日の2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選でのイタリア戦 (1-3)戦において、アルトゥール・ペトロシアンを抜き代表史上最多得点記録となる12得点目を記録した。

 

同予選では、主将を務めているロマン・ベレゾフスキーの負傷による不在だった2013年9月10日のデンマーク戦 (0-1)の際に代理を務めている。

 

2014年5月27日のアラブ首長国連邦戦 (4-3)で2得点を挙げた。

 

エピソード

ジネディーヌ・ジダンがアイドルであり、ジダンのプレーにインスピレーションを受けている。

 

1989年1月22日にアルメニア・ソビエト社会主義共和国 (現アルメニア)の首都エレバンで生まれる。

 

かつてFCアララト・エレバンで活躍し、アルメニア代表でのプレー経験があるハムレットを父に持つが、ムヒタリアンが7歳の時にハムレットは脳腫瘍のために33歳で逝去している。

 

また、母マリナ は、アルメニアサッカー連盟の代表チーム部門でスタッフを務め、姉モニカ はUEFAの本部で働いている。

 

ムヒタリアンが生まれてから数ヶ月後、父がリーグ・ドゥ (フランス2部)のASOヴァランスでプレーすることに伴い幼少期をフランスで過ごすことになる。

 

頭がいい

 

1995年にエレバンへ帰国した後は、地元の学校を卒業し、サンクトペテルブルク・エレバン校で経済学を学ぶ。

 

その後、弁護士の勉強を計画している。

 

サッカー選手の中には「ほとんど勉強なんてしたことがない」という選手がたくさんいますがムヒタリアンはそういった選手には含まれません。

 

高校の体育文化研究科で知識を蓄え、その後もロシアのサンクトペテルブルクの研究所に通って経済学の学位を取得しようとしています。

 

死ぬまでサッカー一筋で生きようとは思っていないらしく、将来的にビジネスの展開なども考えているようですね。

 

また母国語であるアルメニア語の他、英語、スペイン語、フランス語、ポルトガル語、ドイツ語の6ヶ国を操る。

 

ラテン系の言葉とキリル文字を主体とする東欧系の言語を同時に操るのは本当に凄い事です。

 

これは本人の勉強の成果ももちろんあると思いますが、本質的に頭が良くないと無理な芸当だと思いますね。

 

香川真司と不仲説

 

ムヒタリアンに関するエピソードでよく言われるものとして2014シーズンにマンチェスター・ユナイテッドからドルトムントに復帰した香川真司との不仲疑惑があります。

 

香川が得点を決めても祝福に来なかったりパスも少ないなど「仲が悪いのでは?」と取り沙汰されましたね。

 

二人ともベストポジションはトップ下でポジションが被っていますし、香川復帰の影響でムヒタリアンがサイドに回される事もあるなど確かにムヒタリアンも香川復帰当初は良く思っていなかった所はあったかもしれませんが・・・

 

しかしそのときはチームも低迷していましたし、ムヒタリアン自身もナイーブな性格かつ2014-2015年は後述するプレースタイルの頑固さなども相まって非常に調子が悪かった時期なのでそれが影響して仲が悪いように見えてしまっただけでは?と予想します。

 

実際ドルトムント公式にアップされている過去の動画でも二人は非常に仲が良さそうですし、ムヒタリアンはマンチェスター・ユナイテッドへの移籍に際して経験者である香川のアドバイスも決め手になったと語っている通り仲は良好だと思います。

 

プレースタイル

HENRIKH MKHITARYAN – Welcome to Arsenal – Genius Skills, Passes, Goals & Assists – 2017/2018 (HD)

一言で彼のプレーを評すると、運べるゲームメイカーといったところか。

 

武器はなんといっても、技術の高さとそれを生かすインテリジェンス。

 

抜群のポジショニングでボールを受けて、一気に加速。

 

サイドをスピードでぶち抜くというよりかは、中央寄りの位置を絶妙なコース取りでスルスルと相手を突破する。

 

エゴイスティックな部分が少ないタイプなため、完璧なスルーパスを通してプレーを終えることが多い。

 

もちろん打つべき時には打つ。

 

高いサッカーIQを持ち、状況判断も早いため、縦パスをダイレクトではたき、決定機を演出するなどプレーの幅は広い。

 

キックの精度も高いので、サイドに配置しても抜群のクロスを供給することができる。

 

また、語学が堪能で母国語のアルメニア語に加えて、ロシア語、英語、ドイツ語、フランス語などを操れるため、チームメイトと円滑なコミュニケーションをとれる。

 

非常に「賢い選手」と言えるだろう。

 

ムヒタリアンのベストポジションは2列目の攻撃的なポジション、特にセカンドストライカー寄りのトップ下で力を最も発揮します。

 

サイドでもプレーできます。

 

プレースタイルとして特徴的なのは豊富なスピードから繰り出されるドリブルとラストパスで、特にカウンターの際に一気に相手ゴールまでの距離を圧縮するような縦への推進力が魅力の選手と言えるでしょう。

 

ボールを受けるのも非常に上手く、DFラインとMFラインの間のスペースを見つけてそこでボールを受けるためプレッシャーの少ない状態からプレーを始めることができます。

 

ドルトムント加入当初はボールを持ちすぎてチャンスをつぶすような場面が散見されましたが、ドルトムント後期から球離れが良くなり現在ではドリブルの威力はそのままに適切なプレーを選択できるようになっています。

 

マンチェスター・ユナイテッド加入当初もパワフルでダイレクトな特徴を持つプレミアリーグへの適応に苦しみ、監督モウリーニョに「戦う準備ができていない」と苦言を呈されたりしていましたが徐々に適応を見せています。

 

「縦への速さ」という元々プレミアリーグ向きの能力を持っている選手だと思いますし、ポジションを奪い返したのは当然の結果と言えるでしょう。

 

フィジカルもイングランドに来る前よりずいぶん向上しているように見えます。

 

本人はトップ下がベストだと考えているようですが、ウイングでも及第点の働きは出来てると思いますね。

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