概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1958年8月26日(62歳) | ||
出身地 | ![]() |
身長・体重 | 179cm、74kg |
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Zlatko Vujovic
ポジションはフォワード(センターフォワード)。
利き足は右。
1980年代に活躍したユーゴスラビア代表のストライカー。
ボスニアとクロアチアの国籍を持つ。
双子の兄、ゾランもプロのサッカー選手だった。
二人ともユーゴスラビア代表で、二人ともプロとしてのキャリアの大部分をフランスで過ごした。
獲得タイトル
- ヴェチェルニ・リスト紙選定ユーゴスラビア年間最優秀選手賞 1回(1981年)
経歴
クラブ | |||
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1976-1986 | ![]() |
240 | (101) |
1986-1988 | ![]() |
65 | (20) |
1988-1989 | ![]() |
34 | (18) |
1989-1990 | ![]() |
62 | (20) |
1990-1991 | ![]() |
23 | (4) |
1991-1992 | ![]() |
28 | (7) |
代表歴 | |||
1979-1990 | ![]() |
70 | (25) |
クラブ
ブヨビッチは、双子の兄弟のゾランと共に1976年にハイデュク・スプリトで選手経歴を開始した。
ハイデュクでは10シーズン間在籍し、リーグ優勝1回(1979年)とカップ優勝2回(1977年、1984年)に貢献した。
1981年にはヴェチェルニ・リスト紙が選定するユーゴスラビア年間最優秀選手賞を受賞した。
1986年からは国外へ活躍の場を移しフランスの強豪FCジロンダン・ボルドーへ移籍。
移籍初年度の1986-87シーズンにリーグとカップの二冠に貢献した。
ボルドーで2シーズンを過ごした後は、同じフランスのASカンヌ、パリ・サンジェルマン、FCソショー、OGCニースを渡り歩き、1992年に現役を引退した。
代表
ユーゴスラビア代表としては、1979年4月1日に行われたUEFA欧州選手権1980予選のキプロス戦で代表デビューを飾った(試合は3-0でユーゴの勝利)。
1982年のFIFAワールドカップ・スペイン大会では3試合に出場、1984年のUEFA欧州選手権1984、1990年のFIFAワールドカップ・イタリア大会では5試合に出場しベスト8進出に貢献した。
ブヨビッチはイタリア大会を最後に代表から退くまで、国際Aマッチ70試合に出場し25得点を記録した。
エピソード
2008年、ブヨビッチは(前年の兄と同様に)監督としてのキャリアをスタートさせ、最初のクラブであるハイデュクでアシスタントマネージャーとしてスタートしました。
2016年7月にマリヤン・プシュニクのスタッフとして3度目の就任を果たしましたが、2016年12月にプシュニクが解任されたことでクラブを去りました。
プレースタイル
圧倒的なスピードを武器にゴールを陥れる快足ストライカー。
ドリブルとシュートの技術にも優れていた危険なストライカーだった。