概略
国籍 | ボスニア・ヘルツェゴビナ | ||
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生年月日 | 1948年12月10日 | ||
出生地 | モスタル、FPRユーゴスラビア | ||
身長 | 185 cm | ||
体重 | 80 kg |
Dusan Bajevic
ポジションはフォワード(センターフォワード)。
利き足は右。
愛称は「プリンス」、「ネレトバの王子様」。
1970年代に活躍したユーゴスラビア代表のストライカー。
キャリアのほとんどを地元のベレズ・モスタルで過ごし、約400試合に出場して170ゴールを記録した。
また、AEKアテネでもプレーし、アルファ・エスニキで2回、ギリシャ・カップで1回優勝している。
獲得タイトル
クラブ
AEKアテネ
- アルファEthniki:1977-1978、1978-1979
- ギリシャカップ:1977–78
個人
- ユーゴスラビア年間最優秀選手:1972年
- ユーゴスラビアファーストリーグ得点王:1969–70(20ゴール)
- Alpha Ethniki得点王:1979–80(25ゴール)
- ギリシャカップ得点王:1977-1978、1978-1979
- ブラジルインデペンデンスカップ得点王:1972年
経歴
クラブ | |||
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年 | チーム | 出場 | (得点) |
1966–1977 | ヴェレジュモスタル | 277 | (144) |
1977–1981 | AEKアテネ | 106 | (65) |
1981–1983 | ヴェレジュモスタル | 45 | (22) |
合計 | 478 | (292) | |
代表歴 | |||
1970〜1977 | ユーゴスラビア | 37 | (29) |
クラブ
バイエビッチはトータルプレーヤーだった。
地元のクラブ、ヴェレズ・モスタルで約400試合に出場し、170ゴールをマークした。
彼のコーチはスレイマン・レバックだった。
バイエビッチは、1960年代、70年代、80年代に「モスタルBMV」(バイエビッチ、マリッチ、ブラディッチ)として知られるヴェレシュの3人組の一員だったことでも知られている。
彼は1966年から1977年までベレシュに在籍した後、AEKアテネに移籍し、ギリシャのチャンピオンシップを2度制覇した。
彼はクラブの歴史の中で最も物議をかもした人物の一人である。
バイエビッチは成功した選手で、AEKのファンからは「プリンス」というニックネームで愛されていた。
1977年に当時の名選手たちと一緒にチームに加わり、2つのチャンピオンシップと1つのカップタイトルを獲得しました。
トーマス・マブロスとのコンビネーションはヨーロッパでも屈指のもので、クラブで最も愛されたコンビの一つでした。
1979-80年のシーズンには、リーグの得点王にもなった。
1981年にベレシュに戻ってきて、1983年まで在籍した後、引退した。
1969-70年のユーゴスラビア1部リーグでは、スロボダン・サントラチとのコンビで20ゴールをマークし、ベストゴールを記録した。
バイエビッチは「ネレトバの王子様」として記憶されており、1960年代、1970年代、1980年代には「モスタルBMV」(バイエビッチ、マリッチ、ブラディッチ)として知られるベレシュの3人組の一員だった。
代表
バイエビッチは1970年4月のオーストリアとの親善試合でユーゴスラビア代表としてデビューし、すぐにゴールを決め、通算37キャップ、29ゴールを記録している。
1974年のFIFAワールドカップに出場し、ザイール戦で3ゴールを決めた。
彼の最後の国際試合は、1977年5月のFIFAワールドカップ予選のルーマニア戦であった。
エピソード
引退後、監督としても成功を収め、ベレジュではユーゴスラビアカップを1回、AEKアテネではギリシャリーグ優勝4回、ギリシャカップ1回、ギリシャリーグカップ1回、ギリシャスーパーカップ1回、その後オリンピアコスではギリシャリーグ優勝4回、ギリシャカップ2回、PAOKではギリシャカップ1回を獲得した。
プレースタイル
長身ながら足元の技術もあり、トラップからシュートに持っていく技術は素晴らしいものがあった。
またワンタッチのダイレクトプレーも上手かった。
ポジショニングがよくゴールエリアでパスを確実にシュートに繋げた。
ヘディングも上手く、長身を活かし空中戦にも力を発揮した。
シュート技術も抜群で、ドリブルとテクニックもある大型ストライカー。
まさに万能なトータルストライカーだった。